スリランカ初代行政大統領の記念館「J.R.ジャヤワルダナ・センター」
財務大臣、首相、大統領を歴史人したJ.R.ジャヤワルダナ氏を記念するセンター「J.R.ジャヤワルダナセンター」がコロンボ7にあります。
本記事では当センターについて解説します。
J.R.ジャヤワルダナ・センターとは?
J.R.ジャヤワルダナ・センターは、スリランカ初の行政大統領であったJ.R.ジャヤワルダナ氏の記念センターです。
J.R.ジャヤワルダナ氏の大統領任期(1978年9月7日~1989年1月2日)の最後の1年に当たる1988年に成立した議会の特別法「J.R.ジャヤワルダナ・センター法第77号」の規定に基づき設立されています。
理事会メンバー
J.R.ジャヤワルダナセンターの理事会には、孫のプラディープ・ジャヤワルダナ氏によって、歴代大統領・首相・野党党首など政界の名だたる人物が選出されています。
第10代大統領アヌラ・クマラ・ディサナヤカ氏
第9代大統領ラニル・ウィクラマシンハ氏
第8代大統領ゴーターバヤ・ラージャパクシャ氏
第7代大統領マイトリパーラ・シリセーナ氏
第6代大統領マヒンダ・ラージャパクシャ氏
第5代大統領チャンドリカ・クマーラトゥンガ氏
第16代首相ハリニ・アマラスーリヤ氏
野党党首のサジット・プレマダーサ氏
第21代国会議長マヒンダ・ヤパ・アビワルデナ氏
など
ジャヤワルダナ氏の父の邸宅ウェージャンタ

セイロン最高裁判所長官を務めたジャヤワルダナ氏の父ユージーン・ウィルフレッド・ジャヤワルダナの自宅として建てられ邸宅「ウェージャンタ(Vaijantha)」。ジャヤワルダナ氏は幼少期や結婚したばかりの頃にこの邸宅に住んでいます。
ジャヤワルダナ氏は1935年に結婚し、当初は両親の邸宅であるウェーイジャンタに住んでいましたが、1938年にワードプレイスにあった妻エリーナの父(公証人及びビジネスマン)が建設した邸宅「ブレーマー(Braemar )」を取り壊し、新しく自身の邸宅を建てて、「ブレーマー」と同じ名前をつけています。ブレーマーは、スコットランドのアバディーンシャーにある村ブレーマーに由来します。
ウェージェンタの1階は3つの展示室がある博物館となっていて(以前は3つとも開放されていましたが、現在は2つのみ開放)、2階はジャヤワルダナ氏の蔵書を収蔵する研究図書館、文書保管所になっています。
オーディトリアム

邸宅と通りの間にはイベント会場として貸し出しているオーディトリアムがあります。
日本会館

邸宅に裏に日本会館が建てられています。ジャヤワルダナ氏は日本に何度か訪れ、またスリランカで日本の皇室や政府関係者の受け入れおり、その際の記念品が展示されています。
龍源庭
龍源庭は、広島県東広島市西条町にある石鎚山真言宗『蓮臺山龍玄院』故田中龍玄(たなかりゅうげん)初代貫主が寄贈した日本庭園が、日本会館の横にあります。
田中氏はサンフランシスコにおける平和条約でのジャヤワルダナ氏のスピーチへの感謝の印として寄贈したとジャヤワルダナセンターの公式サイトに紹介されています。
第一展示室(各国要人からの贈り物)
各国の要人(国王・女王・国家元首・政治家・宗教指導者など)からジャヤワルダナ氏への贈り物600点の一部が展示されています。
マハリシの鐘

第一展示室に入ると、正面に鎮座しているのが、マハリシ・マヘシュ・ヨーギ聖師から贈られた「無敵のマハリシの鐘」と「純粋な知識のトーチ」です。
金メッキの大砲のレプリカ

第一展示室を入ってすぐ右側には、1980年にスリランカ陸軍司令官からジャヤワルダナ氏に贈られた金の大砲のレプリカが展示されています。リューケ・ディサーウェ(キャンディ王国時代の州知事)がキャンディの王スリ・ウィジャヤ・ラジャシンハ(1737-1747年)に献上した大砲のレプリカであると言われています。リューケ・ディサーウェは、キャンディ王国における州知事のような存在であったディッサーヴァの役職についていた人物です。当時、キャンディ王国には21の州があり、そのうちの12の大きな州のトップがディッサーヴァだったそうです。
キャンディ時代のビルマ寺院の写本

