スリランカ旅行の前に知っておきたい|スリランカ内戦を分かりやすく解説 | スリランカ観光情報サイト Spice Up(スパイスアップ)
Spice Up 観光情報サイト スリランカ観光・情報サイト

スリランカ旅行の前に知っておきたい|スリランカ内戦を分かりやすく解説

2019年10月14日

スリランカは、世界中から多くの観光客が訪れる観光地として人気のスポットとなっています。
しかし、ほんの10年前までスリランカは内戦状態にありました。
内戦は26年間も続き、犠牲者は10万人以上、国内のみならず国外に避難した難民は数十万人に上ると言われています。
スリランカの内戦はどのような背景があって勃発し、どのような経緯で終戦したのか、今回はスリランカ旅行前に知っておきたいスリランカ内戦について徹底解説します。

スリランカ内戦の背景

まず、スリランカの内戦が勃発した背景についてご説明します。

スリランカの民族について

スリランカには、人口の7割を占めるシンハラ人と2割弱を占めるタミル人、ムスリムが中心のムーア人やヨーロッパ系と混血のバーガー人など様々な民族が住んでいます。
その中で、主に仏教を信仰するシンハラ人を主体とするスリランカ政府軍とヒンドゥー教を信仰するタミル人の一部過激派との争いでした。
一般に民族紛争とよくとらえられますが、両者全ての人々が争っていたわけではなく、実際に多くの民族が生活するコロンボでは内戦中も両者は共存していました。

データで徹底解説!スリランカの民族・宗教構成とその分布

 

内戦のきっかけ

内戦のきっかけとなったのは、イギリス植民地支配下における統治システムにありました。
スリランカは、約450年間ポルトガル、オランダ、イギリスと植民地支配の下にありました。
1815年から1948年まで支配していたイギリスは、スリランカを少数派であるタミル人を重用し、多数派のシンハラ人を統治させました。
この統治システムによって、官吏や資本家など社会的地位の高い職業はタミル人が占め、多数派のシンハラ人はタミル人に対する不満を募らせていきました。

1948年、第二次世界大戦を機にイギリスから独立したスリランカの政権は、多数派であるシンハラ人寄りの政権でした。
そして、それまでの憎しみや怒りをぶつけるように、政権は次第にタミル人への弾圧を強めていくのでした。

内戦勃発まで

1948年、第二次世界大戦を機に他のアジアの国々と同じくスリランカも独立を果たしました。
多数派のシンハラ人の支持によって誕生した政権は、1956年から次第にシンハラ人の利益を尊重するシンハラ・オンリーと呼ばれる政治姿勢をとっていきます。
後に、シンハラ語を唯一の公用語としたり、シンハラ人の多くが信仰する仏教を国教化するなどのシンハラ人優遇政策が実行されました。
次第に公職はシンハラ人が占め、タミル人への迫害はますますひどくなっていきました。

1976年には、スリランカ国内でタミル人による国家設立を目指す、後にLTTEと名乗り政府軍と戦闘を繰り広げるタミル人の過激派組織が誕生します。
LTTEは、タミル人が多く居住するジャフナやトリンコマリーを中心とする北東部の独立を目指していました。
次第にタミル人の過激派組織と政府との間で衝突が起きるようになっていきました。

スリランカ内戦の経緯

26年に及んだスリランカ内戦は、幾度にわたる停戦合意から大きく4つの時期に分けられます。

第一次内戦期(1983年~1987年)

1983年、LTTEが北部都市ジャフナで政府軍の兵士13人を殺害したのを機に、ついに全面的な内戦へと突入しました。
その報復として同年7月、コロンボでは暴徒化したシンハラ人がタミル人の住む地域を襲撃、虐殺や略奪が発生し多くのタミル人が亡くなりました。
このときから、多くのタミル人が国外へ避難するようになります。
内戦は、LTTEによるテロと政府軍によるその応酬で次第に泥沼化していきます。
LTTEはジャフナ市長の殺害や仏教の聖地であるアヌラーダプラで放火、虐殺を行いました。

1987年には、タミル人が多く住むインドが内戦に介入。
タミル人が多く住むインドはLTTEに協力的で、当時武器や資金などもインドが支援していました。
インドは1987年から1990年まで平和維持軍を派遣しており、内戦における初めての停戦合意の締結にも協力しました。

第二次内戦期(1990年~1995年)

しかし、その停戦合意はすぐに崩れることになります。
1990年には停戦合意が崩壊し、再び内戦状態へ突入しました。
インドの平和維持軍はこのときに撤退しています。
LTTEがインドの大臣だった人物を殺害したことで、インドのLTTE支援はこれを機に縮小していきます。

