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日本を分割占領から守ったスリランカのジャヤワルダナ大統領というのは本当か?

2020年9月06日

スリランカが親日である理由の1つとして出てくるジャヤワルダナ大統領。
彼が大の親日家であり、サンフランシスコ講和会議で日本を擁護する演説をしたことは確かです。

それは日本人として知っておくべき事実だと思います。
恩を受けた日本が親スリランカであるべきところですが、日本ではあまり知られていません。

一方で、ジャヤワルダナ大統領の演説の説明に関して、テレビ番組やウェブサイトなどで間違っていると思われる説明が見受けられます。

スリランカの観光に携わる身として、これは是非伝えたい!と、テレビ番組を見て、その内容をそのまま人前で話したことがありますが、しっかりと事前に調べずに、話してしまったことを今は反省しています。
私が間違えて伝えてしまった3点について、まとめてみました。

日本分割統治案にジャヤワルダナ大統領が反対したという噂

サンフランシスコ講和会議でソ連が日本分割統治案を主張したが、ジャヤワルダナ大統領の演説によってそれは避けられたと説明されていることがあります。

しかし、サンフランシスコ講和会議では、日本分割統治案について話されたという記録はありません。
ソ連が主張した13項目の条約修正提案には、日本分割統治案については触れていません。

1.樺太と千島はソ連に帰属させる。
2.日本の主権を琉球列島にも拡大させる。
3.日本にある全軍隊は可及的速やかに、あるいは条約署名後90日以内に撤退する。
4.中国、インドネシア、ビルマ、フィリピンのために賠償会議を開く。
5.中華人民共和国を条約署名国に加える。
6.台湾は中華人民共和国に帰属させる。

参照)
ソ連が13項目の条約修正提案 

そもそも、日本分割統治案とはソ連が出したものではありません。
1945年8月16日にペンタゴンの統合戦争計画委員会(Joint War Plans Committee,JWPC)が起案した日本占領案です。

背景にある考えとして、「日本を占領統治するなら、コストを節減し米軍は最小限にとどめるべきだ。米国が日本軍政に主な責任を負うべき理由はない。」というもの。

以下のように分割する案がまとめられています。

  • ソ連:北海道、東北地方。
  • アメリカ:本州中央、関東、信越、東海、北陸、近畿。
  • 中華民国:四国。
  • イギリス:西日本(中国、九州)をそれぞれ統治
  • 東京は4カ国共同占領

その2日後、1945年8月18日にトルーマン大統領は分割占領を回避することを勧告する国務省案を承認。
さらに、8月22日にトルーマン大統領は日本政府を介した間接統治方式を最終的に承認しています。

つまり、日本分割統治案は終戦前に議論されていたものです。

日本は1945年9月2日に降伏文書に正式に調印し、日本は連合国軍の占領下となります。
サンフランシスコ講和会議は1951年9月4日〜9月8日に行われ、9月8日に著名された平和条約は1952年4月28日から効力が発生し、1952年4月28日より日本は国際社会に復帰しています。

連合国軍による日本の占領は、終戦前にアメリカの統治下にあった沖縄、奄美、小笠原はアメリカがそのまま占領し、中国地方と四国地方はイギリス連邦占領軍(イギリス軍、オーストラリア軍、ニュージーランド軍、イギリス領インド軍)が占領任務を担当、他の地方はアメリカ占領軍が担当しているため、ほとんどアメリカ占領軍による占領ですが、一部、イギリス連邦占領軍との分割とも言えそうです。

このアメリカを中心とした連合国軍の日本占領が6年間経過した後に開催され、その半年後に占領が終わるタイミングで開催されたサンフランシスコ講和会議で、ソ連が日本分割統治案を主張することや、ジャヤワルダナ氏がそれに反対したということは、実際にはなかったと言えるでしょう。

ジャヤワルダナ氏の演説文を掲載しているサイトがあります。
それを読むと、ソ連の主張に対して反対の意を表明していますが、分割統治の話はありません。

参照)
サンフランシスコ講和会議 スリランカ代表の演説
ウィキペディア「日本の分割統治計画」
知っていて欲しい「戦後日本の分割占領計画」 — 山口 俊一
日本人ならば知っておくべきスリランカのこと①

テレビ番組やブログなどで紹介されている分割統治案の地図は中華民国となっていますので、このペンタゴンの統合戦争計画委員会が起草した案をもとに作ったものだと思います。

仮にソ連が主張したとすれば、中華民国ではなくて、中華人民共和国とするでしょう。
上記にご紹介した13項目の条約修正提案では、台湾を中華人民共和国に帰属させることをソ連は主張しています。
ちなみに、サンフランシスコ講和会議には、中華民国も中華人民共和国も参加していません。

■日本分割統治案について触れている例
テレビ朝日「陸海空 地球征服するなんて」『スリランカで1番有名な日本人は?』2018年12月8日放送
第1989回「世界一の親日家 ジャヤワルダナ大統領」2016年6月19日放送
テレビ東京「知られざる親日国スリランカ!経済&観光急成長…その裏には世界マーケットが!」2014年1月13日放送
日本を分割統治から救ったスリランカ初代大統領J.R.ジャヤワルダナの名演説

在スリランカ日本大使館やJICAのページでもジャヤワルダナ大統領では、対日賠償請求権の放棄や日本の国際社会復帰への後押しをしたことには触れていますが、分割統治案については記載がありません。

