Spice Up 観光情報サイト スリランカ観光・情報サイト

第二のシーギリヤ!岩山に作られた空中宮殿「ヤーパフワロック」

2021年12月23日

スリランカの王朝が岩山の上に都を建設したシーギリヤ、ダンバデニア、ヤーパフワ、クルネーガラのうち、城跡がよく残っているのは、1代のみの王による統治で都が放棄されたシーギリヤとヤーパフワです。

シーギリヤのように、ヤーパフワは都が置かれる前は古代の仏教僧院でした。

岩山の頂上には古代の仏教僧院跡が残り、
中腹には中世の宮殿跡・仏歯寺跡・石の装飾階段が残り、
山麓にはキャンディ王国(近世)が建設した仏教寺院があります。

岩山を登るごとに時代が遡る遺跡ですが、ハイライトは10ルピー紙幣になった「ヤーパフワライオン」が見られる石の装飾階段です。

本記事では、岩山に築かれた王宮・仏歯寺・仏塔などの跡地「ヤーパフワロック」を紹介します。

ヤーパフワロックとは?

ダンバデニア王国4代目の王ブワナイカバーフ1世(在位1273-1284年)が首都を築いた岩山です。
岩山という守りの堅い場所に遷都したのは、北部のジャフナ王国からの侵攻が繰り返されたことと、国内の内紛が原因だったと言われています。

前史:ダンバデニア王国の建国・ジャフナ王国の建国

カリンガ国を支配していた東ガンガー朝から来た「カリンガ・マガー」が、ポロンナルワの王位についていたパーンディヤ朝の王「パラークラマ・パーンディヤ」を倒し、ポロンナルワを占領します。

シンハラ王朝は南西部の公国ダッキナダサの領域に逃亡し、ヴィジャヤバーフ3世はダンバデニアの岩山に都を築き、ダンバデニア王国を建国します。

ヴィジャヤバーフ3世は王家のシリ・サンガ・ボ家だと言われ、シリ・サンガ・ボ家はダンバデニア王国、ガンポラ王国、コッテ王国、シーターワカ王国とその後のシンハラ王朝の王位を継承していきます。

ダンバデニアに首都を建設した際、シンハラ王朝の総司令官スバ(またの名をスバパボタ)が防衛拠点として要塞化したのがヤーパフワロックです。
スバの名から要塞化された際は、「スバヤギリ」あるいは「スバワラ」と呼ばれていました。

カリンガ・マガーはジャフナに都を移し、北部を拠点とします。
ダンバデニアの北にある岩山ヤーパフワロックは、北から攻撃に備える要塞に適していました。

前史:タンブリカ王国との戦い、パーンディヤ朝との連携

ダンバデニア王国の2代目の王パラークラマバーフ2世の時代に、マレー半島を拠点とするタンブラリンガ王国のチャンドラバーヌが侵攻してきます。

パラークラマバーフ2世はチャンドラバーヌを撃退します。
チャンドラバーヌは北に向かい、ジャフナ王国のカリンガ・マガーを倒して、1255年にジャフナ王国の王となり、タンブラリンガ王国を息子のサヴァカンメイダンに統治させます。

チャンドラバーヌ王はダンバデニア王国を攻撃しようとしたため、ダンバデニア王国がパーンディヤ朝に救援を要請します。
パーンディヤ朝の王スンダラ・パーンディヤがジャフナ王国を攻め、1258年、パーンディヤ朝はジャフナ王国を支配下に置きます。

ところが、チャンドラバーヌはダンバデニア王国を再度攻めようとしたため、1263年、パーンディヤ朝の王子ジャタヴァルマン ・ヴィラ・パーンディヤ2世がチャンドラバーヌ王を殺害し、チャンドラバーヌ王の子サヴァカンメイダンがジャフナ王となります。

マルコポーロはトリンコマリーに到着して、サヴァカンメイダン治世のジャフナ王国を訪れ、スンダラ・パーンディヤ治世のパーンディヤ朝を訪れ、東方見聞録に記録を残しています。