ビルマ語で書かれた写本。キャンディ国王ウィマラダルマスーリヤ2世の治世(1687-1707年)に、マハウェリ川で開催されたゲタベ・ウパサンパダ(上座部仏教の出家式)を記念するものです。イギリス占領時代にインドに持ち出されましたが、F・R・セーナーナーヤカ氏(セイロン初代首相の兄)が購入し、レディ・ウィジェラトナとその家族によって、N・ウィジェラトナ博士を通して寄贈されました。
ポロナルワ王国、ダンバデニヤ王国、オランダ東インドのコイン

以下の時代のコインのコレクションが展示されています。
ポロンナルワ王国の女王リラヴァティ(治世1197年-1200年)
ダンバデニヤ王国の王パラークラマバーフ2世(治世1236年-1271年)
ダンバデニヤ王国の王ヴィジャヤバーフ4世(治世1271年-1273年)
ダンバデニヤ王国の王ブヴァナイカバーフ1世(治世1273年-1284年)
オランダ東インド会社
セイロン初の財務大臣在任中に発行した10ルピー札

ジャヤワルダナ氏はセイロン初の財務大臣に就任していますが、その在任中に発行された10セイロンルピー札。
行政大統領就任のサイトのテーブルと椅子

スリランカ共和国第10代首相に就任した後に、スリランカ共和国第2代大統領に就任し、行政大統領制を導入し、国号をスリランカ民主社会主義共和国に変更した後の最初の大統領に就任していますが、その就任時のサインをした際のテーブルと椅子が展示されています。
第二展示室(生誕から葬式まで)
第二展示室はジャヤワルダナ氏の家系図・生まれから学生時代、弁護士時代、財務大臣、観光大臣、首相、大統領、行政大統領、引退後、葬式とジャヤワルダナ氏の人生について展示されています。
グランドパスのジャヤワルダナ邸

グランドパスにあったジャヤワルダナ・ワラウワの写真が展示され、父方・母方双方の家系図が展示されています。
父の邸宅「ウェージャンタ(Vaijantha)」

本博物館の結婚した当時の写真の写真と思われます。
1951年サンフランシスコ講和会議

サンフランシスコ講和会議でスピーチを行うジャヤワルダナ氏の写真。
観光大臣時の記事

この頃にジャヤワルダナ氏はベントタの観光開発を担当していますが、その時に白羽の矢が立ったのがジェフリーバワでした。
1981年明仁皇太子からの手紙

1981年2月27日~3月7日に、明仁皇太子(当時)はサウジアラビアとスリランカに滞在し、タイとシンガポールに立ち寄られていますが、スリランカ滞在のお礼をジャヤワルダナ大統領(当時)に送られた手紙。
1987年インド・スリランカ・アグリーメント

1987年7月29日にコロンボでインド首相ラジーブ・ガンディーとスリランカの大統領J.R.ジャヤワルダナとの間で著名された協定の写真。これを受けて、JVPが第二回目の武装蜂起を行い、ミリッサのジャヤワルダナ別荘は燃やされ、その後に孫のプラディープ氏がジェフリーバワに依頼して建てたのがプラディープ・ジャヤワルダナ邸(Red Cliffs Mirissa)です。
2階の図書館
ジャヤワルダナ氏の蔵書

様々な分野の本が並べられています。
ジャヤワルダナ氏関連本コーナー

ジャヤワルダナ氏に関する本が販売されています。
日本の書籍コーナー

日本語の本や雑誌が保管されています。
在スリランカ日本大使館にジャヤワルダナセンターについて寄稿いただいた2017年発行のスパイスアップ第4号も保管されていました。
日本会館

博物館の裏に日本館があります。
サンフランシスコ講和会議でのスピーチ原稿と音声

1951年のサンフランシスコ平和条約会議における大統領の演説からの抜粋が、8フィート×10フィートの木彫りの額に収めて壁に固定されています。スピーチの音声も聴くことができますが、平和条約会議当時の音声ではなく、後日に本人が吹き込んだ録音です。
1979年訪日時の昭和天皇との写真

大統領に就任した翌日、ジャヤワルダナ氏は訪日しています。1979年の昭和天皇からの贈り物、1993年の昭和天皇からの贈り物も展示されています。
1984年の三笠宮からの贈り物

