バレンタインデーの起源とスリランカにおけるバレンタインデー
本日、2月14日はバレンタインデーですね!
コロンボでは、5つ星ホテルやレストランが、バレンタインデーのスペシャルディナーを用意しています。
また、店内をバレンタインデー仕様に飾るカフェやバーも多くあります。
予約せずにバレンタインデーの雰囲気を楽しめる場所も多く、日本では夜は寒い時期ですが、コロンボであればルーフトップバーから夜景を見ながら楽しむこともできます。
本記事では、バレンタインデー、バレンタインデーのコロンボの様子について紹介します。
目次
バレンタインデーの起源はイタリア
バレンタインデーは、269年にイタリアのテルニで殉教した聖バレンタインに由来する恋人同士が愛を祝う記念日とされています。
聖バレンタインは、各言語で以下のように呼ぶようです。
英語:セイント・ヴァレンタイン
フランス語:サー・ヴェローンタ
ドイツ語:ハイリガー・ワレンティーン
ロシア語:シリトイ・ヴァレンティン
イタリア語:サン・ヴァレンティーノ
ラテン語:サンクトゥス・ウァレンティヌス
西方教会ではバレンタインデーに男女が赤いバラ・チョコレート・カードを交換しあいます。
東方教会では恋愛には結びついていないそうです。
スリランカのキリスト教徒の多数は西方教会(カトリック)です。
スリランカでは、バレンタインデーディナーを楽しんだり、プレゼントを交換します。
古代ローマのルペルカーリア祭を取り込んだヴァレンタインデー
クリスマスは古代ローマのミトラ教の太陽神生誕祭や北欧ゲルマン人の冬至祭を、
ハロウィンはケルト人のサフィン祭やアステカ文明の死者の日を、
それぞれ取り込んだお祭りのようですが、
ヴァレンタインデーは、古代ローマのルベルカーリア祭を取り込んだお祭りのようです。
ルペルカーリア祭は男女のお祭りでした。
ルペルカーリア祭の前日(2月14日)に未婚の女性たちはくじ引きの札に自分の名前を書いて桶の中に入れ、翌日(2月15日)に男性たちは桶から札を1枚引き、その札に書いてある名前の女性とお祭り期間限定のカップルになり、性的に奔放に過ごしたそうです。
性に対して厳格なユダヤ教を引き継ぐキリスト教も性に対して厳格です。
一方で、古代ギリシャは性に対して奔放で、古代ローマは古代ギリシャほどではないですが、自由度が高かったようです。
キリスト教がローマに入った際に、ルペルカーリア祭をヴァレンタインデーに置き換えるため、7月だった聖ヴァレンタインの記憶日を2月14日に移動させたと言われています。
東方教会でヴァレンタインデーが恋愛と結びついていないのは、本来のヴァレンタインデーは恋愛や男女に関係した日ではなかったからでしょう。
西方教会は新天地ローマで布教する際に、ルペルカーリア祭を取り込んで恋愛・男女に関する祝日にする必要があったのでしょう。
西方教会のヴァレンタインデー、ハロウィン、クリスマスは新天地に拡大・布教してきた歴史を物語るイベントとも言えそうです。
ちなみに、キリスト教が入ってくる前の古代ローマでは、2月14日にローマ最大の女神「ユーノー」を祝っていたとも言われています。
ユーノーは「結婚・出産」の女神です。
6月の英語「June」はユーノーに由来し、「6月の花嫁(ジューン・ブライド)」は、6月に結婚することで花嫁にユーノーの加護あるとされる風習です。
クリスマスとハロウィンの起源については、以下の記事を参照ください。
スリランカのバレンタインデーディナー
スリランカのホテルやレストランでは、バレンタインデーディナーを行っています。
本記事ではコロンボにある2ヶ所をご紹介します。
ギャラリーカフェ(Paradise Road The Gallery Cafe )
ジェフリーバワのオフィスをレストランに改装したギャラリーカフェでは例年、バレンタインデーの合わせて店内が装飾され、特別メニューが用意されます。
特別なコースを予約することなく気軽に楽しむことができますので、ふらっと立ち寄って、いつもと違う雰囲気を楽しむことができます。
上の写真はケーキのディスプレイに赤い花が飾られています。
このデスクはジェフリーバワが使っていたもので、写真の奥側にバワは座り、こちら側を向いて仕事をしていたようです。
座席の間のテーブルにも赤い花が飾られています。
ロッジアの天井にはハートが飾られ、赤色のキャンドルに火が灯っています。
通常は白と黒のストライプ柄のテーブルクロスですが、バレンタインデーは赤色のテーブルクロスに、ハートのスタンドが置かれています。
