八王子にあるスリランカ系寺院「正山寺 釈迦牟尼国際佛教センター」での雨安居入り法要
東京都内唯一のスリランカ系仏教寺院は、八王子市山田町にある曹洞宗天海山雲龍寺の別院・正山寺釈迦牟尼国際佛教センターです。
渋谷区幡ヶ谷には、スリランカ出身のアルボムッレ・スマラサーナらが長老を務める「日本テーラワーダ仏教協会」があり、キャンディにあるシャム・ニカーヤ総本山アスギリヤ大精舎と関係が深い一方で、日本テーラワーダ仏教協会はミャンマーのマハシ系ヴィパッサナー瞑想の指導を行い、マハシ瞑想センターとも深い関係があるため、スリランカ系仏教寺院と言うと、正山寺・釈迦牟尼国際佛教センターになると思います。
本院の雲龍寺には、ジャヤワルダナ大統領の銅像も建立されていて、スリランカと関わりの強いお寺です。
2021年7月24日(土)、雨安居入り法要が行われたため、スリランカの友人に誘われてお伺いしてきました。
本記事では、正山寺釈迦牟尼国際佛教センター、雲龍寺、雨安居法要の様子について紹介します。
目次
雲龍寺とは?
正山寺釈迦牟尼国際佛教センターは、雲龍寺の別院ですので、まずは雲龍寺について見ていきます。
雲龍寺は八王子市の山田駅とめじろ台駅の間にある曹洞宗のお寺です。
以下の歴史を見るに、戦国時代に創建し、戦後に再建した三十七世 足利正明から保育園や老人ホームを経営し、大きくなっていったようです。
雲龍寺に関わる略史
1580年(天正8年)に雲龍寺が創建。
日本史でいえば、本能寺の変は1582年(天正10年)に起きていますので、戦国時代の創建です。
世界史でいえば、ポルトガル王家が断絶し、スペイン国王のフェリペ2世がポルトガル王を兼ねることになったのが1580年です。
創建地は八王子市八木町。
八木町の由来は、武田勝頼家臣、八木源左衛門が武田氏滅亡後に隠れ住んだ地であったこととされています。
八木町は、江戸時代には八王子宿(八王子横山十五宿)のうちの八木宿として栄えました。
八王子宿は、現在の京王八王子駅近くの横山町を中心に、甲州街道に沿って何町も連なる大きな宿場町として発展したことから「八王子横山十五宿」とも呼ばれました。
八王子宿は幕府直轄の天領となり、武田家滅亡後に徳川家康に仕えた武田家旗本とその配下の同心たちが八王子千人同心を結成して治安維持にあたっています。
八王子は絹織物が名産で、江戸末期から明治時代にかけて日本の主要な海外輸出品である絹製品の担い手となり、江戸末期に開港した横浜と八王子を結ぶ神奈川往還は絹の道とも呼ばれ、その起点として八王子は栄えます。
1898年(明治31年)に、廃寺同然だった当寺院を「三十六世 足利正山」が再建。
1945年(昭和20年)8月2日の八王子大空襲で伽藍を焼失。
戦争から戻った「三十七世 足利正明」が再建。
1948年(昭和23年)、戦災孤児をお寺で世話し、光明保育園(現:光明第一保育園)を開設。
1950年(昭和25年)、光明第二保育園を開設。
1951年(昭和26年)、光明第三保育園を開設。
1952年(昭和27年)、多摩養老院開設(現:多摩第一老人ホーム)を開設。
1953年(昭和28年)、社会福祉法人多摩養育園(認可法人)を開設。
1954年(昭和29年)、光明第四保育園を開設。
1955年(昭和30年)、多摩養老院分院(現:多摩第二老人ホーム)を開設。
1956年(昭和31年)、有料老人ホーム御殿園開設(現:多摩軽費老人ホーム)を開設。
1957年(昭和32年)、多摩養老院開設(現:多摩第一老人ホーム)を開設。
1958年(昭和33年)、光明第四保育園を開設。
1959年(昭和34年)、多摩養老院分院(現:多摩第二老人ホーム)を開設。
1960年(昭和35年)、救護施設「光華寮」を開設。
※その後の多摩養育園の沿革は、多摩養育園の公式サイトをご覧ください。
1963年(昭和38年)の東京オリンピック開催に向けた区画整理のため、八王子市八木町から、現在の八王子市山田町へ移転。
1965年、京王電鉄がめじろ台の造成を開始
