茶・紅茶・リプトンの起源が分かる!磯淵猛著『一杯の紅茶の世界史』
日本を代表する紅茶専門家で、スリランカの紅茶産業にも大きく貢献された磯淵猛氏による、茶・紅茶の歴史」をまとめた本『一杯の紅茶の世界史』をご紹介します。
茶の起源、紅茶の起源、アフタヌーンティーの起源など、紅茶の歴史に関わる起源となる土地を実際に訪れた著者が、現地の人から聞いた話など、すでにある文献から分かっていることに加えて、そうしたヒアリングをもとにして、明確になっていない茶や紅茶の起源に迫る内容になっています。
茶、紅茶の歴史を知ると、ミルクティーやレモンティーなどがどうして飲まれるようになったのかが分かります。
そして、その歴史的背景や土地柄を知ると、日本でなかなか美味しい紅茶に出会えない理由も見えてきます。
ブランド意識や憧れという人が抱くイメージと、その土地の水質・気候によって変わる味・香りが生み出す違いを知ると、茶・紅茶の奥深さを知るとともに、あまり頭で考えすぎずに、自分が美味しいと思ったものを飲むこと、美味しくないと思ったものは美味しく飲むために工夫することが大切だなと思います。
本書の章立てとは異なりますが、本書で紹介されている内容を中心に、ネット上で補足で調べた内容を加筆して、以下に茶・紅茶に関わる出来事の起源をまとめました。
目次
- 1 茶の起源
- 2 二大品種「中国種」と「インド種」
- 3 茶の祖「陸羽」
- 4 広東語「チャ」と福建語「テ」
- 5 中国茶の種類
- 6 プーアール(普洱)茶の起源
- 7 紅茶の起源
- 8 イギリス人が緑茶ではなく紅茶を好んだ理由
- 9 ラプサンスーチョンの起源
- 10 アールグレイの起源
- 11 トワイニングの起源
- 12 フォートナム&メイソンのアールグレイの起源
- 13 アフタヌーンティーの起源
- 14 アッサム茶の起源
- 15 ダージリン茶の起源
- 16 CTC紅茶の起源
- 17 セイロン茶の起源
- 18 リプトン茶の起源
- 19 ティーバックの起源
- 20 アイスティーの起源
- 21 レモンティーの起源
- 22 ミャンマーの茶文化
- 23 アイルランドの茶文化
- 24 東アフリカの紅茶
- 25 まとめ
茶の起源
『茶の起源を探る』の著者の橋本実さんは各地の茶葉を集めてクラスター分析を行い、茶の発祥地は中国の貴州、四川、雲南あたりであると考えていると、本書に引用されています。
雲南省最南端の西双版納(シーサンパンナ)タイ族自治州で最高樹齢の茶の木が続けて発見されています。。
1961年、シーサンパンナにある巴達山の標高1,300mのジャングルの中で樹齢1,700年の茶の巨木が発見。
1965年、シーサンパンナにある南糯山の標高1,200mの地で、樹齢800年の大茶樹が発見。
シーサンパンナの少数民族で最も人口が多いのがタイ族です。
タイ族は元々は長江中流域に住んでいた民族です。
長江から南下して中国南部(華南:広東省・広西チワン族自治区・福建省・江西省・湖南省・貴州省・四川省・雲南省など)へ、さらに南下して、ベトナム・ラオス・タイ・ミャンマーの国境に近い山岳地域へ、さらに南下してタイへ。そこから一部が西に移動し、ミャンマー国境近くの山岳地域のインドのアッサムに移動しています。
本書では磯淵さんがお茶文化を持つタイ系の少数民族が多いミャンマーやインド・アッサムを訪れ、茶を飲んだり食べたりする習慣を記されています。
地域名や民族名を調べると、タイ族が多い地域とお茶が古くから栽培されてきた地域と重なります。
■タイ族が多い地域
中国・貴州の黔東南ミャオ族トン族自治州(タイ・カダイ語族のトン族)
中国・貴州の玉屏トン族自治県(タイ・カダイ語族のトン族)
