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ペターの入口に建つパールシー(ゾロアスター教徒)の時計塔

2025年5月07日

ペターのメインストリートの東端には、ムンバイ出身のパールシー(ゾロアスター教徒)のカーン家が建設した時計塔が建っている。

コロンボフォートからペターの町に入る、当時の町の入口に建てられている。

パールシーとは?

パールシーとは、インドに住むゾロアスター教徒のこと。

イラン人の故地であるファールス州は、騎馬者を意味するパールスが語源で、ペルシアの語源でもあり、パールシーはインドでペルシャ人を意味する。

ゾロアスター教を国教としたサーサーン朝(224年~651年)が滅亡し、936年(716年説もある)にイランからインドのグジャラート州に4隻あるいは5隻の船で退避した集団が、ヒンドゥー教徒の王ジャーディラーナーの保護を得て、周辺に定住することになったと言われている。

現在、ゾロアスター教が多く住むのはイランではなくインドであり、ムンバイにその人口が多い。

代表的なパールシー

クイーンのボーカルのフレディ・マーキュリー、インドのタタ財閥を創設したジャムシェトジー・タタ、ジャワハルラール・ネルーの娘インディラ・ネルー(後のインディラ・ガンディー首相)と結婚し、後の首相ラジーヴ・ガンディーをもうけたフィローズ・ガーンディーなどがいる。

スリランカにおけるパールシー

スリランカへのパールシーの移住は、オランダ領セイロン時代の1700年代後半頃に、貿易のためにスリランカにやってきたと言われている。

1940年代頃には約200人のパールシーが暮らしたものの、1948年のスリランカの独立、1957年のシンハラオンリー政策によって、多国へ移住し、現在もスリランカに住むパールシーは40人ほどと言われている。

コッルピティヤのパーム・グローブ(Plam Grove)にはパールシークラブがあります。

代表的なスリランカのパールシー

ジョンキールズホールディングスの筆頭株主キャプテン家

ウェッラワッタ紡績工場(Wellawatte Spinning and Weaving Mills)を所有し、スリランカ初のがん治療ホスピス設置に尽力したソーリ・キャプテン(Sohli Captain)、児童保護協会に貢献したその妹のペリン・キャプテン(Perin Captain)、企業への投資で知られるソーリの息子であるルシ・キャプテンは多数の大企業の経営陣に名を連ねる。

ソーリ&ルシ親子はジョンキールズホールディングス、CICホールディングスとスリランカを代表する2つのコングロマリットの筆頭株主でもある。

Abansを経営するペストンジェー家

Abansを創業したのは、ムンバイ出身のパールシー女性アバーン・ペストンジェー(Aban Pestonjee)だ。

裁判官や建築家を輩出したチョクシー家

最高裁判所の判事を務めたナリマン・チョクシー(Nariman Choksy)。

その息子であるカイラシャースプ・ナリマン・チョクシー(Kairshasp Nariman Choksy)財務大臣を務めた。

フェローズ・チョクシー(Pheroze Choksy)は、チームジェフリーバワの一人であるイスメス・ラヒームと設計事務所「チョクシー&ラヒーム 住宅とオフィス(Choksy and Raheem Residence and Office)」を立ち上げている。

建築家を輩出したビリモリア家

コロンボ7の独立記念広場(Independence Memorial Hall)、バンダーラナーヤカ家が暮らしたティンタゲル(Tintagel Colombo)、国会議長公邸(現在はスリランカ国防大学)のムムタズ・マハル(Mumtaz Mahal)、キャンディのフリーメイソンロッジ(Kandy Masonic Temple)、コロンボのYMBAビルディング(Young Men’s Buddhist Association building)、コロンボの5th laneにあるパールシーの祈りのホール(Navroz Baug)などを設計したホミ・ビリモリアがいる。

ホミ・ビリモリアはリバプール大学を卒業し、英国王立建築家協会(RIBA)のフェローに選ばれた最初のセイロン人。セイロン初の都市計画家として任命され、1953年から1956年までは公共事業省の主任建築家を務めた。大英帝国勲章メンバー(MBE)受勲、戴冠記念メダル授与、大英帝国勲章オフィサー(OBE, 民間部門)を授与されている。

ビリモリアはセイロン建築家協会(CIA)の創設メンバーであり、後に同協会のフェローにも選出された。

コロンボ染色工場を設立したジラ家

コッルピティヤにコロンボ染色工場(Colombo Dye Works、ND Jilla & Sons)を設立したジラ家。

陸軍医師のホミ・ジラ、海軍士官のカイラシャープ・ジラ、民間航空職員のフレディ・ジラなどがいます。

オイル工場を経営したカーン家

ペターのカーン時計塔を建てたカーン家はコロンボオイル工場(Colombo Oil Mills)を経営していた裕福な一家。

カーン時計塔と噴水

1923年にカーン家の兄弟であるビカジー(Bhikhajee)とマンチャーシャー・フラムジー・カーン(Munchershaw Framjee Khan)が父フラムジー・ビカジー・カーン(Framjee Bhikhajee Khan)を偲んで建設した時計塔。

兄弟は1878年になくなったカーン家の家長であった父の職場の近くに、時計塔と噴水を建てた。

時計塔のプレートには、二人の息子が1923年1月4日、父の45回目の命日にコロンボ市議会を通じてコロンボ市民に捧げたこと(市議会に寄贈)が記述されています。

現在、噴水は機能していないようです。

周辺の建物

時計塔の周辺には歴史を感じる立派なビルが立ち並んでいる。

コロナ前までは本屋が入居していたバンクシャルストリートの角のビルは現在使われていないようだ。

関連記事・参照

roar media:Parsis Of Sri Lanka: Denizens From A Land Far Away
roar media:The Colpetty That Was
roar media:Documenting Sri Lanka’s Ethnic Minorities: The Other 2%
Thuppahi’s Blog:The Parsi’s of Sri Lanka: A Small but Vibrant Community
Sunday Times:On a road less travelled
Sunday Times:The Parsis of Sri Lanka: A small but vibrant community
Sunday Times:Wellawatte Spinning & Weaving Mills – a top notch soccer outfit
ウィキペディア:パールシー
ウィキペディア:ファールス (イラン)
Wikipedia:Homi Billimoria
DISTRICT GRAND LODGE OF SRI LANKA:Kandy Masonic Temple
Wikipedia:Khan Clock Tower
LMD:CAPTAIN OF COMMERCE
WSJ MARKETS:Rusi Sohli Captain
Daily FT:The wealthiest Sri Lankans

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