スリランカ人僧が長老を務める渋谷区の日本テーラワーダ仏教協会での雨安居入り法要
2021年7月25日(日)、渋谷区幡ヶ谷にある日本テーラワーダ仏教協会にて、スリランカ出身僧のスマラサーナ長老によるお話が聞ける「雨安居入り法要」があるので来てくださいとスリランカ人の友人に誘われて参加してきました。
本記事では、日本テーラワーダ仏教協会、スマラサーナ長老はじめ、日本におけるテーラワーダ仏教に関する団体や人物について紹介します。
目次
日本テーラワーダ仏教協会とは?
スリランカのシャム・ニカーヤの僧侶アルボムッレ・スマラサーナさんと、ミャンマーのマハーシ瞑想センターで出家した鈴木一生さんによって設立されたテーラワーダ仏教(上座部仏教)系の宗教法人。
マハーシ系のヴィパッサナー瞑想をはじめとした瞑想指導、仏教伝道を行っています。
精舎
東京都渋谷区幡ヶ谷:ゴータミー精舎(2001年5月設立)スリランカのアルボムッレ・スマラサーナ長老
大阪府岸和田市:アラナ精舎(2005年4月設立)ミャンマーのマハーシ瞑想センターで比丘出家したウ・コーサッラ長老
佐賀県鹿島市:佐賀新精舎(2009年5月設立)
兵庫県三田市:マーヤーデーヴィー精舎(2009年5月設立)
ダンマサークル
京都、兵庫、札幌、石川、名古屋、仙台、栃木、丹後、四国、長崎、新潟、江戸川、静岡、宮崎、湘南
オンライングループ
ブッディストファミリー
スジャータ婦人会
協力寺院
大分・明西寺
京都・宝泉寺
山口・誓教寺
住職の藤本晃さんは多数の著書を出しています。
以下のページをご覧ください。
八王子・禅東院
2006年に日本テーラワーダ仏教協会がアスギリヤ大精舎のウドゥガマ・スリ・ダンマダッシー・ラタナパーラ・ブッダラッキタ法王を招聘して、設立された上座部仏教の戒壇があります。
山岡鉄舟、中江兆民、高橋泥舟らが、釈宗演の師・今北洪川に要請して設立された「人間禅」の全国道場の一つでもあります。
釈宗演、今北洪川、山岡鉄舟については、以下のページをご覧ください。
福沢諭吉らの支援でスリランカ留学、夏目漱石・鈴木大拙が参禅。渡米して禅をZenとして紹介した釈宗演の前半生を漫画化した『ZEN釈宗演 上 』
精舎とは?
精舎とは、精進する者たちの舎宅を意味し、比丘が住む修道施設・寺院・僧院のことを言います。
サンスクリット語では、ヴィハーラ(Vihara)と言い、スリランカでも寺院をヴィハーラと呼びます。
お釈迦様が生きていた頃の精舎は、天竺五精舎と言われ、以下の5つの精舎があったとされています。
天竺五精舎
祇園精舎(Jetavana Vihara)
コーサラ国の首都シュラーヴァスティーにあった精舎。
コーサラ国の富豪スダッタが、コーサラ国の皇太子「祇陀(Jeta)」の林園(Vana)を買い取り、仏陀に寄進して建立されました。
竹林精舎(Venuvana Vihara)
マガダ国の首都ラージャグリハにあった仏教最初の精舎。
マガダ国のビンビサーラ王がジャイナ教のカランダ長者に寄進した竹林で、ビンビサーラ王が仏陀の教えに帰依し、ビンビサーラ王が伽藍を建立したと言われています。
霊鷲精舎
マガダ国の首都ラージャグリハ郊外の霊鷲山にあった精舎。
マガダ国のビンビサーラ王が山に石段を作り、今もビンビサーラ道と呼ばれる道が残っています。
菴羅樹園精舎
ヴァッジ国の商業都市ヴェサーリーに住むアンバパーリーがマンゴー樹園を寄進して建立された精舎。
シンハラ語でマンゴーのことをアンバと言います。
大林精舎
ヴァッジ国の商業都市ヴェサーリーの森林に建立された精舎
世界遺産に登録されている精舎(石窟寺院)
アジャンター石窟寺院
エローラ石窟寺院
ダンブッラ石窟寺院
雲崗石窟
キジル石窟
莫高窟
龍門洞窟
など
アルボムッレ・スマナサーラ長老とは?