中国・雲南省のシーサンパンナ・タイ族自治州(タイ・ルー族)
中国・雲南省の文山チワン族ミャオ族自治州(チワン族)
広西チワン族自治区(チワン族=ヌン族)
ベトナムの中国国境付近(タイー族、ヌン族=チワン族)
中国・雲南省の徳宏タイ族チンポー族自治州(タイ・ルー族)
ミャンマーのカチン州(カチン族=チンポー族)
ミャンマーのシャン州(シャン族=タイ・ヤイ族)
ラオス(ラーオ族=タイ族の一派)
インドのアッサム州(タイ・カムティ族)
二大品種「中国種」と「インド種」
上記のように現在ではタイ族が広めた茶は同一であるとする一元説が有力とされていますが、これまでは1919年にオランダの植物学者コーヘン・スチュアートが二元説を主張していました。
1:中国種。温帯に育つ低木樹。通称はボーヒー。中国の東南部、福建省、台湾、日本に生育する。
2:印度種。熱帯に育つ高木樹。通称はアッサム。中国の雲南省からインドのアッサムに生育する。
二つの種類の葉の大きさから違う種だとし、欧米の学者たちから支持を得ました。
茶の祖「陸羽」
最初に茶を体系化したのは、唐の時代の陸羽です。
陸羽は湖北省の出身と言われ、戦を避け・茶を求めて、浙江省に移り住み、「茶は南方の嘉木なり」と述べたとされています。
この時代は団茶が主流だったようです。
日本にお茶を伝えたのは遣唐使として中国に渡った天台宗の祖・最澄と、真言宗の祖・空海です。
宋の時代になると、福建省北部に皇室御用の茶を栽培する北苑が作られ、その後、福建省北部の武夷山が名産地とされ、武夷岩茶は現在も中国十大銘茶の一つになっています。
また、抹茶が飲まれるようになります。
明の祖、洪武帝は茶を葉茶のまま飲むように命じ、抹茶が中国で廃れます。
すでに抹茶を導入した日本では、抹茶がそのまま残ります。
清になると、宮廷では夏に緑茶、冬にプーアール茶を飲むようになり、プーアール茶には牛乳を入れたとも言われています。
広東語「チャ」と福建語「テ」
タイ・カダイ語族のチワン族が住む「広西チワン族自治区」の東隣の広東省では茶を「チャ」と発音し、広東省の東隣の福建省では「テ」と発音します。
世界でのお茶の呼び方は、この「チャ」系統と「テ」系統の2つがあります。
それぞれ西側に行くと、「イ」が後について、「チャイ」、「ティー」となります。
■チャ
北京語、朝鮮語、韓国語、日本語、チベット語、ベトナム語、タイ語、タガログ語、ポルトガル語(ポルトガルは現在はシャという)■チャイ
ヒンディー語、モンゴル語、ペルシャ語、トルコ語、アラビア語、スワヒリ語、ギリシア語、ルーマニア語、ブルガリア語、セルビア語、チェコ語、ロシア語■テ
閩語(福建省)、インドネシア語、マレー語、シンハラ語、タミル語■ティー
オランダ語、英語、ドイツ語、ハンガリー語、ヘブライ語、フランス語、スペイン語、イタリア語、フィンランド語、スウェーデン語、ノルウェー語
「チャ」は主に陸路で北インド・中央アジア・西アジア・東欧などに伝わり、「テ」は福建省からオランダ東インド会社によって海路でインドネシア・マレーシア ・セイロン・南インド・西欧・北欧・南欧などに伝わったものとされています。ポルトガルは広東のマカオを植民地にしており、海路で広東と直接繋がっていたため、西ヨーロッパにありながら例外的に「チャ」が伝わっています。
中国茶の種類
茶は最初に中国で発展しますが、中国では茶葉が発酵した度合いで6種類に分けられ、花の香りを付着させた花茶を加えると7種類に分けられます。
1.緑茶:無発酵茶。中国での全生産量の70%を占めます。
2.白茶:微発酵茶。
3.黄茶:弱後発酵茶。
4:青茶:半発酵茶。発酵度30〜60%。烏龍茶。
5.紅茶:完全発酵茶。発酵度60〜100%。
