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1976年公開の映画『スリランカの愛と別れ』〜45年前のスリランカで撮影〜

2021年4月10日

大河ドラマ「青天を衝け」で徳川家康役を演じる北大路欣也さんが主演、木下恵介監督の1976年に公開された映画『スリランカの愛と別れ』。

当日のスリランカ、モルディブの様子が映像で見られ、北大路欣也さんや高峰秀子さんが英語、シンハラ語を話している様子が見られます。英語とシンハラ語の使い分けは自然に感じます。

コロンボ、ヌワラエリヤ、キャンディ、シーギリヤ、ベントタ、ポロンナルワ、ラトゥナプラなどが映像や会話で出てきます。
スリランカのことを知っている人であれば話が分かりますが、1976年に日本でご覧になられた方々は分からなかったのではないかと思います。

映画のパンフレットなどでスリランカについて紹介されていて、異国について知りながら観るという楽しみがあったのかもしれません。

当時のスリランカの各地、特にゴールフェイスを中心にコロンボの映像が見られるのが、とても興味深いです。

スリランカルピーのレートは下がり続けていますが、映画では1ルピー=30円と、現在よりも約55倍も高かったようです。

今のスリランカと変わらないこと、変わっていることなどがわかり、非常に興味深い映画です。

本記事では、『スリランカの愛と別れ』の内容には触れず、そこで登場する町や建物についてご紹介していきます。

コロンボが首都のスリランカ共和国

スリランカ民主社会主義共和国に改称し、首都をスリジャヤワルダナプラコッテに定めるのは1978年です。
そのため、映画ではスリランカ共和国、首都はコロンボとなっています。
1972年にイギリス連邦セイロンから共和制に移行し、スリランカ共和国となっています。

カナダの支援で作られたバンダラナイケ国際空港

映画で「カナダ・フレンドシップ・ロード」の標識が出てきますが、これはバンダラナイケ国際空港とともにカナダの支援で作られた道路で、現在も空港と高速、空港とニロンボ・コロンボ・ロードを繋いでいます。

バンダラナイケ国際空港の沿革
・1957年にソロモン・バンダラナイケ首相がイギリス空軍をイギリス空軍ニゴンボ駐屯地から排除します。
・1964年にカナダからの支援によって、ラトマラーナ空港に代わる新しい国際空港にすることを決定します。
・1967年にカトゥナーヤカ国際空港の名前で開港
・1970年にバンダラナイケ国際空港に改称
・1977年にカトゥナーヤカ国際空港に改称
・1995年にバンダラナイケ国際空港に改称

映画の撮影・公開時はバンダラナイケ国際空港です。

エアセイロンの所有機「4R-ACR」

イギリスの航空機メーカー「ホーカー・シドレー」が、1966年に製造した航空機。

エア・セイロン(現:スリランカ航空)が所有していました。

ペターとコロンボフォート

・Sri bodhiraja Mawatha
・メインストリート
・旧コロンボ市役所
・ヒンドゥー寺院
・カーギルスビル
・ライトハウスクロックタワー
・旧国会議事堂
などが映画の冒頭に見られます。

セイロン・インターコンチネンタル

映画でヌワラエリヤの少年のお兄さんが働き、日本の宝石会社の社長が宿泊しているのがセイロン・インターコンチネンタル(現:キングスバリー)です。

ホテルは1973年にスリランカ初の5スターホテルとしてオープンしています。
建設を担当したのはホテル・ランカ・オベロイも担当したU N グナセカラです。

ホテル・ランカ・オベロイ

宝石会社の出張員を見掛けている場面の撮影現場です。

1975年にオープンしたホテル・ランカ・オベロイ(現:シナモン・グランド)は、インドの高級ホテルチェーンのオベロイ・ホテルズ&リゾーツの最初のインド国外のホテルとして建設されています。
建設を担当したのはセイロン・インターコンチネンタルも担当したU N グナセカラです。

