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世界遺産「ポロンナルワ」を創ったポロンナルワ王国とは?

2020年10月26日

世界遺産「古都ポロンナルワ」があるポロンナルワは1017年~1255年にスリランカの都として栄えた町で、その当時の遺跡が多く残っています。

残された遺跡の数がスリランカで最も多く、保存状態が良いのがポロンナルワと言われており、スリランカで最も長い間都が置かれていたアヌラーダプラよりも、遺跡数は多いとも言われています。

ポロンナルワの遺跡を見て回っていると、4人の王の名前をよく目にします。
また、仏教遺跡の中にヒンドゥー教遺跡が残されています。

ポロンナルワ王国の経緯を知ると、残された遺跡の概要が分かってきます。
本記事ではポロンナルワ王国の歴史を見ていきます。

アヌラーダプラ王国の第二の都市

ポロンナルワはアヌラーダプラ王国の第二の都として栄えていました。

その時代に作られたとされている石窟寺院がポロンナルワの世界遺産有料エリアの中に残っています。

アヌラーダプラ王国時代の主な遺跡
太古の石窟寺院(Gopala Pabbatha)

南インドのチョーラ朝の支配

シンハラ王朝ラジャ国(スリランカの北部が領土)が首都としていたアヌラーダプラは、1017年に南インドのチョーラ朝の全盛期の王ラージャラージャ1世によって支配されます。

ラジャ国の第二の都であったポロンナルワに、ラージャラージャ1世の息子ラージェーンドラ1世が遷都します。
ラージェーンドラ1世はチョーラ朝の支配領域をさらに広げ、北はガンジス川河口付近、南はセイロン北半、東はマレー半島・スマトラ島と絶頂期を築きます。
その後、40年ほどラジャ国をチョーラ王朝が支配したため、ヒンドゥー教の影響が残っています。

■チョーラ朝関連の主な遺跡
シヴァ・デーワーラヤ No.1(Siva Devalaya No.1)
シヴァ・デーワーラヤNo.2(Siva Devalaya No.2)

シヴァ・デーワーラヤNo.2(Siva Devalaya No.2)

建国の王ヴィジャヤバーフ1世

1070年、スリランカ南部のルフナ国の王になったヴィジャヤバーブ1世がチョーラ朝のセイロン首都ポロンナルワを攻め、ポロンナルワとアヌラーダプラを奪還して、チョーラ朝をセイロン島から追い出し、ポロンナルワ王国を建国します。
ヴィジャヤバーフはポロンナルワを首都として、「ヴィジャヤ・ラジャ・
プラ」と名付けます。
53年間のチョーラ朝の支配と戦争によって、スリランカでの仏教は荒廃し、十分な仏教僧が見つかりませんでした。
そこで、ヴィジャヤバーブ1世はミャンマーのパガン王国建国の王アノーヤターに依頼して、仏教僧と仏教経典を送ってもらい、仏教の再興をします。

ポロンナルワに仏歯寺を建立したヴィジャヤバーフは、アノーヤターに仏歯のレプリカを送り、それがパガンのLawkananda Pagodaに納められたと言われています。
また、ミャンマーのパコックにあるThihoshin PagodaはヴィジャヤバーフI世の支援で、パガン王朝3代目の王アラウンシードゥーが建てたものと言われています。

ヴィジャヤバーフ1世はスリー・パーダの参詣道も整備します。
そして、ポロンナルワはミャンマーやタイからも仏教僧が訪れるほどに繁栄する仏教都市に成長していきます。

スリランカ陸軍には、ヴィジャヤバーフ歩兵連隊という王の名から命名された部隊があります。

■ヴィジャヤバーフ1世関連の主な遺跡
八聖堂(Atadage)
碑文(Inscription)

八聖堂(Atadage)

全盛期の王パラークラマバーフ1世

ポロンナルワは巨大な貯水池の東側に広がっていますが、この貯水池を作ったのがパラークラマ・バーフ1世です。
貯水池の名前はパラークラマ・サムドラといい、サムドラは海という意味で、「パラークラマの海」という意味になります。まさに海のように巨大な貯水池です。

多くの寺院・仏像を建て、216もの貯水池を新設あるいは改修し、現存する城壁も作っており、ポロンナルワに残る遺跡の中で、パラークラマバーフ1世に関連する建築物が最も多いです。

ポロンナルワ王国3代目のヴィクラマバーフ1世のときに、ポロンナルワはラジャ国、ダッキナデサ国、ルフナ国に分かれます。
ダッキナデサ国の王になったパラークラマバーフ1世は、ラジャ国のガジャバーフ2世を倒してポロンナルワ王国の5代目の王となります。
その後、ルフナ国のマナブハラナを倒してルフナ国も統治し、スリランカを統一しています。

ミャンマーのパガン朝に遠征して、5代目の王ナラトゥーを殺害したと言われていますが異説もあります。
友好関係を持っていた二国でしたが、ナラトゥーがスリランカの使節を投合し、積荷などを没収したことにパラークラマバーフが怒り、海軍の大軍を送り込んだと言われています。