6.黒茶:後発酵茶。緑茶にコウジカビを加えて半年から数年間かけて発酵させたプーアール(普洱)茶など。
プーアール(普洱)茶の起源
プーアール(普洱)茶は雲南省普洱市からついた名前ですが、普洱市には茶畑も茶工場もありません。
普洱市で主に飲まれているのは緑茶で、日本人がイメージするプーアール(普洱)茶は黒茶と呼ばれます。
普洱市とチベットをつなぐ「茶葉古道」があります。
雲南省各地で取れた茶が普洱市に集められ、茶は長い山道を運ばれるうちに、発酵し、中国や雲南省の人たちがあまり飲まない黒茶(プーアール茶)になってチベットに運ばれました。
バターをはじめとした乳製品と干し肉が主なチベットの食生活と黒茶(プーアール茶)はマッチしたのではないかと著者は考えていますが、黒茶の歴史は明確には分かっていないそうです。
紅茶の起源
福建省と江西省の境にある武夷山脈。その標高1,000mの桐木(トンムー)村がヨーロッパに持ち込まれた紅茶の元祖。
この地で作られた茶は「正山小種(チェンシャンシヤオチョン)」といい、正山とは武夷山脈のことで、小種は量が少ないことを意味します。
つまり、武夷山脈に自生する希少な茶のことを言います。
武夷山市は中国十大銘茶の一つ「武夷岩茶(青茶・烏龍茶)」の産地です。
山で摘まれた茶が、山道を運ばれているうちに発酵しすぎてしまい、良い青茶が作れない状態になったものが紅茶の起源ではないかと著者は考えます。
著者が現地を訪れた際は、茶を作ってきた一族の人が言ったそうです。
「イギリス人がボーヒー(武夷山の意味)と呼ぶ紅茶は、桐木村の失敗した紅茶から生まれたものです。」
世界三大紅茶産地とされる安徽省黄山市祁門県のキーマン(祁門)茶。
祁門県も元々は緑茶を作っていた土地だそうです。
イギリス人が紅茶を好むことから紅茶を生産し、世界三大紅茶と称されるほどになりますが、祁門県の人たちが飲むのは緑茶です。
祁門紅茶の90%は輸出用で、中国国内の人たちは緑茶を飲むのです。
正山小種は茶葉を乾燥させる際に、周囲にある松の木を燃やすため、茶葉に煙の香りがつくため、独特な香りがします。
イギリス人が緑茶ではなく紅茶を好んだ理由
最初に茶をヨーロッパに運んだオランダは当初、中国人と同様、緑茶を主に運んでいました。
ところが段々と紅茶の取り扱いが増えていきます。
そして、イギリスが覇権を握ると、ますます紅茶が重宝されます。
ロンドンの硬度の高い水で緑茶をいれても、タンニン(カテキン類)が出ず、味と香りが弱くなってしまいます。
一方、発酵茶(紅茶)は中国の水ではタンニンが強すぎてしまいますが、ロンドンの水ではマイルドになり、ほど良い味になります。
そして、水色は茶よりも先にヨーロッパに普及したコーヒーの色に近く、親しみがあり、美味しく見えたのではないかと言います。
ラプサンスーチョンの起源
イギリス人にとって、武夷山は紅茶の聖地で、武夷山脈産の紅茶はブランド価値がありました。
ところが武夷山脈に自生する茶(正山小種)はあまり取れません。
そこで、中国の茶葉商人は、別の山から茶を取り、正山小種として売ります。
イギリス茶商人が強い味や香りを求めたため、中国の茶商人はその茶葉で、松の煙で燻製にします。
そうして誕生したのが、ラプサンスーチョンです。
アールグレイの起源
グレイ伯爵が海軍大臣を務めていた1806年、中国に派遣されていた使節団が、武夷山の紅茶を土産として彼に贈りました。
グレイ伯爵は、その桐木村の正山小種を気に入り、これをもっと飲みたいとロンドンの茶商人に注文します。
当時、正山小種は生産量が少なく、手に入れるのが難しかったため、茶商はそれに替わるものとして、グレイ伯爵紅茶(アールグレイ)を作ります。
