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3月のポーヤデー「マディン・ポーヤ」とは?

2021年3月27日

2021年3月の満月祭(ポーヤデー)は、3月28日です。

3月のポーヤデーでは「マディン・ポーヤ」と言います。

本記事では、マディン・ポーヤの意味を解説していきます。

マディン・ポーヤとは?

釈迦(ブッタ)が悟りを得た後に、初めて実父・浄飯王(じょうぼんおう)にあったことを祝う日です。

釈迦はマガタ国の首都・ラージャグリハ(現・ラージギル)の竹林精舎に滞在していましたが、浄飯王は釈迦をカピラ城に呼び戻し、それがきっかけで釈迦族の王子たちが出家し、沙弥(釈迦の息子のラーフル)と比丘尼(釈迦の養母のゴータミー)が誕生しています。

釈迦族の人たちが出家するきっかけとなった出来事と言えるでしょう。

それでは、経緯を見ていきましょう。

カピラ城に釈迦を連れ戻す

釈迦の父・浄飯王は、息子が悟りを得たことを知り、カピラ城に戻ってくるように1,000人の使者を釈迦の元に送ります。
ところが、誰1人帰ってこず、浄飯王のメッセージを伝えることなく、釈迦に弟子入りしてしまいます。
浄飯王は今度は9人の廷臣を釈迦の元に送りますが、またしても9人が釈迦に弟子入りして帰ってきませんでした。

そこで、釈迦と同じ日に生まれ、大臣になっていたカルダイを送ります。
カルダイは釈迦に弟子入りしますが、釈迦をカピラ城まで連れ帰ることに成功します。

釈迦は2万人の比丘を伴い、マガタ国の首都・ラージギルの竹林精舎から、浄飯王が住むカピラ城に向かいます。

弟と息子の出家、父の死去

釈迦はカピラ城で説法を行い、まず、釈迦の弟と息子が釈迦の弟子になります。
・釈迦の異母兄弟「スンダラ・ナンダ」
・釈迦の息子「ラーフラ」※初めての沙弥となり、十大弟子の1人となり密行第一と称されます。

浄飯王は死ぬ数日前に、預流に達します。

釈迦族の王子たちの出家

釈迦は遊行に出て、南のアヌピヤー村に滞在します。

釈迦に弟子入りしようと、釈迦族の王子であるアヌルッダ、バドリカ、アーナンダ、デーヴェダッタ、カッピラ、アナリツらがアヌピヤー村に向かうという話を聞いて、王子たちの理髪師でシュードラ(第4カースト)のウパーリもアヌピヤー村に向かいます。

ウパーリは、釈迦が太子だった時の執事でもあったとも言われています。

アヌルッダは出家する際に、ウパーリに所有物を授けようとしますが、ウパーリは所有物よりも釈迦の教えの方が大切であると受け取りを拒否し、王子たちを差し置いて、釈迦に弟子入りします。

ウパーリは十大弟子の1人となり、持律第一と呼ばれ、第一結集の際に律をまとめます。

ウパーリに続いて、各王子が弟子入りします。
・釈迦の従兄弟「アヌルッダ」※十大弟子の1人で天眼第一
・釈迦の従兄弟「アーナンダ」※十大弟子の1人で多聞第一
・釈迦の従兄弟「デーヴェダッタ」※後に厳格な生活規則を定めて離脱
など

こうして、500人の釈迦族の王子たちが出家します。

養母と妻が出家

釈迦の養母「ゴータミー」はサンガに加わるを希望しますが、釈迦は認めません。
釈迦たちが、ニグロダーラマ村に行った際に、ゴータミーはついていき、足が腫れ、ぼろぼろの状態で再度出家を願いでます。

アーナンダがゴータミーの出家を許可してはどうか?と釈迦に聞き、ようやく出家が認められます。
こうして、ゴータミーは初の比丘尼になります。

その後、釈迦の妻「ヤショーダラ姫」も比丘尼になります。

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参考)

OfficeHolidyas「Madin Fill Moon Poya in Sri Lanka 2021」
Lankapura「Medin Poya」
ウィキペディア「浄飯王」
ウィキペディア「カピラ城」
ウィキペディア「王舎城」
ウィキペディア「迦留陀夷」
ウィキペディア「孫陀羅難陀」
ウィキペディア「摩訶波闍波提」
ウィキペディア「優波離」
第1話「大いなるつながり」
顕真山光明寺「お釈迦さま⑧浄飯王」
仏教ウェブ講座「提婆達多(ダイバダッタ)とは?」
Wikipedia「Nigrodharama」
ウィキペディア「耶輸陀羅」

 

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