日本テーラワーダ仏教協会の長老
スリランカのシャム・ニカーヤの日本大サンガ主任長老
スリランカのベヤンゴダにあるキリタラマヤ精舎の住職
上座仏教修道会の設立にも関わり、多数の著書がある、日本におけるテーラワーダ仏教(上座部仏教)の代表的な僧侶と言える人物でしょう。
アルボムッレ・スマナサーラ長老の経歴
1945年、スリランカのアルボ村生まれ。
アルボムッレはアルボ村に由来します。
13歳で沙弥出家。
1965年に比丘出家。
1980年に国費留学生として来日し、大阪外国語大学語学コースを経て駒澤大学大学院人文科学研究科仏教学専攻博士後期課程に進学。
駒澤大学では奈良康明さんの下、道元の思想を研究。
奈良康明は、多数の書籍を出している曹洞宗の僧侶でインド仏教学の泰斗。
駒澤大学で学長・総長・名誉教授、曹洞宗総合研究センター所長、公益財団法人・中村元東方研究所常務理事、一般財団法人・仏教学術振興会理事長、大蔵経データベース化支援募金会事務局長を歴任されています。
学歴は、東京大学文学部印度哲学梵文学科卒業、東京大学大学院人文科学研究科インド哲学専攻修士課程修了、タゴールをはじめ4人のノーベル賞受賞者を輩出している名門コルカタ大学大学院人文科学研究科博士課程修了で、東京大学での博士号をとった際の指導教官は仏教学者として高名な中村元さん。
1988年、留学を終えてスリランカに帰国。
1989年、東京コミュニティーカレッジの理事の竹田倫子さんがスマナサーラ長老を招聘し、上座仏教修道会を設立。
以後、竹田さんの要請で日本とスリランカを行き来して活動をします。
この頃に、後に日本テーラワーダ仏教教会の初代会長となる鈴木一生さんと出会います。
1991年、上座仏教修道会が茨城県鹿島郡大洋村(現:鉾田市飯島)に淨心庵を建立し、スマナサーラ長老が住むようになります。
1994年、鈴木さんと日本テーラワーダ協会(現:日本テーラワーダ仏教協会)を設立し、鈴木さんが会長に、スマナサーラさんが長老となります。
1995年、上座仏教修道会が、スマナサーラ長老が住職を務めるスリランカのベヤンゴダにあるキリタラマ寺院(Kiritarama purana Temple)に僧院を寄進。
2001年、東京都渋谷区幡ヶ谷にゴータミー精舎・幡ヶ谷テーラワーダ仏教センターを開山。
2005年、スリランカのキャンディにあるシャム・ニカーヤ総本山アスギリヤ大精舎にて、日本大サンガ主任長老(ナーヤカ長老)に任命。
スマナサーラ長老の著書については、以下のページをご覧ください。
日本テーラワーダ仏教協会の初代会長・鈴木一生さんとは?
ゴルフ場関連会社の経営者、天台宗の僧侶、ビルマ上座部仏教の僧侶。
鈴木さんがミャンマーのマハーシ瞑想センターで出家し、関係があったことが、日本テーラワーダ仏教協会がヴィパッサナー瞑想の指導していることに関係しているようです。
鈴木さんは、日本テーラワーダ仏教協会を離れてからは、パオ森林僧院のサマタ瞑想を重視するようになったようです。
1947年、神奈川県生まれ。
1972年、ゴルフ場関連の会社を設立
1973年、仏教に関する書籍を発行した金田道跡さんと出会う
1987年、金田さんの縁で比叡山で得度。
1989年、金田さんの勉強会に参加していた上座仏教修道会設立者の竹田さんが連れていたスマナサーラ長老と出会う
1991年、竹田さんの要請を受けて、スマラサーナ長老の来日と滞在を支援して、会社で毎週法話会を開く
井上ウィマラと知り合う、熱海の金田さんの住まいで毎月法話会を開く
1992年、会社が倒産、金田さんが亡くなり、スマラサーナ長老は竹田さんの上座仏教修道会の浄心庵に移る
北九州にあるミャンマー寺院「世界平和パゴダ」にて、井上ウィマラから瞑想指導を受ける
1993年、スマラサーナ長老の帰国に同行し、瞑想指導を受ける
1994年、来日していたミャンマー僧侶のつてでミャンマーに行き、マハーシ瞑想センターで比丘出家し、瞑想修行を行う。
途中からスマラサーナ長老が合流。帰国して、スマラサーナ長老と日本テーラワーダ仏教協会を設立。
1995年、現在も発行されている機関紙(月刊紙)『パティパダー』発行を開始。
2000年、日本テーラワーダ仏教協会の運営を離れる。
2006年、ミャンマーでパオ系の瞑想修行を経験する。
2013年、日本人僧侶のマハーカルナーに出会い、マハーカルナーの瞑想会を支援するようになる
2017年、死去
上座仏教修道会とは?