アールとは伯爵という意味です。
正山小種は松の煙の香りがついていますが、その代わりにシチリア島のベルガモットを使って香りをつけ、アールグレイを作りました。
このアールグレイを作った茶商人がトワイニング家4代目のリチャード2世・トワイニングです。
トワイニングの起源
初代トーマス・トワイニングは東インド会社のもとで働き、1706年に「トムのコーヒーハウス」をロンドンのストランドに開店しました。
コーヒー、茶、ワイン、リキュール、セイロンのヤシ油、砂糖、タバコなど多様なものを扱っていました。
トムのコーヒーハウスには貴族や上流階級の人たちが集まりました。
3代目のリチャード・トワイニングはインペリアル保険会社の会長、東インド会社の理事に推薦されています。
4代目のリチャード2世は、ヴィクトリア女王即位の1837年にトワイニング家に王室御用達の許可書が与えられています。
フォートナム&メイソンのアールグレイの起源
紅茶好きの中でも変わった香りがすることで知られる、フォートナム&メイソンのアールグレイは、強烈な松の煙の香りがするラプサンスーチョンに、ベルガモットで着香したものです。
フォートナム&メイソンの創業は1707年、アン女王に仕えたウィリアム・フォートナムがピカデリー街に開いた食品雑貨店が始まるです。
2代目のチャールズ・フォートナムの時代に茶を扱うようになります。
アフタヌーンティーの起源
ロンドンから北約100キロにあるベッドフォードシャーに、400年に渡って引き継がれてきたウォーバンアビーと呼ばれるベッドフォード公爵邸があります。
7代目のフランシス・ベッドフォード公爵の夫人「アンナ・マリア」が午後3時〜5時に、サンドイッチや焼き菓子を食べ、お茶を飲むことをはじめます。
アンナ・マリアは友人(婦人)を応接間に通して、もてなし、それが女性の午後の社交場として広まり定着したのがアフタヌーンティー。
現在、アフタヌーンティーを楽しむと、お腹いっぱいで夕食を食べられなかったり、あるいはアフタヌーンティーのためにランチを抜いたり控えめにする必要があります。
なぜ、このような習慣が広まったかは、当時の貴族の食生活を知ると分かります。
朝食はイギリスで最も美味しい料理とも言われる、贅沢に食材が山盛り出されるフル・ブレックファスト(イングリッシュ・ブレックファスト)を食べ、ランチは少量のパンや干し肉、フルーツで済ませ、夕食は社交を兼ねた晩餐会は夜8時から音楽会や歓迎の後でした。そのため、ランチと夕食の間の空腹を満たすために始められたのではないかとされています。
アッサム茶の起源
1833年、インドとミャンマーの国境に近い、インド・アッサムの東部シブサガルで、ジュンポー族の族長に出会ったイギリスの海軍少佐ロバート・ブルースは現地に茶の木があることを知ります。翌年、第一次イギリス・ビルマ戦争が起こり、弟のチャールズ・ブルースがアッサム東部に派遣され、茶の木に出会います。
アッサムはタイ族をルーツとする少数民族が住んでいます。
長江流域から移動したタイ族は雲南地方ではドアン族と呼ばれ、そこからミャンマーに移動した人たちはシャン族と呼ばれ、さらにアッサム地方に移動した人たちはジュンポー族と呼ばれました。このタイ族の移動とともに茶もアッサムにやってきたと著者は考えています。
イギリスは中国からの茶の大量輸入で貿易不均衡に陥っているアヘン戦争直前の時代でした。イギリスは自国領土内での茶の栽培を求めていました。そんななか、
スコットランド出身で、10代でインドに渡り、イギリス東インド会社の小売り商人として働き、海軍に入隊したブルース兄弟がアッサムで茶を発見したのです。
ダージリン茶の起源
