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スリランカの祝日、イスラム教の預言者生誕祭とは?

2020年10月30日

スリランカでは本日、2020年10月30日(金)は預言者生誕祭で祝日です。
今年は仏教のお休みであるヴァプ・ポーヤの日(祝日)でもあります。

イスラム教の祝日は太陰暦のために、毎年日付が変わります。

他の多くのスンナ派の国では、2020年は10月28日の夕方から10月29日の夕方にかけて祝ったようですが、スリランカでは1日ずれて10月29日の夕方から10月30日の夕方にかけて祝われます。

本記事では、預言者生誕祭について紹介していきます。

預言者生誕祭とは?

預言者ムハンマドのヒジュラ暦(イスラム暦)による誕生日に行われるイスラム教の祭礼です。

スンナ派の多くはラビー・アル=アウワル月(第3月)12日を、シーア派の多くは同17日を預言者生誕の日としています。
ヒジュラ暦は月の満ち欠けを元にした太陰暦で、1年は約354日でグレゴリオ暦と1年に約11日の差が発生します。
そのため、預言者生誕祭は毎年違う日に行われます。

預言者生誕祭を広めたスーフィーは、各教団(ターリカ)の指導者を聖者として崇拝したため、イスラム教徒が多い国・地域では教団の聖者生誕祭(マウリド)を各地で行っているところが多くあります。
この日はイスラム教の開祖ムハンマドの生誕日のため、聖者生誕祭の中でも特に盛大かつ広い地域で祝われます。

預言者生誕祭の発祥地であるエジプト、初めて公的に祝日になったイラク北部をはじめ、多くのイスラム系国ではムスクや家が飾られ、大規模なパレードが行われます。

一方で、ワッハーブ派が多いサウジアラビアやカタールでは預言者生誕祭は祝うことを良しとされていません。
その影響もあり、最近ではこの2カ国以外でも盛大に祝わない地域も出てきているそうです。

預言者生誕祭のパレード

エジプト、イラク、トルコ、パキスタン、マレーシア 、インドネシアなどでは盛大にお祝いされ、大規模なパレードや集会が行われる町もあります。

イスラム教国ではないインドですが、ムスリムが多いジャンムー・カシミール州やハイデラバードでは盛大に祝われます。

生誕祭前からスーフィー教団は様々な儀礼を行って預言者を称え、祭りへの準備を行います。

町々、村々、大都市のモスク前には市場、屋台、芝居小屋が立ち、砂糖菓子でできた花嫁や馬、ラクダの人形が贈答されたり、預言者を称える詩の朗読やスーフィーによる祈りが行われます。

生誕祭の前日から当日の夜にかけてはそれぞれのスーフィー教団が教団員で大行列を組み、ムハンマドとアッラーを称えながら行進します。
食べ物や寄付金が配られたりもします。
祭りが終わると人々は飾られていた砂糖菓子の人形を食べます。

スリランカでは生誕祭のパレードを見かけたことはありません。

預言者生誕祭を祝わない国

盛大なパレードが行われる町がある一方で、サウジアラビアやカタールで多数派を占めるワッハーブ派では、祝うこと自体が良しとされていません。

それは預言者生誕祭が始まった経緯にあります。

預言者生誕祭は犠牲祭(イード・アル=アドハー)やラマダン明け大祭(イド・アル=フィトル)のようにイスラム教にもともと存在する祭礼ではありません。

預言者生誕祭は、ファーティマ朝(シーア派)の次にエジプトを支配したアイユーブ朝(スンナ派)の時代に、スーフィーが儀礼に組み込み、広まったとされています。

スーフィーは共通の修行目標を持つ集団(タリーカ)を作り、タリーカの指導者を神秘化し、聖者として崇拝し、各教団の聖者生誕祭を祝います。
そして、その中でも最大のものが預言者生誕祭なのです。

この聖者崇拝やスーフィーの活動がムハンマドの教えから離れてしまっていると批判したイブン=アブドゥル=ワッハーブが始めた運動が起きます。

このワッハーブ派の人たちは、預言者生誕祭の開催やその祭礼の内容がクルアーンにもハディース(第二聖典とも言われるムハンマドの言行録)にも依拠しない新しいもので、また非イスラム的な起源をもつと思われるような要素を多く含むことから、預言者生誕祭を反イスラム行為とみなすため、ワッハーブ派は祝いません。

