アジア有数の歴史を持つスリランカ放送協会(SLBC)とは?
2021年12月29日、JICAの支援によるスリランカでの地デジ放送が始まりました。
日本はスリランカの国営テレビ局「ルパヴァヒニ」への支援を長年行っていますが、東側に隣接するラジオ局「スリランカ放送協会」にも支援を行っています。
スリランカ放送協会が開局50周年を迎えた2017年1月に内部を案内してもらいましたので、その当時の写真とともに、本記事では、スリランカ放送協会について紹介していきます。
スリランカ放送協会(SLBC)とは?
スリランカ放送協会は、国営のラジオ事業者です。
スリランカには、国営放送団体が2つあり、隣接して立地しています。
ラジオ事業を行っているのがスリランカ国営ラジオ局(SLBC:Sri Lanka Broadcasting Corporation)。
テレビ事業を行っているのがスリランカ国営テレビ局(SLRC:Sri Lanka Rupavahini Corporation)。
さらに隣にはスリランカ国営映画局(National Film Corporation of Sri Lanka)があります。
ショッピングコンプレックス「アーケード・インディペンデンス・スクエア(Arcade Independence Square)」に隣接して、ラジオ局SLBCがあり、その隣にテレビ局SLRCがあり、さらに隣にスリランカ映画局があります。
2015〜2019年で駐日スリランカ大使を務めたダンミカ閣下は、スリランカ国営ラジオ局会長・スリランカ国営テレビ局会長・スリランカ国営通信社会長を2002〜2003年で兼任されています。
スリランカ放送協会の歴史
スリランカ放送協会の始まりは、スリランカの「放送の父」と言われるエドワード・ハーパーが始めたラジオコロンボに遡ります。
1921年、イギリス人技師のエドワード・ハーパーがセイロン電信局に勤務するため、セイロンにやってきます。
1922年11月、英国放送協会(BBC:British Broadcasting Corporation)がラジオ放送を開始します。
1923年、セイロン電信局のチーフエンジニアであったエドワード・ハーパーは、ラジオ愛好家のイギリス人・スリランカ人たちとセイロン・ワイヤレス・クラブを設立します。
第一次世界大戦でイギリスがドイツ海軍の潜水艦Uボートから回収した小型送信機を用いて、蓄音機による音楽放送を実験しています。
場所はウェリカダにあった中央電信局(Central Telegraph Office, Colombo)で、現在のスリランカテレコムのウェリカダサービスセンターです。
中央電信局は、1910年から1911年にかけて建設されています。
1986年にシンハラ過激派組織JVPによって爆破され、現在は修復されて、スリランカテレコムの拠点になっています。
1925年12月16日、中央電信局から「コロンボラジオ」が放送を開始。
英語のウィキペディアには、このコロンボラジオ(後のラジオセイロン、現在のスリランカ放送局)をアジア最古のラジオ局と記載されていますが、日本の放送局の方が放送開始日は早いです。
東京放送局(現:日本放送協会 NHK)の放送開始は1925年3月。
大阪放送局(現:日本放送協会 NHK)の放送開始は1925年5月。
名古屋放送局(現:日本放送協会 NHK)の放送開始は1925年6月。
1949年、セイロン政府内にラジオサービス部局が作られ、コロンボ放送会館を現在地に順次整備。
1967年1月、国営企業のセイロン放送協会(The Ceylon Broadcasting Corporation)に改組。
現在は情報メディア省(Ministry of Information and Media)の管轄下です。
1972年5月22日、国名の変更に伴い、スリランカ放送協会(SLBC:Sri Lanka Broadcasting Corporation)に名称変更。
日本による支援と建物内部の様子
1990年1月16日〜2月3日で、日本の国際協力事業団(現:JICA)が、郵政省電気通信局電波部計画課課長補佐・喜安拓氏を団長として、基本設計調査団が派遣されています。
1990年4月17日〜4月28日で、郵政省通信政策局国際協力課国際協力調査官・青木純一氏を団長とする調査団が再度スリランカに派遣されています。
この調査で、スリランカ放送協会の設備は1925年の開局当初のものや、コロンボ放送会館が建設された1949年当時のものであることが判明しています。
設備は耐用年数を大幅に超過し、保守部品もすでに製造中止になっていることから機器の故障が頻発していたと報告されています。
そこで「新スタジオ棟と地上高75mの鉄塔建設」と「番組制作機材の供与」を柱とする支援を日本が行っています。
1992年に日本がスリランカに供与した東芝製の放送機器がありました。
ライブラリーには古い音源が保存されていました。
ライブラリーの札が歴史を醸し出しています 笑
放送中の様子と、ソフトも見せてくれました。
参考)
JICA報告書PDF版:スリ・ランカ民主社会主義共和国 ラジオスタジオ整備計画基本設計調査報告書
国際協力事業団:スリ・ランカ民主社会主義共和国 ラジオスタジオ整備計画
Wikipedia:Sri Lanka Broadcasting Corporation
ウィキペディア:スリランカ放送協会
Wikipedia:Edward Harper (engineer)
Wikipedia:Central Telegraph Office, Colombo
Wikipedia:Radio Ceylon
Wikipedia:Sri Lanka Rupavahini Corporation
ウィキペディア:英国放送協会
ウィキペディア:日本放送協会の沿革
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「旅と町歩き」を仕事にするためスリランカへ。
地図・語源・歴史・建築・旅が好き。
1982年7月、東京都世田谷区生まれ。
2005年3月、法政大学社会学部社会学科を卒業。
2005年4月、就活支援会社に入社。
2015年6月、新卒採用支援事業部長、国際事業開発部長などを経験して就職支援会社を退社。
2015年7月、公益財団法人にて東南アジア研修を担当。
2016年7月、初めてスリランカに渡航し、会社の登記を開始。
2016年12月、スリランカでの研修受け入れを開始。
2017年2月、スリランカ情報誌「スパイスアップ・スリランカ」創刊。
2018年1月、スリランカ情報サイト「スパイスアップ」開設。
2019年11月、日本人宿「スパイスアップ・ゲストハウス」開始。
2020年8月、不定期配信の「スパイスアップ・ニュースレター」創刊。
2023年11月、サービスアパートメント「スパイスアップ・レジデンス」開始。
2024年7月、スリランカ商品のネットショップ「スパイスアップ・ランカ」開設。
渡航国:台湾、韓国、中国、ベトナム、フィリピン、ブルネイ、インドネシア、シンガポール、マレーシア、カンボジア、タイ、ミャンマー、インド、スリランカ、モルディブ、アラブ首長国連邦、エジプト、ケニア、タンザニア、ウガンダ、フランス、イギリス、アメリカ
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