スマナサーラ長老を招聘して設立され、現在はミャンマー僧侶が長老を務めています。
新宿に本部があり、瞑想堂「浄心庵」が茨城にあります。
1989年に東京コミュニティーカレッジの理事の竹田倫子さんがスマナサーラ長老を招聘して設立。
1991年 茨城に瞑想堂「浄心庵」を建立し、スマナサーラ長老がスリランカから移り住む。
1994年に日本テーラワーダ協会が設立されて、スマナサーラさんが日本テーラワーダ協会の長老になったことを受けてなのか、
1995年にスマラサーナ長老が住職を務めるスリランカのベヤンゴダにあるキリタラマヤ寺に僧院を寄贈
1996年にミャンマーからニャーヌッタラ長老を招聘して、ニャーヌッタラ長老が上座仏教修道会の長老となります。
ニャーヌッタラ長老は、ラインマハーシ瞑想センターから僧院長の打診があったそうですが、上座仏教修道会の招聘に応えたようです。
1998年、サールナート精舎を建立
井上ウィマラさんとは?
瞑想研究者、高野山大学教授。
日本テーラワーダ仏教協会の鈴木さんが瞑想指導を受けています。
1959年、山梨生まれ
1984年、曹洞宗法泉寺にて得度
1986年、門司のミャンマー仏教寺院・世界平和パゴダで修行
1987年、ミャンマーに渡り、瞑想・座禅
1988年、ミャンマーのチャミ瞑想センターで得度
1991年、世界平和パゴダに戻る
1993年、トロントのマハーヴィハーラ寺に赴任
1997年、還俗
2005年、 高野山大学スピリチュアルケア学科助教授に就任
2013年、高野山大学文学部教授に昇任
2019年、健康科学大学健康科学部福祉心理学科教授に就任
マハーシ・サヤドーさんとは?
日本テーラワーダ仏教協会の鈴木さんが比丘出家したマハーシ瞑想センターの高僧で、ミャンマーの上部仏教大長老。
マハーシ・サヤドーは、マハーシ僧院の長老という意味で、僧名はソーバナ、あるいは敬称をつけてウ・ソーバナ。
瞑想指導者として、ヴィパッサナー瞑想に大きな影響を与えたとされています。
1947年、ミャンマー首相ウー・ヌがヤンゴンに設立した瞑想センター(現:マハーシ瞑想センター)の常任指導者に招聘。
ミャンマー全域、スリランカ、インドネシア、タイに瞑想センターを設立し。
1970年にマサチューセッツ州に洞察瞑想協会(IMA)を設立。
ヴィパッサナー瞑想については、以下のページをご覧ください。
パオ森林僧院とは?
日本テーラワーダ仏教協会の鈴木さんが晩年に瞑想指導を受けたのがパオ森林僧院です。
パオ森林僧院はミャンマーのモーラミャインにある上座部仏教の僧院。
青森県出身でカナダ在住の仏教僧である水源さん、
パオ森林僧院日本道場の指導者を務め、マハーカルナー傳修院を創設した日本人仏教僧のマハーカルナーさんが学んだとされています。
マハーカルナさんは、真言密教の修行僧となり、1997年にアメリカに派遣され、スリランカの大長老ピヤッダシ・マハーテーラー(Piyadassi Maha Thera)に出会い、得度し、比丘戒を受けた、その後、パオ・セヤドーの元で学んだとされています。
ウィキペディアを参照するに、マハーカルナさんについては経歴をめぐる議論があるようです。
水源さんは、2004年にパオ森林僧院モーラミャイン本部で全課程を修了。
2012年に、スリランカの大長老・大統領に会い、仏舎利9粒を譲り受けたとウィキペディアに記載があります。
サンガ出版とは?
