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ジャヤワルダナ氏の対日賠償権放棄の演説から70年、駐日スリランカ大使館で記念イベントが開催

2021年9月09日

2021年9月6日、駐日スリランカ大使館にて、セイロン代表のジャヤワルダナ氏がサンフランシスコで行われた日本との平和条約会議において、対日賠償請求権の放棄を明言した演説から70年を記念した式典が開催されました。

記念式典で駐日スリランカ特命全権大使のウィシュラマール・サンジーヴ・グナセーカラ閣下はジャヤワルダナ氏について以下のように述べられています。

演説の前日に、アジアの意思を明確に伝え、そして、正確なニュアンスとバランスの取れたメッセージが西側諸国の指導者たちの心に響くように夜を徹して原稿に何度も手を加えた

ジャヤワルダナ氏の演説は、東側諸国(第二世界)の代表であるソ連に対して反対意見を述べるとともに、西側諸国(第一世界)のアメリカ・イギリスに対して、第三世界のアジア諸国として意見を表明する内容になっています。

「日本の分割統治に反対した」という捏造エピソードが存在しますが、そのようなことは一切お話されていないことも分かります。

本記事ではジャヤワルダナ氏の演説内容、サンフランシスコ平和会議の内容について、見ていきます。

なお、サンフランシスコ講和会議に関しては、外務書の外交史料館の日本外交文書デジタルコレクションの資料を参考にしています。
本記事で引用する会議の内容は、II サンフランシスコ平和会議(PDF)の内容を元にしています。

ジャヤワルダナ氏の演説内容については、在日スリランカ大使館の記念イベントで読み上げられた全文日本語訳から引用しています。

サンフランシスコ講和会議の日程

サンフランシスコ講和会議は、1945年6月26日に国際連合の設立のために国際連合憲章への著名が行われたサンフランシスコのパレスホテルにて開催されました。

会議は3日間、前後1日ずつの合計5日間の日程で開催されましたが、セイロン全権のジャヤワルダナ氏が会議録に登場するのは1日目の午前中と2日目の午前中です。

■会議日程
1951年9月4日夕方、トルーマン米国大統領の演説を含む歓迎式。
9月5日午前、議事規則、中華人民共和国招聘問題、議長選出。
9月5日午後、米国全権・英国全権による平和条約案の説明。
9月5日夜、チリ、ボリビアの意見開陳
9月6日午前、エルサルバトル、ノルウェー、ハイチ、エジプト、ラオス、セイロン、キューバ、コロンビア、コスタリカ、トルコ、南アフリカ連邦、ベルギーの意見開陳
9月6日午後、カンボジア、チェコスロバキア、パキスタン、フランス、オランダ、ニュージーランド、ギリシャの意見開陳
9月7日午前、シリア、サウジアラビア、ベネズエラ、ウルグアイ、ホンジュラス、ニカラグア、カナダ、インドネシア、フィリピン、ルクセンブルク、イラン、ペルー、ブラジル、グァテマラの意見開陳
9月7日午後、イラク、エクアドル、オーストラリア、リベリア、レバノン、エチオピア、ベトナム、ポーランド、アルゼンチンの意見開陳
9月7日夜、日本全権の受諾演説、中華人民共和国招聘問題、米国全権・英国全権による回答
9月8日午前、平和条約の著名式
9月8日午後、日米安全保障条約の署名及び公文の交換

参加国のグループ

会議の参加国は、当時日本を占領統治していたアメリカとイギリスが日本を含む50カ国に招聘状を送り、その後にフランスの要求を受け入れて旧フランス領インドシナのベトナム、ラオス、カンボジアも追加された合計53カ国を招聘しています。

西側陣営の代表国:アメリカ、イギリス
その他の西側陣営:オランダ、フランスなど
東側陣営:ソ連、ポーランド、チェコ
第三世界のうち主な戦場になった東南アジア諸国:インドネシア、フィリピンなど
第三世界のうち限定的な戦場になった南アジア諸国:セイロン、パキスタンなど
第三世界のうち日本と直接戦闘をしていない諸国:アフリカ、中東、中南米の国々
参加を拒否した国々:インド、ビルマ、ユーゴスラビア
参加を拒否された国:大韓民国
招聘されなかった国々:中華人民共和国、中華民国

招聘の対象は連合国であり、枢軸国であったドイツ、イタリア、フィンランド、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、タイなどは招聘されていません。

会議の結果は、東側陣営のソ連、ポーランド、チェコの3カ国を除く、49カ国が平和条約に署名して閉幕しています。

サンフランシスコ講和条約の論点は日本の再軍備と賠償請求

当時日本は無条件降伏してアメリカ軍とイギリス軍による占領統治下にあり、終戦から6年経過したものの、日本と連合国(日本に宣戦布告した国々)との戦争状態を終わらせる講和条約を結んでいませんでした。