マルコポーロの東方見聞録にみる「日本」「スリランカ」「インド」

1268年、スンドラ・パーンディヤの子マラヴァルマン・クラセカラ・パーンディヤがパーンディヤ朝の王を継ぎます。
ジャフナ王国が毎年の貢物をしなくなったことからジャフナ王国の侵略を画策します。

ヤーパフワに遷都

ダンバデニア王国は1〜3代目の王はダンバデニアを首都としましたが、内紛が行ったことを受けて、4代目の王ブワナイカバーフ1世はヤーパフワに遷都し、ヤーパフワの岩山に宮殿や仏歯寺を建設します。

ジャフナからの防衛のためにガンポラ王国の大臣がコッテに要塞を作り、王が中国に連行されたことを受けて、コッテに遷都してコッテ王国が建国された経緯と似たところがあります。

また、シーギリヤは宮殿が建設される前は、仏教僧たちの修行地でしたが、ヤーパフワも要塞化される前は仏教僧たちの修行地でした。

古代の碑文ではヤーパフワは「スンダラギリパウワ」と記述され、それは”美しい岩の丘”という意味だそうです。
その後、”見事な丘”という意味の「ヤーパウワ」と呼ばれるようになり、現在はヤーパフワと呼ばれています。

1277年、パーンディヤ朝の大臣クラセカラ・チンカイアリヤン(Kulasekara Cinkaiariyan)がジャフナ王国に侵攻し、ジャフナ王位を奪取します。

クラセカラ・チンカイアリヤンはジャフナ王国の王(在位1277–1284)となり、アーリアクラヴァルティ朝の祖となります。

この混乱期には伝承が残されていて、映画や絵本にもなっています。

ダンバデニア王国時代の伝承をまとめた絵本『王への道 エレファントロックの伝説』

王の死でヤーパフワを放棄

1284年、ブワナイカバーフ1世が亡くなると、ジャフナ王国のクラセカラ・チンカイアリヤンがヤーパフワを攻め、仏歯をパーンディヤ朝の首都マドゥライに持ち帰ります。

シーギリヤは王が亡くなると放棄されて仏教僧院に戻りますが、ヤーパフワも放棄されて仏教僧院となります。

ブワナイカバーフ1世の甥・パラクラマバーフ3世(在位1287-1293)は、1288年にパーンディヤ朝の首都マドゥライを訪れ、仏歯を返却してもらい、ポロンナルワに安置し、自身もポロンナルワを拠点とします。

パーンディヤ朝と同盟関係にあったことから仏歯は返却してもらえたのではないかと言われています。
また、この仏歯の返却によってパーンディヤ朝はジャフナ王国に加えて、ダンバデニア王国の宗主国になります。

次の王ブワナイカバーフ2世はクルネーガラに遷都し、その後、シンハラ王朝はガンポラ、デディガマ、コッテ、シーターワカ、キャンディと遷都を行い、ヤーパフワには戻ってきませんでした。

キャンディ王国のスリ・ラジャディ・ラジャシンハ王の時代に、ヤーパフワロックの麓に寺院が建立されています。

1889年~1890年、イギリス領セイロンの初代考古学長官 兼 セイロン考古調査所長を務めたイギリス人のベルが最初の調査を行っています。

麓には発掘調査で出土したものが展示されている博物館も、出土品の一部はコロンボにある国立博物館に展示されています。

それではヤーパフワの岩山が見えるところから案内していきたいと思います。

鉄道の分岐点「マーホ駅」

ヤーパフワは、鉄道が北部(アヌラーダプラ、ジャフナ)方面と、東海岸(トリンコマリー、バッティカロア)方面に分かれるマーホ(Maho)駅から東に5キロの場所にあります。