ヒルトン・コロンボ(Hilton Colombo)
ヒルトン・コロンボは、ロビーの正面に、季節のイベント事や毎月設定されている食材のテーマに合わせて飾り付けがされています。
こちらは2020年のバレンタインデーの飾り付けです。
ロビー奥のバーにはステージがあり、大人な雰囲気で演奏が行われていますが、バレンタインデーは赤い照明でバレンタインデー仕様になっていました。
スリランカには深夜0時を過ぎても空いてるお店は少ないですが、ヒルトンは夜遅くまでやっていますので、コロンボ・フォートのレストランで食事した後に2軒目として来るのにお勧めです。
こちらも特に予約せずに楽しむことができます。
コロンボは予約しないでも、ほとんどのお店に入ることができ、素敵なお店にその時の気分で行けるのが良い点だと思います。
ステージ近くのテーブル席や、バーテンダーがいるカウンター席は席数が多くありませんが、ロビーの席も使えますので、大抵は座れますが混雑して座れないこともあります。
ロビー側の席であれば、何も注文しなくても大丈夫です。
逆にバーから離れたロビー側の席だと、注文しようにもスタッフさんを呼ぶのが少し大変です。
日本のバレンタインデーはモロゾフから
日本のバレンタインデーの起源は、ロシア革命を逃れて1931年に神戸でチョコレート店「神戸モロゾフ製菓」を始めた白系ロシア人モロゾフにあるようです。
バレンタインデーが恋愛と結びついていない東方教会のロシア出身のモロゾフは、アメリカ人の友人から、アメリカや西ヨーロッパでは2月14日に愛する人に贈りものをするという習慣があることを聞いたそうです。
モロゾフはロシアからハルビン、シアトルを経て神戸に来ています。
シアトルでは菓子店で働いていたようですので、シアトルでバレンタインデーの習慣について聞いたのかもしれません。
1935年2月から太平洋戦争開戦前の1940年2月まで、モロゾフは東京で発行されていた英字新聞『ザ・ジャパン・アドバタイザー』に、〝バレンタインデーにチョコレートを贈る〟という広告を出しています。
モロゾフ一家は、神戸の材木商である葛野友槌(現モロゾフの初代社長)から出資を受けて、神戸モロゾフ製菓を設立しています。
葛野がモロゾフに財務情報を見せないようになり関係が悪化し、最終的に1941年に両者の問題は裁判まで持ち込まれます。
モロゾフ側は日本語が不自由だったため、結果的に裁判で追い出された形となり、モロゾフ一家はモロゾフ洋菓子店から去るだけではなく、「モロゾフ」や類似した商号を使用して菓子販売をすることを禁じられ、同様の事業をすることも禁じらます。
モロゾフ家にとって厳しい条件ですが、条件を飲まなければロシア革命後の共産主義国家ソビエト連邦へ強制送還すると言われたため、判決をのまざるを得なかったそうです。
モロゾフの本店があった最寄り駅の阪神御影駅南側の広場は2013年に「バレンタイン広場」として整備されており、聖バレンタインゆかりの地とされるテルニ市からの「お墨付き」を得ているそうですが、モロゾフ一家の出身地であるウリヤノフスク(レーニンの出身地に因んで、シンビルスクからレーニンの姓ウリヤノフへ変わった)とも関係があった方が素敵な気がしますが、そうはなっていません。
ヴァレンタインの名を持つ息子「ヴァレンティン・フョードロヴィチ・モロゾフ」
モロゾフから離れたフョードル・ドミトリエヴィチ・モロゾフの子ヴァレンティン・フョードロヴィチ・モロゾフは、「バレンタイン製菓店」を神戸に開業しています。
ヴァレンティンはロシア語で、英語にするとヴァレンタインになります。
フョードル・ドミトリエヴィチ・モロゾフがヴァレンタインデーに目をつけたのは、息子の名前と関係する日だったことも一要因だったのでしょう。
あるいは、息子の名前にするほどですので、聖ヴァレンタインを元々大切にしていたのかもしれません。
フョードル・ドミトリエヴィチ・モロゾフがバレンタインデーの広告を始めた1935年よりも、ヴァレンティン・フョードロヴィチ・モロゾフの誕生日(1911年3月1日)の方が先です。
バレンタイン製菓店は、1945年に神戸空襲で店舗が焼失し、同年に「コスモポリタン製菓」を設立。
コスモポリタン製菓は2006年に廃業しています。
ロシア人に冷たかった日本人
ロシア革命で亡命した人たちを白系ロシア人といいます。
これは共産主義を象徴する赤に対して、帝政ロシアを表す白からきた呼び方です。
ロシア革命で母国を離れた白系ロシア人は日本にも多く亡命したようです。
ゴンチャロフ製菓を設立したマカロフ・ゴンチャロフも白系ロシア人です。