講和条約を結び、戦争状態を終わらせ、アメリカ軍とイギリス軍の占領統治を終わらせることで、日本は主権を回復して国際社会に復帰しました。

アメリカ・イギリスが草案を作成

アメリカの日本占領政策は当初、日本の非武装、財閥解体など、日本の軍力・経済力を削ぐものでした。

ところが、1950年6月25日、朝鮮戦争が勃発し、アメリカは日本で警察予備隊(現:自衛隊)を発足させます。
共産主義陣営への防衛拠点として日本の軍事力・経済力を増強させる方針に転換します。

この方針転換を踏まえて日本との平和条約は作られたため、イタリアなどとの講和条約では軍隊の数的上限が定められたものの、日本との平和条約では軍隊の条件は記載されませんでした。

また、友好国の軍隊が駐留することを認める、つまり占領統治している米軍が日本が主権を回復した後も、日本国内の基地に留まることができる内容とします。

第6条(a)連合国のすべての占領軍は、この条約の効力発生の後なるべく速やかに、且つ、いかなる場合にもその後90日以内に、日本国から撤退しなければならない。但し、この規定は、1または2以上の連合国の一方とし、日本国を他方として双方の間に締結された若しくは締結される2国間若しくは多数国間の協定に基づく、またはその結果としての外国軍隊の日本国の領域における駐屯または駐留を妨げるものではない。

サンフランシスコ平和条約と同じ日に、日本とアメリカが署名したのが「日米安保条約」です。

そして、日本への経済負担にならないように以下の条文が記載されています。

第14条(b)この条約に別段の定めがある場合を除き、連合国は、連合国の全ての賠償請求権、戦争の遂行中に日本国及びその国民がとった行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権並びに占領の直接軍事費に関する連合国の請求権を放棄する。

アメリカ・イギリスは草案に修正を一つも加えることなく平和条約を署名することを目指して会議を設計しています。
署名の反対が予想されるのが共産主義陣営に国々と軽い賠償請求に不満を持つ東南アジア諸国だと会議前の会談で話されています。

明確に反対意見を述べるソ連

共産主義陣営であるソ連は、アメリカ・イギリスの上記の点に反論します。

ソ連は13の修正案を明言していますが、そのうちの主な点は以下の通りです。

・日本の非武装化の仕事は、対日平和条約によって解決されるべき重要な課題である。
・平和条約締結後は全占領軍が日本から撤退すべきであり、且つ、日本領土内に外国の軍事基地を維持すべきでない。
・日本は連合国に対して、しっかりと賠償するべきである。
・中華人民共和国が会議に参加していないことは、ドイツ・イタリア・日本と個別の和平交渉を行わないことを宣言した連合国共同宣言に違反する。

ソ連は連合国共同宣言に署名した四大国(アメリカ、イギリス、ソ連、中国)が中心となって日本との平和条約について検討すべきだとも主張しました。
直接的な戦争被害を受けた東南アジア諸国、南アジア諸国などを除外するこのソ連の意見に対して、東南アジア諸国、南アジア諸国は不快感を持っていました。

日本の再軍備への恐れと賠償請求に不満を表明したフィリピン

主な戦場の一つとなり、日本と近いフィリピンは「日本が6年間でかつての軍国主義でなくなっているとは信じ難い。」と述べています。

・日本が真の政治的経済的改革によって、再びフィリピン及び他国の脅威とならないことを確認にすること。
・日本がフィリピン及び他国に与えた損害の早急且つ公正な賠償を獲得すること。
・適当な時期に、適当な条件の下に、民主的非軍国主義的日本を友好的隣国として迎え、太平洋地域及び全世界の平和を維持し、進歩を助長するために日本の協力を確保すること。

などを演説で述べています。

興味深いのは、「豊かな台湾は日本に返還して、しっかりと日本が賠償できるようにするべきではないか?」という主張です。

フィリピンなどの小国の都合ではなく、欧米などの大国の都合が優先されていると以下のように述べています。

第十四条は(a)2項は連合国が、日本の在外財産を「戦利品」として没収することを認めています。本条約で認められているこの領土の割譲と在外財産の没収に関して、重要な事実は、受益国は殆どすべて大国であるということであります。

他方、日本によって破壊され占領された小国がその損害を補償され得る唯一の方式たる賠償の支払いは、本条約によって厳格に制限されているのであります。

賠償請求、漁業の協定について日本に質問したインドネシア

主な戦場の一つとなったインドネシアは、以下の3つの質問を日本に対して行なっています。

1:日本政府は対日平和条約第14条に規定されている条項にしたがって、第二次世界戦争中にインドネシアが受けた損害について、インドネシアに対し充分な賠償を支払う用意ありや?

