Spice Up 観光情報サイト スリランカ観光・情報サイト

セイロン沖海戦(コロンボ・トリンコマリー空襲)と戦跡の観光情報

2021年4月04日

みなさんは「セイロン沖海戦」という戦いを聞いたことはありますか?

太平洋戦争中の1942年4月5日から9日にかけて、
セイロン(現スリランカ)のコロンボとトリンコマリーで繰り広げられた日本海軍とイギリス東洋艦隊の戦いです。

太平洋戦争にスリランカが巻き込まれてしまった唯一の実戦です。

今回は「セイロン沖海戦」の概要を解説します!

背景

南方作戦

1941年12月8日、日本軍は太平洋戦争開始の侵攻作戦である「南方作戦(第一段作戦)」を開始し、マレー半島とハワイの真珠湾に攻撃を行います。

南方作戦とは、日本から見て南方の連合国の重要軍事拠点(香港、マニラ、シンガポール)から米英勢力を一掃することと、重要資源地帯(スマトラ、ジャワ、ボルネオ、セレベス、マレーなど)を攻略確保することを目的としていました。

この南方作戦の終盤に実施されたインド洋作戦において起きた戦いが「セイロン沖海戦」です。

イギリス領マラヤ・シンガポールへの作戦:1941年12月8日〜1942年5月18日
イギリス領香港への作戦:1941年12月8日〜1941年12月25日
アメリカ自治領フィリピンへの作戦:1941年12月8日〜1942年6月9日
アメリカ領グアムへの作戦:1941年12月8日〜1941年12月10日
イギリス領ビルマへの作戦:1941年12月14日〜1942年5月27日
オーストラリア委任統治領ビスマルク諸島への作戦:1942年1月23日〜1942年2月6日
オランダ領インドネシアへの作戦:1942年1月11日〜1942年3月9日
インド洋(イギリス領セイロン、フランス領マダガスカル)作戦:1942年4月5日~1942年5月31日

1942年3月8日、日本陸軍はビルマの首都ラングーン(現在のミャンマーの最大都市ヤンゴン)を占領し、全ビルマ制圧作戦を進めようとしていました。
そのためには海路からの軍需品輸送が不可欠です。

しかし、インド洋にあるセイロン島にはイギリス軍の二大基地、商港コロンボと軍港トリンコマリーがありました。

マレー沖海戦に敗北したイギリス東洋艦隊は、セイロン島に退避していました。
イギリス艦隊が日本の海路からの輸送を阻止してくる可能性があり、日本海軍はこの二拠点を攻撃することを決定しました。

海戦開始

コロンボ空襲:1942年4月5日

1942年4月5日午前9時、イースターの日曜日の朝、南雲忠一率いる第一航空艦隊はコロンボ南方200海里から第一攻撃隊を発進しました。

日本軍は戦闘機、軍艦、商船、地上軍事施設、港湾施設、飛行場などを攻撃しました。

トリンコマリー空襲:1942年4月9日

4月9日午前9時、南雲機動部隊はトリンコマリーの東方海上約200海里から第一次攻撃隊を発進。

飛行場と港湾を強襲し、迎撃機のほか飛行場の地上機、港湾施設を破壊しました。

トリンコマリー攻撃から第一次攻撃隊が帰還し、空母ハーミーズへの攻撃に向かわせるべく補給をし、攻撃機に魚雷を積んでいる最中、イギリスの戦闘機からの攻撃を受けます。

飛行甲板上には燃料と魚雷を搭載した航空機がずらりと並べられていました。

幸い爆弾は命中しませんでした。

もし被弾すれば引火爆発を招き、空母を損失しかねない危機だったと言います。

その後、南雲機動部隊は空母ハーミーズ、駆逐艦ヴァンパイヤを撃沈しています。

イギリス東洋艦隊はケニアのモンバサのキリンディニ港へ撤退しました。

日本側も、開戦から連戦続きだった南雲機動部隊を休ませるべく本土への帰還を言い渡され、撤退しています。

こうしてセイロン沖海戦は、日本の勝利で幕を下ろしました。

それぞれの空襲で、基地で働くスリランカ人など民間人も亡くなっていることを忘れてはいけません。

ミッドウェー海戦に反省を活かすべきだった?

コロンボ空襲(4月5日)の1ヶ月後の5月5日にマダガスカルの戦いが始まり、
2ヶ月後の6月5日にミッドウェー海戦が始まっています。

日本海軍はセイロン沖海戦にて「飛行甲板に航空機を満載した状態で」奇襲を受けました。

運よく爆撃を逃れたましたが、海軍上層部は問題視せず、特に対策を講じなかったと言われています。

そして、この失敗から学ばなかったことが、後のミッドウェー海戦の敗北の一要因になったのではないか、連戦連勝による慢心があったのではないかとも言われています。

戦跡を訪れる

沈船ハーミスのダイビング

スリランカの東海岸の町、バッティカロアでは、日本海軍が撃沈したイギリスの空母「ハーミス」をダイビングで見ることができるようです。

ただ沈船ハーミスのダイビングは、テクニカル・ダイビングに分類されるので特別な技術が必要となります。

ダイビングの詳細はこちらから>>>

https://www.srilanka-divingtours.com/

日本人墓地

コロンボ8(ボレッラ)では、日本人墓地を訪れることができます。

セイロン海戦で亡くなった方々や捕虜になって、スリランカで亡くなった方々、スリランカで暮らして亡くなった方々のお墓があります。

トリンコマリー戦没者墓地

セイロン沖海戦で亡くなったイギリス軍兵士は350人以上といわれています。

トリンコマリーでは、今もなお彼らを追悼するための墓地が整備されています。

また、ギリス軍に編入されていたインド人部隊やパキスタン人部隊のお墓もあります。

終戦から70年の時を経てもなお、毎年戦没者の家族が追悼に訪れると言います。

オイルタンク91番

トリンコマリーの空爆の際に、日本軍人3人が乗った戦闘機がオイルタンクに突撃しています。

現場はインディアンオイルの子会社であるLanka IOCのオイル・タンク・ファームの敷地内にあります。

跡地には標識が立っており、3人の名前と突撃後、7日間に渡って燃え続けたことが書かれています。

石油会社の敷地内のため、見学するために石油会社に許可を得る必要があります。

詳細は以下のサイトを参照ください。

Trincomalee Oil Tank Farm and World War II
Tank 91 – The Story Of The Trincomalee Oil Tank Destroyed In World War 2

>関連記事

日本を分割占領から守ったスリランカのジャヤワルダナ大統領というのは本当…

スリランカで一番美しい海!トリンコマリーの行き方とおすすめ観光地10選

参照)

ウィキペディア:セイロン沖海戦
ウィキペディア:インド洋作戦
ウィキペディア:インド洋の戦い
ウィキペディア:南方作戦
かしゃぐら通信セイロンのゼロ戦
ニコニコ大百科:セイロン沖海戦

# 関連キーワード