1970年頃までセイロン司教の土地で、スリランカ政府によるヒルトンホテルの誘致の2回目(1965年)と3回目(1966-1967年)の場所だったのが当地です。
ヒルトンホテルの誘致は1回目(1961年)から3回目までの設計はジェフリーバワに依頼されていますが、ヒルトンホテルの誘致は実現しませんでした。
その後、その土地に作られたのがこのホテル・ランカ・オベロイです。
ヒルトン1回目の誘致の場所はゴールフェイスグリーンでした。

2003年にオベロイからアジアホテルズに経営が移り、「コロンボ・プラザ」と改称されます。
2005年にジョンキールズがホテルを経営するようになり、シナモン・グランド・ホテルに改称されています。

オベロイのホテルは、2008年のムンバイ同時多発テロで、TAJ(タタ財閥)のタージマハルホテルなどともに、テロの舞台になったオベロイ・トライデントが知られています。

スリランカルピーと日本円のレート

現在(2021年4月10日)のレートは、1ルピー=0.55円ですが、
映画でのレートは、1ルピー=30円のようです。

約55倍もスリランカルピーが高くなっています。

埋め立て前のゴールフェイス

現在は埋め立てれているゴールフェイスの海岸に砲台が並んでいる様子が見られます。

ジャカランダ夫人に出会うゴールフェイスホテル

古いゴールフェイスホテルの様子が見られるのが非常に面白いと思います。

ジャカランダ夫人の別荘があるヌワラエリヤ

ヌワラエリヤのビクトリア湖、山道が見られます。

ワタワラ駅

少年が鉄道を下車して、コロンボに向けて歩き出すのはワタワラ駅。

紅茶ブランドCeylontaを販売するWatawala Tea Ceylon社の名はこの町の名前から取れています。

キャンディ湖とキャンディアンダンス

少年がキャンディ湖を見下ろす景色が映ります。
湖の南側の丘の上からですので、現在のビューポイントあたりからのものでしょう。

映画後半で、キャンディアンダンスを鑑賞しているのは、現在もキャンディアンダンスが鑑賞できる、キャンディアン・アート・アソシエーションだと思います。

この協会は撮影当時も同じ場所に所在していたようです。

キャンディ王国の王「ウィマラ・ダルマ・スリヤ1世」が建設した駕籠を収容していた建物が事務所として使われ、その後、1982年に拡張されています。

この拡張工事の設計を担当したのが、スリランカ初の女性建築家(ジェフリーバワよりも1年早く生まれている)ミネッテ・デ・シルヴァです。

ウィマラ・ダルマ・スリヤ1世は、ポルトガルとの戦いに2回勝利したことでも知られるキャンディ王国の王です。

ピンナワラのゾウの孤児園

ヌワラエリヤの少年がキャンディで列車を降りて、歩いてコロンボに向かう際に川に象がいる様子が見られますが、おそらく、ピンナワラでしょう。

ピンナワラのゾウの孤児園は1975年に開園していますので、撮影時にちょうどオープンしたところだったのかもしれません。

ヘリツアーズで行くシーギリヤ

現在もスリランカ空軍が国内線として飛行機とヘリを運行していますが、映画でもスリランカ空軍が運行するヘリでシーギリヤに行けると説明されています。

上空からの映像で、ライオンテラスが見え、シーギリヤレディーが映ります。

ライオンテラスからは、現在の頂上まで取り付けられているよりもずっと細い階段が取り付けられているように見えます。

当時、現在の頂上までいけたのかもは分かりません。

リゾート地として開発されたベントタ

セイロン政府はベントタをリゾート地として開発することに決め、
1967年にジェフリーバワがベントタ・リゾート、ベントタ・ビーチ・ホテル、ホテル・セレンディブの建築に着手しています。