モロゾフと同様に、日本人共同出資者に事業を譲渡して、日本を出国しています。
当時の日本では、亡命してきたロシア人への対応は冷たいものがあったようですが、時代背景的に難しいものがあったようです。
メリーチョコレートカンパニー発祥説と伊勢丹発祥説
メリーチョコレートカンパニーも日本のバレンタインデーの起源の一つとされる会社ですが、創業者はモロゾフの菓子職人だった原堅太郎です。
この堅太郎の次男・原邦生がバレンタインデーフェアを行ない、これが日本初のバレンタインデーイベントと言われているため、メリーチョコレートカンパニーが日本のバレンタインデーの発祥とする説があります。
女性から男性にチョコレートを贈るという習慣は原邦生による仕掛けだったようです。
原邦生によれば、日本の男性が女性にプレゼントをする習慣があまりなかったためチョコレートをプレゼントすることは定着しなかったので、女性から男性に贈るというキャッチコピーに変えたところ徐々に流行りだしたとのこと。
「一年に一度、女性から愛を打ち明けていい日」というキャッチコピーをつけたそうです。
日本のバレンタインデー文化にメリーチョコレートカンパニー、原邦生は大きく影響を与えたようですが、父・原堅太郎がモロゾフで働いていたことからすると、発祥はやはりモロゾフでしょう。
また、初のバレンタインデーフェアが行われた会場である伊勢丹新宿店を日本のバレンタインデーの発祥とする説もあるようですが、戦前にバレンタインデーの広告宣伝を行い、ヴァレンタインと名付けたモロゾフこそ、日本のバレンタインデーの発祥と言えそうです。
まとめ
コンパクトシティーであるコロンボでの暮らしの良い点は、イベント事が身近に楽しめることだと思います。
1年に1回のバレンタインデーですので、雰囲気だけでも味わうのもお勧めです。
YAMUが2021年のバレンタインデー・ディナーにまとめていますので、ご参考までに。
YAMU「VALENTINE’S DAY EVENTS IN COLOMBO – 2021」
>関連記事
https://spiceup.lk/srilankaeaster/
参照)
ウィキペディア「ウァレンティヌス」
ウィキペディア「バレンタインデー」
ウィキペディア「ユーノー」
意外と知らない?バレンタインデーの起源 ~古代ローマの男女の刺激的なお祭り♥ルペルカリア祭~
モロゾフ「日本のバレンタインデーはモロゾフから始まりました」
ウィキペディア「モロゾフ」
ウィキペディア「ヴァレンティン・フョードロヴィチ・モロゾフ」
ウィキペディア「白系ロシア人」
ウィキペディア「ウリヤノフスク」
ウィキペディア「コスモポリタン製菓」
あまーいお菓子のモロゾフのダークでビターな歴史
バレンタインチョコレートの起源 ドロドロの話
ウィキペディア「メリーチョコレートカムパニー」
ウィキペディア「原邦生」
ウィキペディア「ゴンチャロフ製菓」
ウィキペディア「マカール・ゴンチャロフ」
ウィキペディア「ウイスキーボンボン」
ウィキペディア「ナガサキヤ」
「旅と町歩き」を仕事にするためスリランカへ。
地図・語源・歴史・建築・旅が好き。
1982年7月、東京都世田谷区生まれ。
2005年3月、法政大学社会学部社会学科を卒業。
2005年4月、就活支援会社に入社。
2015年6月、新卒採用支援事業部長、国際事業開発部長などを経験して就職支援会社を退社。
2015年7月、公益財団法人にて東南アジア研修を担当。
2016年7月、初めてスリランカに渡航し、会社の登記を開始。
2016年12月、スリランカでの研修受け入れを開始。
2017年2月、スリランカ情報誌「スパイスアップ・スリランカ」創刊。
2018年1月、スリランカ情報サイト「スパイスアップ」開設。
2019年11月、日本人宿「スパイスアップ・ゲストハウス」開始。
2020年8月、不定期配信の「スパイスアップ・ニュースレター」創刊。
2023年11月、サービスアパートメント「スパイスアップ・レジデンス」開始。
2024年7月、スリランカ商品のネットショップ「スパイスアップ・ランカ」開設。
渡航国:台湾、韓国、中国、ベトナム、フィリピン、ブルネイ、インドネシア、シンガポール、マレーシア、カンボジア、タイ、ミャンマー、インド、スリランカ、モルディブ、アラブ首長国連邦、エジプト、ケニア、タンザニア、ウガンダ、フランス、イギリス、アメリカ
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