2:平和条約調印後、できる限り速やかに締結されるべきインドネシアと日本との間の双務条約において、これら賠償が詳細に規定され、かつその額が決定されるべきことに日本政府は同意するや?

3:日本政府はインドネシア国民に対する魚類の供給の保護をするために、漁業の規制または制限並びにインドネシア諸島間及びその周辺の公海における漁場の保存を規定する協定の締結に対し、インドネシアと速やかに交渉を開始する用意ありや?

賠償請求の放棄、漁業への未制限、連合国軍隊の構成員に対する償いについて不満を表面したオランダ

インドネシアを統治していたオランダは、戦時における日本軍のオランダ人及びヨーロッパ人の被害、捕虜の扱いについて苦言を呈しています。

セイロン全権ジャヤワルダナ氏の演説

ジャヤワルダナ氏の演説原稿を引用しながら、その内容を見ていきます。

第三世界のアジアの国として

冒頭、ジャヤワルダナ氏は以下のように述べて演説を始めます。

私はセイロン政府を代表してのみ発言することができるわけですが、アジアの人たちの日本の将来についての一般的な感じ方を声を大にして述べ得ると断言します。

演説の中では欠席しているインドも同様の意見だとも述べています。

セイロン・インド及びパキスタンにおける日本への主な考えは、「日本は自由な国にするべき」であります。そして、この条約は完全に具現していると言えます。

また、ソ連の意見に対しても、インドを引き合いに出しています。

ソ連は日本の自由は制限されるべきだと申し入れているが、今述べた理由で私はソ連代表の意見を記名し承諾することはできない。
ソ連が日本に課したい制約とは、日本が自由な国家として許される自国を守る兵力を維持する権利の制限や、その他ソ連が申し入れる制約はここに出席されている大多数の代表団ばかりでなく、出席していない他の国々にもこの条約の承認を難しくしている。特にこの条約が意図していることよりも、さらにそれ以上を望むインドは絶対に反対するはずである。

インドの欠席については、ウィキペディアのサンフランシスコ講和会議のページには以下の記述されています。

インド首領のジャワハルラール・ネルーは、条約に外国軍の駐留事項を除外すること、日本が千島列島や樺太の一部をソ連に、澎湖諸島や台湾を中華民国に譲渡する必要があること、沖縄や小笠原諸島の占領継続などを理由に、日本に他の国と等しく名誉と自由が与えられていないとして、不参加を決めたとされる

ネルーは第三世界の中心人物でした。

1954年に開催されたコロンボ会議には、インドのネルー首相、セイロンのジョン・コタラーワラ首相、パキスタンのムハンマド・アリー・ジンナー首相、インドネシアのアリ・サストロアミジョヨ首相、ビルマのウー・ヌ首相の5人が参加し、

1955年にはアジア・アフリカ会議(バンドン会議)を、インドのネルー首相、インドネシアのスカルノ大統領、中華人民共和国の周恩来首相、エジプトのガマール・アブドゥル=ナーセル大統領が中心となって開催しています。

日本はアジア・アフリカ会議に招待されて参加しています。

日本のことを、アジアを植民地支配した欧米諸国とは違うと捉えているようです。

草案の元になったのはコロンボ会議

ジャヤワルダナ氏は演説で、平和条約の草案の元になった「完全に独立した日本」という考えた方は、1950年1月にコロンボで開催されたイギリス連邦外相会議(後のコロンボプラン)だと発言しています。

完全に独立した日本にするべきと立案され討議されたのは、1950年1月の英国連邦外相によるコロンボ会議の場であったことを私は申し上げたい。

コロンボ会議では日本を孤立した例ではなく、世界の富と人口の大部分を占め、かつ、最近自由を再獲得したが、結果として長い間放置され、今も苦しんでいる人々をいわゆる南方及び東南アジアの一部として日本を取り上げたのです。

英国代表のヤンガー氏はコロンボ会談後、英連邦高等弁務官実行委員会が条約の草案を作成し、またそれを後でアメリカ代表ダレス氏とも検討したことを我々に明かしてくれました。