マーホは英語名で、シンハラ語ではマハワと言います。

マーホ駅の東にヤーパフワ駅があり、そちらが最寄りですが、1日に1〜2本の列車しか止まりませんので、列車が多く止まるマーホ駅を拠点にするのが便利です。

マーホ駅近くのバスターミナルからヤーパフワへ小さなバスが往復で運行されています。

ヤーパフワ、マーホは北西部州にありますが、北西部州の州都であるクルネーガラとマーホも路線バスで結ばれています。

クルネーガラ〜マーホのバスは途中のバスターミナルがある町で待機する時間が長く、私が利用した時は片道2時間ほどかかりました。

ヤーパフワだけを目的にするならコロンボからの鉄道の旅もいいですが、パンドゥワスヌワラ遺跡やクルネーガラなど他の史跡も合わせて回る場合は車での移動がいいでしょう。

私は夜明け前の早朝にコロンボを出発して、クルネーガラで新規オープンしたお店の取材をし、ヤーパフワとパンドゥワスヌワラを見て、ダンブッラのホテルの取材に向かう予定でしたが、ヤーパフワを出る頃には暗くなり、パンドゥワスヌワラは諦め、クルネーガラから車をチャーターしてダンブッラに向かいましたが、真っ暗になってしまい、はじめから車を用意しておけば良かったと思いました。

自然の中を歩いて向かう

岩山が見えてきた!という感動を味わってみたくなり、バスを途中(ヤーパフワジャンクション)で降りて歩いて向かいました。

スリランカだし、荷物は取られないでしょ!とキャリーバックを道端の木陰に置いて向かいました。
決して荷物を放置するという真似はしないでください。
車をチャーターしていれば車に荷物は置いておけますので、バスや歩区ことを重視するなら荷物は軽く、荷物があるなら車で移動がベターです。

さて、まずは東海岸に向かう線路を越えます。

緑の囲まれた道を進みます。

しばらく歩くと、ヤーパフワロックが見えてきます。

湖を通り過ぎたあたりで道が二つに分かれますが、真っ直ぐ進みます。

こっちの道(右に曲がる)は間違いです。
行き止まりなので、戻ることになります。

しばらくまっすぐ行くと、池に反射するヤーパフワロックが見れました。
歩いて良かった!と思えた瞬間でした。

岩山は100mの高さがあるそうです。
岩山の周囲は北側・東側・西側は段丘になっています。
その段丘の外側は、上の写真にあるように池・湿地帯となっていますので、堀の役割を果たしたのかもしれません。

「石の窓」や中国との交易品を展示する博物館

敷地の入口は岩山の東側にあります。

敷地に入ると、駐車場、売店、チケットブースがあります。

チケット代は3.5ドルですので、シーギリヤなどの世界遺産に比べると10分の1ぐらいです。

入口から入って左手側(南側)にチケットブースと博物館があります。

博物館は小さいですが、ヤーパフワの重要な出土品の一部が展示されています。

ヤーパフワのハイライトである「石の装飾階段」の最上部、仏歯寺の前に配置されていた2つの「石窓」の一つが展示されています。
もう一つはコロンボの国立博物館にあります。

10ルピー紙幣になった「ヤーパフワライオン」は中国の影響があると言われていますが、ヤーパフワでは1,000を超える中国の貨幣や陶磁器が発掘され、それらが展示されています。

博物館の写真は撮り忘れてしまいました。

城壁の中へ

博物館から真っ直ぐ歩くと、城壁の中に入る階段があります。
城壁が見えてきて、遺跡、旧都に来た感が急に高まります。

岩山の周囲が小高い丘の上になっていることが分かります。

宮殿や仏歯寺は岩山の上と、防御の高い場所にありましたが、その周囲の町を形成した部分は丘の上で、南側にのみ入口を作り、城壁を巡らせたようです。

キャンディ時代の仏教寺院

城内に入って、まず正面に仏教寺院が見えてきます。

1786年、キャンディ王国のスリ・ラジャディ・ラジャシンハ王の治世に建設された寺院です。

この写真の右に行くと敷地の入口、左に行くと岩山の入口です。

まずは寺院に入っていきます。

犬たちが寺院の入口にいて入りづらい。。。
スリランカで犬を見ると、狂犬病が頭によぎってビビりますが、私に関心がないのか動きませんので、ゆっくり間を抜けていきます。