1967年、京王高尾線(北野〜高尾山口)が開通。
1968年、山田町から分離して、めじろ台1〜4丁目が誕生。
1987年、三十七世 足利正明がジャヤワルダナ銅像を建立。
1989年、ジャヤワルダナ氏が雲龍寺を訪問。
2003年、正山寺・釈迦牟尼国際佛教センターを設立。
スリランカとの関わり
2014年に社会福祉法人多摩養育園(理事長:三十九世 足利正哲)が発行した『禅僧と福祉 足利正明の生涯』の目次を見ると、三十七世 足利正明がスリランカとの関わりを持ったようです。
次回お伺いした際に、発行された冊子を頂けないか問い合わせしてみようと思います。
戦争を体験された足利正明は、雲龍寺の境内に戦後日本の3人の恩人として、以下の3名の銅像を建立しています。
日本独立の恩人:ジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ
日本再興の恩人:蒋介石
日本救民の恩人:ダグラス・マッカーサー
第37世・足利正明は鎌倉大仏がある高徳院に建てられたジャヤワルダナ前大統領顕彰碑の推進賛同者にも名を連ねています。
正山寺釈迦牟尼国際佛教センターとは?
スリランカと関わりがあった雲龍寺の別院として正山寺が創建され、正山寺にヤーラガムエ ダンミッサラ大僧正が2003年に設立したのが釈迦牟尼国際佛教センターです。
現在、スリランカ出身の5人の僧侶が在籍しています。
5人のスリランカ出身僧侶
◆ヤーラガムエ・ダンミッサラ大僧正
英語表記:Ven.Yalagamuwe Dhammissara Anunayaka Thero
日本テーラワーダ仏教協会のアルボムッレ・スマラサーナ長老がシャム・ニカーヤと関係が深いのに対して、正山寺・釈迦牟尼国際佛教センターのヤーラガムエ ダンミッサラ大僧正は、アマラプーラ・ニカーヤです。
ウダラタ・アマラプラ宗派副管長を務めていらっしゃいますが、私の友人の話によれば、アマラプラ・ニカーヤのナンバー2と言える立場にある高僧だそうです。
>ヤーラガムエ・ダンミッサラ大僧正の経歴
11歳で沙弥出家
20歳で比丘出家
1983年(23歳)スリランカ仏教パーリ語大学卒業
1985年(25歳)バドゥッラのスリ・ダンマーナンダ仏教学校の学長(スリランカ最年少で就任)
1989年(26歳)ペラデニヤ大学卒業
1990年~2003年 日本スリランカ国際仏教センター僧長
八王子市の曹洞宗天海山雲龍寺の足利正明大和尚の元で2年間、大正大学で3年間、栃木県真言宗の寺で3年間学ぶ。
1997年~ ウダラタ・アマラプラ宗派日本代表総括総長
1998年 世田谷区下馬に国際仏教センターを開設
2000年~ バドゥッラのヴィハラゴタ・プラナ寺住職
2003年 ウダラタ・アマラプラ宗派最高幹部就任
2003年~ 正山寺釈迦牟尼国際佛教センター僧長
2008年~ スリ・ダンマーナンダ大学予科理事長
2010年〜 ウダラタ・アマラプラ宗派副管長就任
◆メダランデー・ダンマダッシー長老
英語表記:Ven. Medalande Dhammadassi Thero
1990年 生まれ。
1998年 ダンミッサラ大僧正の寺(DIMBURANA PURANA Vihara)にて沙弥出家。
2010年 比丘出家。同寺僧職。VIDYATANA Buddhist University of Sri Lanka 卒業。
2010年 12月来日。
◆パラナガマ・スメーダ長老
英語表記:Ven. Paranagama Sumedha Thero
1992年 生まれ。
2003年 ダンミッサラ大僧正の寺(DIMBURANA PURANA Vihara)にて沙弥出家。
2012年比丘出家。同寺僧職。VIDYATANA Buddhist University of Sri Lanka 卒業。
パーリ仏教大学在学。
2013年12月来日。
◆ミーパナウェ・アマラワンシャ長老
英語表記:Ven. Meepanawe Amarawansha Thero
1986年 生まれ。