映画の撮影が行われた時には、すでにスリランカの代表的なリゾート地になっていたのだと思います。

ビーチとホテルが映りますが、これが実際にベントタなのかどうかは判別がつきませんでした。

ヴィハーラ・マハー・デーウィ公園

イギリス統治時代にビクトリアパークとして整備され、第二次世界大戦中はイギリス陸軍とオーストラリア陸軍が拠点としていました。

1951年に公園として公開され、1958年に現在のヴィハーラ・マハーデヴィ・パークと改称されます。
スリランカを最初に全島統一したドゥッタガーマニー王の母「ヴィハーラ・マハー・デーウィ」に由来します。

ビクトリア女王像が置かれていた場所に現在は仏像が置かれ、コロンボ市役所と向き合っています。

ヴィハーラ・マハー・デーウィ像も公園内にあります。
仏像を正面にして、左手側の遊歩道に立像があります。
仏像を正面にして、右手側の交差点近くにあるのは、アナガリーカ・ダルマパーラの立像です。

会話に出てくる町:ラトゥナプラ、ポロンナルワ

映像には出てきませんが、ラトゥナプラとポロンナルワが会話に登場します。

モルディブ

鰹節がよく取れるというセリフがあります。

モルディブの場面で、モルディブフィッシュ(鰹節)を浜辺に並べている場面が出てきます。

映画では「マルディブ」と発音されているのが面白いと思います。

ジャカランダの木

南米原産のジャカランダの木はスリランカではエッラなどで見られるようです。

日本では1964年に、ボリビアのオキナワ移住地から沖縄に持ち帰ったことから始まったようです。

・静岡県熱海市のジャカランダ遊歩道(5月下旬〜6月に開花)
・長崎県雲仙市のジャカランダ通り(6月初旬〜6月下旬に開花)
・宮崎県日南市のジャカランダの森(5月下旬〜6月下旬に開花)
などが日本で見られる代表的な場所のようです。

その他、代官山の旧山手通りでも見られるようです。

ポルトガルではジャカランダの花見がされるそうです。
メキシコシティでは日本人移民が大統領に街路樹として植栽を勧めたそうです。
南アフリカのプレトリアは「ジャカランダの街」とも呼ばれるそうです。
オーストラリアではブリスベン、グラフトン、シドニーなどで見られるようです。

Sympathetic Joy(喜)

木の下に安置されている仏像のところに、「Sympathetic Joy」と書かれた石板が置かれています。

四無量心(慈・悲・喜・捨)のうちの3つ目、喜を英語で表現したもの。
慈悲の瞑想、ヴィパッサナー瞑想とも関係するもの。

Samudra Maru

最後に遺灰をコロンボに海に撒く際に乗っている船には「Samudra Maru」と記載されています。
Samudraはサンスクリット語で海を意味します。
コロンボにあるTAJ Samudra Hotelにその名があります。

参照)

Movie Walker Press:スリランカの愛と別れ
ウィキペディア:スリランカの愛と別れ
ホリプロ:北大路欣也
Wikipedia:Bandaranaike International Airport
Aircraft 4R-ACR Data
ウィキペディア:ホーカー・シドレー
Lankapura:Hotel Ceylon Inter-continental, Colombo 1979
Ceylon guide:Hotel Lanka Oberoi
ウィキペディア:ムンバイ同時多発テロ
Wikipedia:Kandyan Art Association
Wikipedia:Vimaladharmasuriya I of Kandy
Wikipedia:Pinnawala Elephant Orphanage
Helitours 公式ページ
Wikipedia:Helitours
Wikipedia:Viharamahadevi Park
LOVERGREEN:ジャカランダの紫の花を知ってる?季節や花言葉、日本の名所まで!
ウィキペディア:キリモドキ属
ウィキペディア:オキナワ移住地
日本経済新聞:南米ボリビアに70年、もう一つの「オキナワ」
みやざき観光情報旬ナビ:ジャカランダの森
熱海市:ジャカランダ
ながさき旅ネット:小浜温泉ジャカランダ 
ジャカランダ 都心にもジャカランダが咲いています 2016
ようこそポルトガル:ジャカランダ
Queensland
Clarence Valley
ウィキペディア:喜 (仏教)
ウィキペディア:四無量心

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