三笠宮は1956年8月に建国2500年記念式典に出席のため、スリランカを訪れています。
三井建設からの贈り物

ジャヤワルダナ氏が大統領在任中に行ったコーッテーでの新国会議事堂のプロジェクトは設計をジェフリーバワが、施工を三井建設が行っています。
極真空手4段の賞状

極真空手の創設者である大山倍達氏からの極真空手四段の賞状。
ジャヤワルダナ氏は1984年第三回オープントーナメント全世界空手道選手権大会、1987年第四回オープントーナメント全世界空手道選手権大会にも足を運んだようです。
田中龍玄氏による広島招聘

東広島にある石鎚山真言宗『蓮臺山龍玄院』の田中龍玄氏は、政界を引退したジャヤワルダナ氏を1991年に広島に招いています。龍玄による贈り物や、広島訪問時の写真が展示されています。
雲龍寺の足利正哲氏による八王子招聘

境内にジャヤワルダナ像を建立した八王子・雲龍寺の足利正哲氏に招聘されて、八王子を訪れた時の写真や贈り物が展示されています。
北九州市市長からの感謝状

北九州市の「到津の森公園」にはセイロンゾウが2頭いますが、1977年生まれの雌のサリー、1978年生まれの雌のランの2頭のセイロンゾウがいますが、これは北九州市からのリクエストに対して、ジャヤワルダナ氏が受け答え結果のようです。
Sumiko Lankaの吉沢氏寄贈の雛人形

1999年開業のキャンディの5つ星ホテル「アールズリージェンシー」を建設したSumiko Lankaの吉沢氏による寄贈。ホテルオーナーのアール・グナセーカラ氏が 紹介したとのこと。
日本語放送を担当していた岡田陽子さん夫妻からの人形

スリランカ放送局会(ラジオ)で1989年まで日本語放送を担当していた岡田陽子さんと旦那さんのマヒンダ・ウィーラプラさんからの人形。
関連記事・参考
J.R.JAYEWARDENE CENTRE公式サイト
Wikipedia:J. R. Jayewardene Centre
Wikipedia:J. R. Jayewardene
Wikipedia:Pradeep Jayewardene House
Wikipedia:Sri Lanka Eye Donation Society
EXPLORE SRI LANKA:Helena Wijewardene: The Matriarch of an Illustrious Family
ケラニヤ寺公式サイト:Mrs. Helena Wijewardene of Sedawatte Walawwa
Wikipedia:Maha Dissava
真言宗『蓮臺山龍玄院』龍玄精舎公式サイト
roarmedia:Upali Wijewardene: The Kandos Man
到津の森公園:セイロンゾウ
Sanken Construction:Earls Regency at Kandy for Sumiko Lanka Hotels (Pvt) Ltd
radio_no_koeのブログ:スリランカSLBC岡田さんに再び注目
ウィキペディア:スリランカ放送協会
Wikipedia:Bandaranaike–Chelvanayakam Pact
SPICE UP LANKA CORPORATION (PVT) LTD Managing Director
SPICE UP TRAVELS (PVT) LTD Managing Director
「旅と町歩き」を仕事にしようとスリランカに移住。
地図・語源・歴史・建築・旅が好き。
1982年7月、東京都世田谷区生まれ。
2005年4月、法政大学社会学部社会学科を卒業後、六本木の人材系ネットベンチャーに新卒入社。
2015年6月、新卒採用支援事業部長、国際事業開発部長を経てネットベンチャーを退社。
2015年7月、公益財団法人にて東南アジア研修を担当しながら、新宿ゴールデン街で訪日外国人向けバーテンダー。
2016年7月、スリランカに初めて渡航し、法人設立の準備を開始。
2017年1月、SPICE UP LANKA CORPORATION (PVT) LTDを登記。
2017年2月、スリランカ情報誌「スパイスアップ・スリランカ」創刊。
2018年2月、スリランカ観光情報サイト「スパイスアップ」開設。
2019年11月、日本人宿「スパイスアップ・ゲストハウス」オープン。
2020年8月、ニュースレターの配信を開始。
2020年10月、WAOJEコロンボ支部立ち上げ初代支部長に就任。
2023年2月、スリランカ日本人会理事・広報部長に就任。
2025年6月、SPICE UP TRAVELS (PVT) LTDを登記。
渡航国:台湾、韓国、中国、ベトナム、フィリピン、ブルネイ、インドネシア、シンガポール、マレーシア、カンボジア、タイ、ミャンマー、インド、スリランカ、モルディブ、アラブ首長国連邦、サウジアラビア、エジプト、ケニア、タンザニア、ウガンダ、フランス、イギリス、アメリカ
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