アッサムで茶の木が発見され他ことを受けて、インド総督のウィリアム・ベンティンク卿は茶業委員会を設立し、アッサムでの茶の栽培を計画します。
ベンティンク卿は、製茶技術を習得するため、書記官のジェームズ・ゴードンを中国に派遣します。
ゴードンは製茶技術を伝える中国人に加えて、茶の苗木や種も持ち帰り、インド各地に植えます。
イギリス人の中国茶へのブランド意識が高かったことの現れではないかと著者は言います。
インドでの、中国の苗の栽培は尽く失敗しますが、唯一の例外となったのがダージリン地方でした。
ダージリン茶が格段の扱いをされているのも、イギリス人の「中国種の方が上等」という信仰の名残りではないかと著者はいいます。
CTC紅茶の起源
アッサム茶がロンドンで高い評価を受けて、ロンドンで設立され、チャールズ・ブルースも参画したアッサムカンパニー。
アッサムカンパニーの中にジョージ・ウィリアムという人がいました。
多くの役員や学者が中国種の苗木に固執する中、アッサムの地にはアッサム原種が適当であり、アッサム茶の特徴を活かした製法を始めます。
それがCTC製法です。
C(Cruchつぶす)T(Tear引き裂く)C(Curl丸める)の作業を一貫して行うので、CTCと呼ばれています。
この製法によって作られる茶は細かい顆粒状になります。
中国では仕上げの段階で釜炒りをし、茶の渋みを緩和し、香りをよくします。
アッサムではこれを省略し、味・香り・水色を濃厚にしたものを作ります。
CTC紅茶の特徴は色が濃く出ることと、抽出時間が30秒から1分と短時間であるためティーバッグに向いています。
OPタイプは茎や軸を除去して作るので、生葉から紅茶にする時の仕上がり率が30%に対して、CTCタイプはこれらを除かずに全てを含めて加工されるので、仕上げり率は60%と生産量が倍になります。
こうして、アッサムは世界最大の紅茶産地となります。
セイロン茶の起源
アッサムでの茶の栽培に成功したイギリス人たちが、次に目をつけたのがセイロン島(現スリランカ)です。
イギリスでセイロンを植民地にする前に支配していたオランダは、ゴールから山岳地帯にかけて地域でコーヒー栽培をしていました。
イギリスもコーヒー栽培を拡大させる一方で、1839年にカルカッタ植物園からアッサム種の苗木がペラデニア植物園に運ばれます。
セイロンで茶の栽培と製茶を独自の方法で成功させた人物がジェームス・テイラーです。
ジェームス・テイラーはセイロンでコーヒー園で働いてた従兄弟の誘いで、コーヒー園で働くために17歳でスコットランドからセイロンに渡航します。
ジェームスが雇われたのは、セイロンで最も大きいコーヒー園だったとも言わられる、デルトタにあったナランヘナコーヒー園です。
セイロンがコーヒーさび病の影響で、コーヒー栽培に大きなダメージを受けると、ナランヘナの農園主はアッサムから茶の苗木を手に入れます。
農園主はジェームスにデルトタのルーラコンデラでの栽培を指示します。
ジェームスは茶の栽培を成功させます。
そうして、ルーラコンデラはセイロンティーの発祥地となり、現在もセイロン初の茶園「ルーラコンデラ茶園」、セイロン初の茶工場「ルーラコンデラ工場」は稼働しており、ジェームス・テイラーのバンガローなど、彼の足跡が保存されています。
リプトン茶の起源
スコットランドのグラスゴー出身のトーマス・リプトンの両親はジャガイモ飢饉でアイルランドから逃げてきた難民でした。
リプトンは両親の反対を押し切り、13歳で蒸気船のキャビンボーイとなり、15歳で渡米します。
南部のタバコ農園などで働いた後に、ニューヨークの百貨店で働き、500ドルの貯金をして19歳で帰国し、21歳の時にグラスゴーで自分のお店を開業します。