ここで注目なのは、日本を「南方及び東南アジアの一部」として取り上げたと発言している点です。

アメリカとイギリスがまとめた条約の草案に対して、セイロンの意見が反映されていないとも述べています。

我々の前にあるこの条約はこれらの協議・検討の結果であり、私の政府の意見を反映しているが、反映していない点もあるのが実情です。

我が政府は、これらの問題点が他の方法で明らかにされていたら、私の政府はそちらを好んだでしょう。

これは南方及び東南アジアが西側諸国とは異なる立場・意見を持っていることを表明しているようです。

1950年1月のコロンボ会議を元に1951年7月に発足したのがコロンボプランです。
1954年10月6日、日本政府はコロンボプランへの加盟を閣議決定し、開発途上国に対する政府開発援助(ODA)を開始しています。
これをきっかけに、1987年に外務省とJICAがコロンボプランへの加盟日である10月6日を「国際協力の日」とすることを決定しています。

コロンボ会議はサンフランシスコ講和会議のジャヤワルダナ氏の演説、
そして、日本のODAの開始にもつながっている重要な会議と言えます。

コロンボ会議については、以下の記事を参照ください。

毎年10月6日は「国際協力の日」〜日本がコロンボプランに加盟した日〜

アジアで唯一列強に対して強く自由であった日本

アジアを植民地にした欧米列強に対して、アジアから唯一対等に対峙した日本を尊敬していたとも述べています。

なぜアジアの人々は日本が自由であることを熱望するのか?
それは我々が日本と長い年月の関係があるためであり、それは被支配諸国であったアジア諸国の中で、日本が唯一強く自由であったとき、そのアジア諸国民が日本を保護者として、また友人としてあおいでいた時にいただいた日本への尊敬の念からです。
思い起こせば去る大戦中に、日本の唱えたアジア共栄のスローガンが、人々の共感を得、自国が解放されるとの望みでビルマ、インド、インドネシアの指導者の中には日本に呼応した人たちもいたのです。

セイロンは連合国からも被害を受けた

日本の空襲以外に、連合国による駐留や生ゴムの大量採取による被害を受けたとも発言しています。

セイロンの人々は幸運にも直接に侵略されなかったが、空襲や東南アジア軍の元、大量の数の軍隊の駐留による被害を受け、また連合国に対する唯一の生ゴムの生産者であり、重要産業品である生ゴムの大量採取による損害に対して、当然賠償を求める権利を有するのです。

賠償請求権の放棄

最も有名なブッタの言葉を引用した部分が賠償請求権の放棄を述べる中で登場します。

しかし、我々はその権利を行使するつもりはありません。
なぜなら、アジアで何百万人もの人たちの命を価値あるものにさせた大教導師の「憎しみは憎しみは憎しみによってやまず、ただ愛によってやむ」との言葉を信ずるからです。
この言葉はブッタ大教導師、仏教創設者の言葉で、人道主義の波を北アジア、ビルマ、ラオス、カンボジア、泰国、インドネシア及びセイロンに広げ、また同時に北方へ、ヒマラヤを越えて、チベットから支那を経て、最後に日本に及んだものです。
その波は我々を何百年もの間に渡って共通の教養と伝統とでもって結び合わせているのです。
この共通の教養は現在も脈々と存在していることを、私は先週この会議に出席する途中、日本に立ち寄った時に見出したのです。
日本の指導者、国務大臣、一般の人たち、そして寺院の僧侶など日本の庶民は現在も大教導師の平和の教えに影響されており、その教えに従いという気持ちに満ちている印象を感じたのです。
我々はその機会を日本人に与えなければならない。

以上、見てきたようにジャヤワルダナ氏の演説では、「日本分割統治案の反対」は見られませんが、西側諸国とも東側諸国とも異なる第三世界としてのアジアの立場を表明しているように思えます。

そして、アジアが西側諸国とも東側諸国とも対等な存在になる上で、「日本が独立した自由であること」が大事であると述べています。

ジャヤワルダナ氏は、日本が第三世界の大国を担うことを望んだのかもしれません。

ジャヤワルダナ氏は、議事規則を採決しようとした際にソ連・ポーランド・チェコが押問答を繰り返したことに対して反駁した発言を行い、その発言内容が外交史料館IIサンフランシスコ平和会議(PDF)に掲載されていますので、是非ご覧ください。

また、演説の全文は以下のスリランカ大使館のfacebookページから聴くことができますので、是非聴いてみてください。

参考)

スリランカ大使館facebookページ:1951年9月6日、J. R.ジャヤワルダナ元スリランカ大統領がサンフランシスコ講和会議で日本を擁護する演説を行ってから70年を記念する式典が開かれました。
外交史料館:サンフランシスコ平和条約 調印・発効 
外交史料館:II サンフランシスコ平和会議(PDF)
外交史料館:VI 平和条約の批准・発効(PDF
産経新聞「憎悪は愛でのみやむ」 対日賠償放棄演説から70年で式典
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ウィキペディア:日本の戦争賠償と戦後補償
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