その先に見えている石窟の入口に行きたいのです。

シーギリヤロックの入口や、アウィッサーウェーラの寺院など、スリランカの各地の寺院で見られる巨岩の門です。

中に入って上を見上げると、光が差し込むようになっているのが分かります。

他にも石窟寺院はあるそうです。

仏塔やお堂がありましたが、岩山が気になるので、先に岩山に向かいます。

石の階段

ヤーパフワのハイライトは石の装飾階段です。
階段は3つあり、装飾が美しく、見応えがあるのが3つ目の階段です。
1つ目の階段は新しく作られた階段で、当時から残っている階段は2つ目と3つ目です。

地上

岩山への入口となっている階段に向かいます。

階段があるエリアの入口に仏像がありました。

岩山を右手にして、左手に上の写真の遺跡が見られます。

岩山に続く階段の正面に、この遺跡があります。

1つ目の階段

これは修復された階段です。

2つ目の階段

こちらは当時からの階段です。
かなり急で狭いです。
これは防衛のために、急で狭い階段にしたのだろうと考古学者は考えているそうです。

上から見ると、先ほど地上で見た遺跡が見えます。

横に別の階段がありました。

3つ目の装飾階段

一番大事な3つ目の階段の全景を撮影していないという大失態をやってしまいました!泣

というのも、この後姿のヤーパフワライオンを撮影することに気を取られてしまったのです。。。

正面から中国風のライオンと言われる石像を見てみましょう。

これが10ルピー札の採用されたヤーパフワライオンです。

左右に二体あります。

この3つ目の階段の左右は綺麗な彫刻が施されています。

石のゲート

3つ目の階段の頂上部分に石のゲートがあります。

ゲートにも各所に彫刻が施されています。

このゲートの先に、塀で囲まれた部分があり、そこが仏歯寺だったと言われています。
その塀の入口にあったのが、博物館で見た「石の窓」です。

ゲートの上の方の彫刻にズームアップしてみます。

キャンディアンダンスを思わせる女性ダンサー、太鼓叩きと音楽を奏でる男性の彫刻も見られます。

ゲートに立つ支柱も彫刻が素晴らしいです。

山頂の古代僧院跡と仏塔

ブワナイカバーフ1世の宮殿や仏歯寺があったのは、石の装飾階段が終わった山の中腹だったと考えられています。

さらに山頂に向かうことができます。

途中から階段がかなり急になります。

ピドゥランガラロックを登っているような感じがしてきます。

上の写真は仏教僧が石窟寺院として使ったのでしょう。

ついに山頂です!

周囲にも岩山が見えて、クルネーガラのエレファントロックからの景色に似ています。

ピドゥランガラロックに比べると、地上が近く、岩山がそこまで高くないことが分かります。

仏教僧たちが利用した貯水槽です。

奥には仏塔があります。

近づくと、ポツンと仏塔だけが山頂に残っているようにも感じられる物悲しさがあります。

石碑の墓地「ピンウェワ・ガル・ソホン・カナッテ」

ヤーパフワから南に3キロほどに、石碑の墓地「ピンウェワ・ガル・ソホン・カナッテ(Megalithic Burial site of Pinwewa Gal Sohon Kanatte)」があります。

古代の埋葬地で、石板のある40以上の石室墓があるそうです。

私は行き損ねてしまいましたが、近くにありますので、せっかくでしたら行ってみてください。

歩くとヤーパフワロックから片道30分ですが、ヤーパフワロックを登った後で疲れているかもしれません。
車をチャーターしていれば楽ですね。

ヤーパフワへの行き方

周囲の遺跡を合わせて周るなら

ヤーパフワを見たいと思う通な方は、ヤーパフワの前の首都ダンバデニア、ヤーパフワの後の首都クルネーガラも立ち寄りたいと思うはずです。

また、ポロンナルワ全盛期の王パラークラマバーフ1世がダッキナデサ国の王だった時代に建設した首都パンドゥワスヌワラもこの地域にあります。

アランケレ僧院遺跡、リディヴィハーラヤ石窟寺院、巨大仏像があるランバダガッラヴィハーラヤなどもあります。

これらを回るにはカーチャーターがベストです。

スリランカのタクシー相場は?安心安全の「スリランカタクシーサービス」

公共交通機関で行く

コロンボから行く場合は鉄道が便利です。
鉄道が迂回して走るキャンディ〜ヌワラエリヤ間以外は、バスよりも鉄道の方が早いです。
ローカルバスは激安ですが、鉄道はさらに安くなります。