開業10年後には店舗数20店、従業員数800人まで拡大させます。
リプトンは紅茶が量り売りのため、顧客が長い行列を作っていることに着目し、1ポンド、1/2ポンド、1/4ポンドを袋詰めにして、並ばずに購入できるようにし、紅茶の売上を伸ばします。
さらに、イギリス国内でも水質によって茶の味が変わることにも注目し、地方ごとに紅茶のブレンドを変え、その地方の名前を関する紅茶を販売します。これがあたり、さらに紅茶ビジネスを拡大させます。
1890年、リプトンはセイロン島に渡り、ウバ地方の土地を購入し、ダンバテン茶園の経営に乗り出します。
リプトンは「茶園から直接ティーポットへ」というキャッチフレーズで世界に紅茶を販売します。
リプトンが建てたダンバテンのバンガローは今日も保存され、茶園を見下ろす山の上には、朝日の絶景が楽しめる「リプトンズ・シート」があります。
コロンボにあった包装工場の跡地は、リプトン・サーカスという名前で残されています。(現在の名称はデ・ソイサ・サーカス)
ティーバックの起源
アメリカの茶の輸入業者は、茶の見本を錫の容器に入れて小売業者に送り、その茶を試してもらって注文を取っていました。
1908年にある茶商人が、この錫の容器の費用を惜しんで、茶の見本を錫よりも安い絹の袋に入れて送ったところ、小売人は、一杯分の茶葉をその袋に入れて売ることを思いつきます。
このティーバッグの生産にいち早く取り組んだのがリプトン社でした。
リプトンはアメリカに本拠地を設けます。
一方、紅茶事業の老舗で、王侯貴族を顧客としていたトワイニングはティーバッグの生産は行いませんでした。
アイスティーの起源
1904年7月にセントルイスで開催された万国博覧会に出展していたイギリス人のリチャード・ブレンチンデンは熱い紅茶は健康に良いとPRしても、猛暑の中で全く売れませんでした。
そこで、紅茶に氷を入れたところ、暑さで喉を乾かしていた見物人たちが殺到して、大繁盛したといいます。
今もアイスティーの需要で世界一はアメリカです。
レモンティーの起源
アメリカのレモン農園の人が冷めた紅茶にレモンを放り込んだところ、爽やかな香りがして紅茶によく合い美味しかったということが、レモンティーの起源のエピソードとされています。
アメリカにはフロリダやカリフォルニアにレモン農園があります。
第二次世界大戦後にアメリカ文化を急速に取り入れた日本では、日本のみかんとは異なる柑橘類のレモンを入れたレモンティーが普及します。
乳文化を持たない日本人には、イギリスのミルクティーよりもレモンティーがあっていたのではないかと著者はいいます。
ただ、日本の軟水で紅茶をいれると、アメリカの硬水でいれるよりも渋みが強くなり、かつ、レモンの皮から出るオイルの苦味と重なって、香りは良いが渋味が強くなりすぎてしまいます。
ミャンマーの茶文化
ミャンマーは古くから茶を生産する土地で元々は緑茶を飲む地域でした。
イギリスが植民地にした際に、コーヒーと紅茶を持ち込んでいます。
イギリスと同様にミルクを取り入れたものですが、ミャンマーには新鮮な牛乳が流通しておらず、暑さの中では保存もきかないため、ミルクがコンデンスミルクになりました。
アイルランドの茶文化
世界で一人当たりの年間紅茶消費量が一番多いのはアイルランドです。
アイルランドの一番の紅茶の老舗はビューリーズ。
ビューリーズの誇る紅茶のブレンドは、アイリッシュ・ブレンドと呼ばれ、アイルランドの水質と風土に合わせた配合になっています。
東アフリカの紅茶
イギリスの植民地だったインド、スリランカで紅茶栽培が始められたのと同様に、イギリスの植民地であったケニア、マラウィ、ウガンダ、タンザニアでも紅茶が作られています。
特にケニアの生産量・輸出量は世界3位になています。