南インドのパーンディヤ朝にも遠征して、聖地ラメスワラに要塞「パラークラマ・プラ」を建設し、30年ほど統治します。

スリランカ海軍はパラークラマバーフという王の名から命名された船を2隻保有しています。

■パラークラマバーフ1世関連の主な遺跡
パラークラマバーフ1世の宮殿(The Royal Palace)
パラークラマバーフ1世の閣議場(Council Chamber)
王子の池(Kumara Pokuna)
城壁
ヴァタダーゲ(Vatadage)
アラハナ・プリヴェナ(Alahana Privena)
ガル・ヴィハーラ(Gal Vihara)
デマラ・マハー・サーヤ(Demala Maha Seya)
パラークラマ・サムドラ(Parakrama Samudra)
ポトゥグル・ヴィハーラ立像(Pothgul Vihara Statue)
パバル・ヴィハーラ(Pabalu Vihara):パラークラマ・バーフ1世の王妃Rupawathi
キリ・ヴィハーラ(Kiri Vihara):パラークラマ・バーフ1世の王妃Subhadra

宮殿跡(The Royal Palace)

 

ヴァタダーゲ(Vatadage)

 

ガル・ヴィハーラ(Gal Vihara)

 

パラークラマ・サムドラ(Parakrama Samudra)

 

ポトゥグル・ヴィハーラ立像(Pothgul Vihara Statue)

全盛期の中継ぎニッサンカ・マーラ

パラークラマバーフ1世の後は在位1年未満の王が二人続き、実質的な後継者は8代目の王ニッサンカ・マーラでした。

ニッサンカ・マーラはインドのカリンガ国の王家の血筋で、スリランカ建国の王ヴィジャヤの出身であるシンハプラで生まれたとも伝えられています。
これは自身が統治することの正当性を担保しようとしたものとされています。

ニッサンカ・マーラは仏教を奉じるものがスリランカを統治すると宣言し、パラークラマバーフ1世のように多くの仏教建築を改修・建設しています。
世界遺産「ダンブッラの石窟寺院」の改修をしたことでも知られています。

ニッサンカ・マーラは南インドのラメスワラムを引き続き統治し、パーンディヤ朝、チョーラ朝に攻め込んでいます。ミャンマーやカンボジアの王朝とは友好的な関係を持ちます。

有料遺跡エリアの北側を含めエリアは、ニッサンカ・マーラ・プラ(Nissankamallapura)、あるいはスリ・ニッサンカ・マーラ・プラ(Sri Nissankamallapura)という町の名前、住所になっています。

ニッサンカ・マーラ関連の主な遺跡
六十聖堂(Hatadage)
石の本(Gal Potha)
ラター・マンダパヤ(Nissanka Latha Mandapaya)
黄金尖塔の仏塔(Rankoth Vehera)
ニッサンカマーラの施しのパヴィリオン(Nissanka Pavilion)
ニッサンカマーラの沐浴場(Royal Bath)
ニッサンカマーラの閣議場(Council Chamber of King Nissanka Malla)

 

六十聖堂(Hatadage)

 

石の本(Gal Potha)

 

ランコトゥ・ヴェヘラ(Rankoth Vehera)

 

ラター・マンダパヤ(Nissanka Latha Mandapaya)

南インドのパーンディヤ朝により滅亡

パラークラマバーフ1世の妻リラヴァティがポロンナルワ王国の最後の王位に着きますが、パーンディヤ朝のパラークラマ・パーンディヤ2世に占領されます。

パラークラマ・パーンディヤ2世によって3年間統治された後に、インドのカリンガ国からきたと言われるカリンガ・マーガがパラークラマ・パーンディヤ2世を倒します。

カリンガ・マーガはジャフナ王国を建国し、シンハラ王朝はヴィジャヤバーフ3世がダンバデニヤに遷都し、ダンバデニヤ王国を建国します。

パラークラマバーフ3世による復興

ダンバデニア王国の5代目の王パラークラマバーフ3世はポロンナルワに住み、ポロナルワを再興して、ダンバデニア王国を統治しました。
その後のダンバデニアの王は6〜8代目とクルネーガラから王国を統治し、その後、ガンポラ王国になります。

■パラークラマバーフ3世関連の主な遺跡
ランカティラカ(Lankatilaka)
ティヴァンカ仏堂(Tivanka Image House)

ランカティラカ

 

ティバンカ仏堂

まとめ

スリランカの世界遺産「古都ポロンナルワ」を築いたポロンナルワ王朝が、インドの世界遺産「大チョーラ朝寺院群」を築いたチョーラ朝、ミャンマーの世界遺産「バガン」を築いたパガン王国と関係していることを見ると、世界は昔からつながっていたのだなと思います。

他国(横)との位置づけ、時系列(縦)での位置づけが分かる、ポロンナルワの遺跡への理解も深まるかと思います。

実際に訪れて、壮大な遺跡群を感じてみてください。

ポロンナルワへの旅行をアレンジする

ポロンナルワは世界文化遺産が集まる文化参画地帯に位置しています。
バンダラナイケ国際空港やコロンボとの間に観光スポットが多くありますので、各地を見て回る場合には車をチャーターするのが便利です。
ポロンナルワへの旅をご検討されている方、ご相談をご希望の方は以下のフォームよりお問い合わせください。

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    参照

    Wikipedia「Polonnaruwa Period」
    Wikipedia「Kingdom of Polonnaruwa」
    ウィキペディア「パーンディヤ朝」

    ウィキペディア「チョーラ朝」
    Wikipedia「Rajaraja I」
    ウィキペディア「ラージェーンドラ1世」
    Wikipedia「Vijayabahu I of Polonnaruwa」
    WikipediaAnawrahta」
    Wikipedia「Lawkananda Pagoda」
    Wikipedia「Parakramabahu I」
    ウィキペディア「ナラトゥー(パガン王朝)」
    Wikipedia「Nissanka Malla of Polonnaruwa」
    ウィキペディア「ラーメーシュワラム」
    Wikipedia「Parakrama Pandyan II」
    Wikipedia「Kalinga Magha」