また、LTTEはインドの平和維持軍が撤退したのを機に北東部のほとんどを支配下におさめます。
LTTEは北東部の一部地域の警察を虐殺すると、政府軍は支配地域への食料や物資のルートを遮断、LTTEの要所を激しく攻撃し、戦闘はさらに激しくなりました。

1991年には、北部地域のキリノッチ近くの軍事拠点だったエレファントパスで大規模な戦闘が起き、延べ2000人以上が死亡しました。
コロンボでのテロもこの頃から起きるようになり、1993年にはLTTEは自爆テロによってプレマダーサ元大統領の殺害に成功しています。

第三次内戦期(1995年~2002年)

1995年に、再び停戦合意が締結されましたが、すぐに無効化され内戦状態へ突入します。
2001年には、スリランカの空の窓口であるバンダラナイケ国際空港がLTTEによって襲撃されています。
北部地域では、政府軍とLTTEによる激しい戦闘と民間人への虐殺が発生しました。

2002年、和平交渉に実績があったノルウェーによって停戦合意が結ばれました。
停戦合意後には6回もの和平交渉が行われました。
日本も和平交渉に協力しており、2003年には「スリランカ復興開発に関する東京会議」が東京で開催されています。
国連事務次長だった明石康氏を何度もスリランカに派遣し、交渉に協力していました。
2004年には、スマトラ沖津波地震が発生し、LTTE支配地域を含む全土が甚大な被害を受けますが、内戦状態下の混乱した中で支援は全土にまで行き渡りませんでした。

第四次内戦期(2006年~2009年)

停戦合意後も、LTTEはテロを続け、政府軍のそれに対する応酬が続きました。
2006年、政府軍はついに海軍と空軍を動員し、総力戦をはじめます。
そのとき、LTTEは内部の離反などによる混乱と国際社会の非難によって国外タミル人ネットワークの支援が途絶えたことにより、当初より弱小化していました。

中国やパキスタンなどから支援を受けた政府軍の殲滅作戦は圧倒的でした。
LTTEも南部都市のゴール襲撃や空軍基地への空襲で必死の抵抗をみせますが、強大な政府軍を前に急速に支配地域は狭まっていきます。
2007年には政府軍は東部地域を奪還し、LTTEの本拠地だったキリノッチを爆撃。
2008年には、勝利が目の前になった政府軍が停戦合意を完全に破棄し、2009年1月にはLTTEの本拠地キリノッチを陥落させ、LTTEが逃げ込んだ北東部の小さな街ムッライッティーブもおさえます。

このときLTTEは、ムッライッティーブの一部地域に逃げ込み、20万人の住民を使って政府軍の侵攻をはばむ、人間の盾と呼ばれる作戦を実行。
政府軍は2009年4月に、住民の大規模な救出作戦を成功させ、最後の攻撃を行います。
2009年5月17日にはLTTEの広報委員長が戦闘破棄を発表、翌18日にはLTTE最高指導者ヴェルピライ・プラバカラン議長の遺体がジャングルの中で発見されました。
19日、ラージャパクサ元大統領は、プラバカラン議長の遺体発見を機に、内戦の終結を宣言。
こうして、26年にわたるスリランカ内戦に幕が下ろされたのでした。

スリランカ内戦のその後

26年にわたる内戦は、幾度もの停戦合意を経て、最終的には戦闘によって終結しました。
戦闘の中では、政府軍による民間人への攻撃、捕虜に対する非人道行為、LTTEによる子どもの徴兵、人間の盾、無差別テロなど、多くの問題が国連によって追求されています。

犠牲者数は10万人以上、難民は数十万とも、国外に避難した難民を加味すると数百万にのぼるとも言われています。
政府は、いずれの問題も認めてはおらず、今もなお真相は謎に包まれたままです。
特に内戦終盤期には、両者ともに戦闘員と民間人の境なく攻撃しています。
北部の街でLTTEが展開した人間の盾作戦では、政府軍は住民を救出したとしていますが、攻撃地域に残された住民がその後の政府軍による激しい爆撃で亡くなっていることが分かっています。

最後に

内戦後、スリランカは持続的な経済成長を享受し、今では世界中から観光客が集まる国となりました。
しかし、26年の長きにわたった血で血を洗う戦闘はたった10年前に終わったに過ぎません。
日本も内戦の交渉に深く関わっています。
スリランカを旅行する際に内戦について知っておくと、より深くスリランカという国を知ることができるでしょう。

【参照】
・外務省:わかる!国際情勢 スリランカ内戦の終結~シンハラ人とタミル人の和解に向けて~https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/wakaru/topics/vol40/index.html

・スリランカ内戦に関する国際専門家レポート(荒井悦代)
https://www.ide.go.jp/Japanese/IDEsquare/Eyes/2011/RCT201105_001.html

・Sri Lankan Civil War-wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Sri_Lankan_Civil_War

 

# 関連キーワード