まとめ
私はこの本がきっかけで、飲食物・作物の歴史に興味を持ち、片っ端から「〇〇の世界史」、「〇〇の道」と題された本を読み始め、その背景にある民族や宗教、王朝の歴史などを読むようになりました。
いくつも「〇〇の世界史」、「〇〇の道」というタイトルの本を読んで、気づいたことがあります。
それは文献をあたってまとめ上げた本と、現地に入り込みフィールドワークをした上で書き上げられた本があることです。
実際に現地に入り、その土地に住む人たちと会話をし、直接得られた情報が記されている本の方が一段と濃密で、大変興味が湧きます。
そして、この本はまさに、著者が茶の歴史にまつわる場所を歩いて集めた情報がまとめられている本です。
それぞれの土地の様子や現地の人たちとのやりとりから想像が膨らむ文章が綴られていますので、ぜひ本を手にして、原文をお読みください。
関連記事
参照
ウィキペディア「茶」
ウィキペディア「タイ・カダイ語族」
ウィキペディア「黔東南ミャオ族トン族自治州」
ウィキペディア「玉屏トン族自治県」
ウィキペディア「シーサンパンナ・タイ族自治州」
ウィキペディア「広西チワン族自治区」
ウィキペディア「ヌン族」
ウィキペディア「文山チワン族ミャオ族自治州」
ウィキペディア「徳宏タイ族チンポー族自治州」
ウィキペディア「カチン族」
ウィキペディア「シャン族」
ウィキペディア「チワン族」
ウィキペディア「タイー族」
ウィキペディア「ラーオ族」
ウィキペディア「アッサム州」
Wikipedia「Dai people」
ウィキペディア「黄金の三角地帯」
東南アジアの茶
プーアール茶.com「西双版納の江南の茶山について」
ウィキペディア「ハニ族」
ウィキペディア「タイ族」
ウィキペディア「正山小種」
ウィキペディア「武夷岩茶」
ウィキペディア「中国十大銘茶」
ウィキペディア「陸羽」
ウィキペディア「遣唐使」
Wikipedia「Delthota」
アフタヌーンティー発祥の地「ウォーバンアビー」へ日帰り旅行
ウィキペディア「フル・ブレックファスト」
世界で紅茶の生産量が多いのはどこの国?紅茶生産量統計ランキング
“紅茶”のデータ、世界一はどこ?
緑茶・紅茶・ウーロン茶・プーアル茶の違い
「旅と町歩き」を仕事にするためスリランカへ。
地図・語源・歴史・建築・旅が好き。
1982年7月、東京都世田谷区生まれ。
2005年3月、法政大学社会学部社会学科を卒業。
2005年4月、就活支援会社に入社。
2015年6月、新卒採用支援事業部長、国際事業開発部長などを経験して就職支援会社を退社。
2015年7月、公益財団法人にて東南アジア研修を担当。
2016年7月、初めてスリランカに渡航し、会社の登記を開始。
2016年12月、スリランカでの研修受け入れを開始。
2017年2月、スリランカ情報誌「スパイスアップ・スリランカ」創刊。
2018年1月、スリランカ情報サイト「スパイスアップ」開設。
2019年11月、日本人宿「スパイスアップ・ゲストハウス」開始。
2020年8月、不定期配信の「スパイスアップ・ニュースレター」創刊。
2023年11月、サービスアパートメント「スパイスアップ・レジデンス」開始。
2024年7月、スリランカ商品のネットショップ「スパイスアップ・ランカ」開設。
渡航国:台湾、韓国、中国、ベトナム、フィリピン、ブルネイ、インドネシア、シンガポール、マレーシア、カンボジア、タイ、ミャンマー、インド、スリランカ、モルディブ、アラブ首長国連邦、エジプト、ケニア、タンザニア、ウガンダ、フランス、イギリス、アメリカ
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