参照)
在スリランカ日本国大使館 二国間関係
JICAスリランカ事務所長あいさつ

ちなみに、賠償請求権を放棄した国はアメリカ、イギリス、オランダ、オーストラリア、中華民国、インド、カンボジア 、ラオス、スリランカのようです。

参照)
外務省「歴史問題Q&A 関連資料 日本の具体的戦後処理(賠償、財産・請求権問題)」
ウィキペディア「日本の戦争賠償と戦後補償」

サンフランシスコ平和条約が効力を持った後も、小笠原諸島、沖縄県、鹿児島県大島郡(竹島・硫黄島・黒島を除く)はアメリカによる占領が続きます。

日本が最初に国交を結んだのはスリランカという噂

サンフランシスコ講和会議後に、日本が最初に国交を結んだのは、スリランカであるとも紹介されているのを何度か目にしています。
スリランカに関する観光・生活情報を発信している身としても、この話も是非伝えたいと思い、調べるもののそれに関する情報は未だ見つけられていません。

サンフランシスコ平和条約は第23条1の規定により、日本及びアメリカ合衆国が批准書を寄託し、かつ、主たる占領国の過半数が批准書を寄託した時に、その時に批准書を寄託しているすべての国に関して効力を生ずるとなっており、アメリカ合衆国東部標準時の1952年4月28日 8時30分(日本標準時で同日22時30分)に条約が発効したと4月28日付に外務省によって告示されています。

つまり、主たる占領国アメリカと日本がまず批准し、その他の占領国も批准してサンフランシスコ平和条約は効力を発揮していますので、条約の性格上、最初に国交を結んだ国はアメリカになりそうです。

一方で、ウィキペディアのページには批准日がまとめられています。
批准日が日本に次いで早いのはイギリスで、その次はメキシコです。
批准日を基準に考えると、戦後、日本が最初に国交を結んだのはイギリスなのかもしれません。

1951年11月28日   日本
1952年1月3日    イギリス
1952年3月3日   メキシコ
1952年4月9日   アルゼンチン
1952年4月10日 オーストラリア
1952年4月10日 ニュージーランド
1952年4月17日 カナダ
1952年4月17日 パキスタン
1952年4月18日 フランス
1952年4月28日 アメリカ
1952年4月28日 セイロン

スリランカは平和条約の効力が発生した1952年4月28日のアメリカ合衆国東部標準時の13時30分(効力発生の3時間後)に批准書を寄託したとウィキペディアには記載されており、平和条約の効力発生後に最初に批准した国はスリランカのようです。

大国・戦勝国による利権獲得の思惑・せめぎ合いが繰り広げられている中、小国スリランカを代表するジャヤワルダナ氏が投じた一石「憎しみは憎しみによって止むことなく、愛によって止む」の演説は、サンフランシスコ講和会議の経緯や状況を知ると、より輝いて見えるように思います。

参照)

ウィキペディア「日本国との平和条約」

日本の角膜手術の最初の成功例という噂

ジャヤワルダナ大統領は遺言で以下のように伝えていると言われています。

「角膜の一つをスリランカ人に、もう一つの角膜を日本人に」

この角膜は群馬県の女性に移植されたとしている説明しているものと、長野県の女性に移植された説明としているものがあります。
どちらが定かは分かりませんが(群馬とする情報の方が多いのでおそらく群馬だと思います)
この角膜の提供が日本の角膜手術の最初の成功例となったと紹介しているテレビ番組のコメンテーターもいましたが、日本での角膜手術の成功例はもっと前のようです。

参照)
日本における角膜移植の歴史

最初ではなさそうですが、ジャヤワルダナ大統領の角膜が日本人に提供され、手術は無事成功したものと思われます。

まとめ

ジャヤワルダナ大統領が親日家であり、日本を擁護した演説をしたことは覚えておくべきことだと思います。
おそらく、記事や番組をまとめられた方々、番組に登場されたコメンテーターの方々は「この話は素晴らしい!!」と伝えたい気持ちが強く、つい盛ってしまったのではないかと思います。

これが誇張なのかどうかも結局は、私がネットで調べて読んでものをベースに書いており、その参照元が確実なものであるかは分かりません。
歴史、記録は強い者の都合で書き残されるともいわれますよね。
ただ、太平洋戦争、それに関する各会談、サンフランシスコ講和会議、日本と各国との関係、現在の国際情勢などについて、調べて考えるきっかけになればいいのではないかと思います。

サンフランシスコ講和会議の日本語のウィキペディアにはジャヤワルダナ大統領の演説については一文記載されているだけです。
一方、英語のサンフランシスコ講和会議のウィキペディアのページにはジャヤワルダナ大統領の演説については目次にも登場し、しっかり説明されています。

英語のウィキペディア「J. R. Jayewardene」のページには、「日本では非常に尊敬されており、鎌倉には彫像が建立された」と記載されており、実際に鎌倉大仏の脇にありますが、それをどれぐらいの日本人が知っているでしょうか?

私はたまたまスリランカにきて、ジャヤワルダナ大統領のことを知りました。
他の国にもこのような日本がお世話になっている話や、日本の方が現地の方のために尽くしてくださったエピソードがあるのではないかと思います。

ただ、今回のようにそのようなエピソードの紹介も、本当のところはどうなのか?誇張はないのか?という視点も併せ持つ必要があるように思います。
スリランカのコロンボにくる機会がありましたら、是非ジャヤワルダナセンターを訪れてみてください。

 

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