サウジアラビアはワッハーブ派が国教です。

ワッハーブ派の創始者イブン=アブドゥル=ワッハーブ(ナジュド地方出身)を支援したのがナジュド地方(サウジアラビアの首都リヤドはナジュド地方にある)の豪族ムハンマド・イブン=サウードで、両者が同盟を組んで建国したのが第一次サウード王国(ワッハーブ王国)です。

スーフィーとは?

それでは、そもそもスーフィーとはなんでしょうか?

スーフィーはアラビア語で羊毛を意味する「スーフ」に由来し、初期イスラーム修道者のように粗末な羊毛の衣服を身につけて、禁欲と苦行を重ねた人々のことです。

クルアーンとハーディスに日常生活の規範を求めるイスラム法学者のウラマーの権威が高まり、形式主義になっていたことに反発する動きとされます。

スーフィズムは宗派を超えたもので、スンナ派・シーア派にも広がっていきました。

預言者生誕祭の始まりと広がり

預言者生誕祭は、1122年、エジプトのカイロに遷都したファーティマ朝(シーア派)の宮廷の祭礼として始められたものを起源とすると言われています。

経典を読み上げ、甘いもの(特にムハンマドの好物と言われる蜂蜜)を配ったそうです。

1207年、イラク北部のアルビール(現在のクルド人自治区の主都)を治めていたGökböriが預言者生誕祭を公式なお祭りとします。

Gökböriはスンナ派が多数のモースル出身でスンナ派で、スーフィーでした。
Gökböriによってアルビールはスンナ派の中心地として栄えます。
Gökböriはバグダートを首都とするアッバース朝の人と結婚し、生まれた娘たちをイラク北部とシリアを支配したザンギー朝に嫁がせています。

Gökböriはかつて、ファーティマ朝に代わってエジプトを治めたアイユーブ朝を建国したサラーフッディーンに将軍として仕えていました。
サラーフッディーンはエルサレム王国(十字軍国家)を破りエルサレムを奪還し、十字軍の中でも最強の軍事力と言われた第3回十字軍に勝利した、イラク北部のティクリート出身(スンニー・トライアングルの一角をなす町)のアラブの英雄で、スンナ派、スーフィーでした。

スンナ派はスーフィーによって広まったと言われるほどにスーフィーのネットワークは広く、スーフィーによって預言者生誕祭は広まっていきました。

サラーフッディーンとGökböriは十字軍と戦った英雄であることも、預言者生誕祭の広まりに影響があったのではないかと思います。

また、スーフィーはスンナ派とシーア派の違いとは関係しない上に、シーア派のファーティマ朝で始まった預言者生誕祭はシーア派にも広がっていきました。

オスマントルコ帝国は1588年、預言者生誕祭はに祝日に指定しています。

まとめ

スリランカでは大規模なパレードは見かけませんが、祝日に指定されているムスリムの人たちにとって大事な祝日の一つです。

スリランカには4つの宗教に関連した祝日がありますので、祝日の意味や背景を知ると、文化や宗教への理解が深まりますので、ご紹介いたしました。

関連ページ

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参照

JETRO「スリランカ 祝日」
ウィキペディア「預言者生誕祭」
Wikipedia「Mawlid」
Time and Date.com「Milad un Nabi (Mawlid)」
ウィキペディア「ヒジュラ暦」
Public Holidays Global「Milad un-Nabi 2020, 2021 and 2022」
ウィキペディア「スーフィズム」
世界史の窓「スーフィー」
ウィキペディア「ハディース」
ウィキペディア「ワッハーブ派」
ウィキペディア「第一次サウード王国」
ウィキペディア「ナジュド」
ウィキペディア「リヤド」
ウィキペディア「カタール」
Wikipedia「Gökböri 」
ウィキペディア「ザンギー朝」
ウィキペディア「アルビール」
ウィキペディア「スンナ派」
ウィキペディア「サラーフッディーン」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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