ヤーパフワは鉄道で行けますので公共交通機関で行く場合は鉄道がオススメです。

ヤーパフワ駅に停まる鉄道は、コロンボ方面からは1日1本しか出てないようです。
コロンボフォート駅6:05発(クルネーガラ駅7:56発)の一本ですので、朝早くヤーパフワを見るにはいいでしょう。
セカンドLKR 260.00
サードLKR 145.00

主要駅のマーホ駅であれば、以下の列車があります。
コロンボフォート駅6:05発〜マーホ駅8:55着
コロンボフォート駅6:17発〜マーホ駅9:17着
コロンボフォート駅11:50発〜マーホ駅14:14着
コロンボフォート駅13:15発〜マーホ駅16:34着
コロンボフォート駅15:05発〜マーホ駅17:12着
コロンボフォート駅15:55発〜マーホ駅18:02着
コロンボフォート駅18:00発〜マーホ駅20:45着
コロンボフォート駅19:00発〜マーホ駅21:45着
コロンボフォート駅19:15発〜マーホ駅22:16着
コロンボフォート駅21:00発〜マーホ駅23:47着
コロンボフォート駅21:30発〜マーホ駅00:31着

ヤーパフワロックは17時で閉門してしまいますので、一番遅く列車はコロンボフォート駅11:50発〜マーホ駅14:14着です。

クルネーガラにはいくつかホテルはありますが、主要な観光地ではありませんので、それほど多くの選択肢はありません。
ヤーパフワやダンバデニアにはほとんどホテルはありません。

そうすると、ヤーパフワ駅にも停まるコロンボフォート駅6:05発が一番良いのかもしれません。
ちなみに、私はコロンボフォート駅6:05発の列車でクルネーガラで降りて、クルネーガラでお店の取材をしてからバスで向かいました。

やはり総合的に考えると、車をチャーターするのが一番かと思います。

参考)

Central Cultural Fund:Yapahuwa
Lanka Excursions Holidays:Yapahuwa – rock citadelwith Sri Lanka’s most magnificent stairway
toursLanka:Yahahuwa – The Citadel
Amazing Lanka:Yapahuwa Kingdom of Ancient Sri Lanka 
Sri Lanka Travel & Tourism:Yapahuwa 
Wikipedia:Yapahuwa
Wikipedia:Bhuvanaikabahu I of Dambadeniya
Wikipedia:Parakramabahu III of Dambadeniya
Wikipedia:Jaffna Kingdom
Wikipedia:Kalinga Magha
Wikipedia:Chandrabhanu
Wikipedia:Savakanmaindan
Wikipedia:Jatavarman Sundara Pandyan I
Wikipedia:Jatavarman Vira Pandyan II
Wikipedia:Maravarman Kulasekara Pandyan I
Wikipedia:Kulasekara Cinkaiariyan
Wikipedia:Aryacakravarti dynasty
Wikipedia:Parakrama Pandyan II
Wikipedia:Nissanka Malla of Polonnaruwa
Sri Lanka Train Schedule:COLOMBO FORT to YAPAHUWA
Sri Lanka Train Schedule:KURUNEGALA to YAPAHUWA
Sri Lanka Train Schedule:COLOMBO FORT to MAHO
Sri Lanka Train Schedule:YAPAHUWA to BATTICALOA
ウィキペディア:残丘
コトバンク:片麻岩
Wikipedia:Harry Charles Purvis Bell

>関連記事

世界遺産シーギリヤロックに登る方法!周辺観光情報・人気ホテルも

# 関連キーワード