スマナサーラ長老の書籍をはじめ、多くの仏教・マインドフルネスなどの書籍を出した出版社。
社長の島影透さんは、地元の仙台で「しまかげアイクスリーム」を経営し、代表商品であるビバオールは東北では知られた商品だったようです。
2004年、新潟の株式会社セイヒョーが、しまかげの元関係者の協力を得て、ビバオールを復活させています。
1997年、自社工場の火災でアイスクリーム製造から撤退。
1998年、サンガ出版を設立。
島影透さんは、スマナサーラ長老に出会い、テーラワーダ仏教徒になり、仏教を伝えるためにサンガ出版を創業されたそうです。
本記事で紹介しているスマナサーラ長老の書籍は2冊ともサンガ出版から発行されています。
島影透さんは2020年7月に急逝し、2021年1月に会社は倒産。
サンガ出版の元社員さんたちがクラウドファンティングを行い、1680万円以上を集め、サンガ新社の設立に動かれています。
サンガ出版の東京オフィスには何度かお伺いし、島影さんにもお会いしていましたので、亡くなられた知った時は大変驚きました。
安居入りの法要
前日に訪れた八王子のスリランカ系寺院とは異なり、精舎にきていた方々のほとんどは日本人でした。
在家参加者は日本人女性が最も多く、日本人男性が3名ほど、スリランカ人が4名、ミャンマー人が1名いました。
午前の法要はビルの2階の畳の部屋で、11時から午前部がスタートし、日本人僧侶2名とスリランカ人僧侶1名がいらっしゃいました。
12時前に各僧侶に食事を提供し、その後、お布施として品々が渡されました。
食事は在家の方々が持ち寄ったもので、日本料理・スリランカ料理・ミャンマー料理と食べ切れないほどの彩りどりの様々な食事が持ち寄られていました。
12時過ぎから14時までお昼休み。
1階で在家の皆さんで食事をします。
メイン、おかず、デザートも色んなが用意され、上下白い服をきた日本人女性たちがテキパキと用意し、また片付けていく様子は、お盆や正月に親戚で集まった際に親戚の女性の皆さんがテキパキ動いている時のようでした。
そんな場だとは知らずに、手ぶらで来てしまった私。。。
「どうぞ、召し上がりください」とご案内いただき、大変おいしい食事をいただきました。
写真を是非撮りたかったのですが、至れり尽くせり、かつ、何もしてないので、写真をバシャバシャ撮る気になれませんでした。
久しぶりに食べたミャンマー料理が一層美味しく感じられました。
ゴータミー精舎にいらしたきっかけを何人かの方にお伺いしたところ、スマラサーナ長老の書籍を読んで知って、通うようになったという方が多いようです。
14時からはスマラサーナ長老がいらして、2階で雨安居についてお話がありました。
最後に質問を受け付けて、在家の方が雨安居の過ごし方などを質問されていました。
法要が終了すると、在家の方々がスリランカの在家の人たちのように、長老の足元にかしずく様子や、額をつけて祈る様子が見られました。
スリランカの方々がお寺で祈っている姿、僧侶や学校の先生にかしずく様子は何度も見ていますが、日本人の方々が行っている様子を見るのは初めてでしたので、大変新鮮でした。
11月には雨安居が終わった際のカティナ法要が行われるそうです。
参照)
日本テーラワーダ仏教協会 公式サイト
ウィキペディア:日本テーラワーダ仏教協会
ウィキペディア:アルボムッレ・スマナサーラ
アラナ精舎 公式サイト
上部仏教修道会 公式サイト
特定非営利活動法人 東京コミュニティカレッジ 公式サイト
ウィキペディア:精舎
ウィキペディア:祇園精舎
ウィキペディア:竹林精舎
ウィキペディア:ビンビサーラ
ウィキペディア:毘舎離
ウィキペディア:石窟
ウィキペディア:奈良康明
ウィキペディア:コルカタ大学
ウィキペディア:中村元 (哲学者)
一般財団法人 仏教学術振興会 公式サイト
公益財団法人中村元東方研究所 公式サイト
人間禅 公式サイト
ウィキペディア:鈴木一生
ウィキペディア:井上ウィマラ
ウィキペディア:世界平和パゴダ
ウィキペディア:マハーシ・サヤドー
ウィキペディア:パオ森林僧院
ウィキペディア:マハーカルナー
マハーカルナー傳修院 公式サイト
ウィキペディア:水源 (僧)
ウィキペディア:サンガ (出版社)
ウィキペディア:ビバオール
タウンネット:東北人のソウルアイス!感動的に復活した「ビバオール」、そのお味は?
キャンプファイヤー:
>関連記事
「旅と町歩き」を仕事にするためスリランカへ。
地図・語源・歴史・建築・旅が好き。
1982年7月、東京都世田谷区生まれ。
2005年3月、法政大学社会学部社会学科を卒業。
2005年4月、就活支援会社に入社。
2015年6月、新卒採用支援事業部長、国際事業開発部長などを経験して就職支援会社を退社。
2015年7月、公益財団法人にて東南アジア研修を担当。
2016年7月、初めてスリランカに渡航し、会社の登記を開始。
2016年12月、スリランカでの研修受け入れを開始。
2017年2月、スリランカ情報誌「スパイスアップ・スリランカ」創刊。
2018年1月、スリランカ情報サイト「スパイスアップ」開設。
2019年11月、日本人宿「スパイスアップ・ゲストハウス」開始。
2020年8月、不定期配信の「スパイスアップ・ニュースレター」創刊。
2023年11月、サービスアパートメント「スパイスアップ・レジデンス」開始。
2024年7月、スリランカ商品のネットショップ「スパイスアップ・ランカ」開設。
渡航国:台湾、韓国、中国、ベトナム、フィリピン、ブルネイ、インドネシア、シンガポール、マレーシア、カンボジア、タイ、ミャンマー、インド、スリランカ、モルディブ、アラブ首長国連邦、エジプト、ケニア、タンザニア、ウガンダ、フランス、イギリス、アメリカ
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