1999年 ヌワラエリアのクルパナーウェラ寺にて沙弥出家。
2006年比丘出家。
2015年 パーリ仏教大学卒業。
2015年 9月来日。
◆ラーワエラ・ピヤティッサ長老
英語表記:Ven.Rawaela Pitatissa Thero
1975年 生まれ。
1988年 アヌラーダプラの聖大菩提樹のあるお寺(Bomaluwe Temple)にて沙弥出家。
2001年比丘出家。Anuradapula Bhiksu University 修士。
2016年来日。
スリランカの仏教宗派については、以下の記事をご参照ください。
日曜学校
スリランカの寺院では、地域の子供向けに日曜にダンマスクールが行われています。
正山寺釈迦牟尼国際佛教センターでは、日本に暮らすスリランカの子ども向けに、日曜学校(ダンマスクール)が開校されています。
上と下の写真では、子供たちの作品が見られます。
ウェサックのクードゥ(ランタン)も飾られています。
ウェサックについては、以下のページをご参照ください。
スリランカ仏教パーリ語大学日本校
ヤーラガムエ・ダンミッサラ大僧正の母校「スリランカ仏教パーリ語大学」の日本校を開設しています。
現在、2021年4月からスタートして、2022年3月に終わる1年間の仏教ディプロマコースが行われています。
雨安居入り法要
2021年7月24日(土)16:00〜17:45、雨安居入りの法要がセンター2階の畳の部屋で行われました。
スリランカ人僧侶3名と日本人僧侶1名、参加者は20名ほどでほとんどがスリランカ人でした。
スリランカ人僧侶は日本語が堪能ですが、シンハラ語でお話されていました。
日本人女性だと思った3名の女性のうち、お二人はスリランカ人と日本で結婚したモンゴル人でした。
もうお一人については未確認です。
男性でヨーロッパ系の方がお一人いましたが、スリランカ人女性と結婚された方のようです。
私は含む5名以外は、全てスリランカ人だと思います。
スリランカのお寺のように、上下白い服をきている人が多かったです。
法要後、奥の部屋で紅茶と軽食をいただきました。
平なキャウン。
名前を教えてくださいましたが、忘れてしまいました。。。
味はキャウンでした。
コキス。
油っぽくなく、とても美味しかったです。
その他、パウンドケーキ、サンドウィッチがあり、スリランカにいるようでした。
スリランカのスイーツについては、以下のページをご覧ください。
雨安居については、以下のページをご覧ください。
11月には雨安居が終わった際のカティナ法要が行われるそうです。
参照)
正山寺釈迦牟尼国際佛教センター 公式サイト
曹洞宗 天海山 雲龍寺 公式サイト
ウィキペディア:雲龍寺 (八王子市)
ウィキペディア:八木町
ウィキペディア:八王子千人同心
ウィキペディア:八王子宿
ウィキペディア:神奈川往還
ウィキペディア:八王子空襲
社会福祉法人 多摩養育園 公式サイト
光明第一保育園 公式サイト
第2章 事例研究―めじろ台住宅団地の調査から―
タウンニュース:雲龍寺 スリランカ元大統領への思い
Buddist and Pali University of Sri Lanka 公式サイト
Wikipedia:Buddhist and Pali University of Sri Lanka
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「旅と町歩き」を仕事にするためスリランカへ。
地図・語源・歴史・建築・旅が好き。
1982年7月、東京都世田谷区生まれ。
2005年3月、法政大学社会学部社会学科を卒業。
2005年4月、就活支援会社に入社。
2015年6月、新卒採用支援事業部長、国際事業開発部長などを経験して就職支援会社を退社。
2015年7月、公益財団法人にて東南アジア研修を担当。
2016年7月、初めてスリランカに渡航し、会社の登記を開始。
2016年12月、スリランカでの研修受け入れを開始。
2017年2月、スリランカ情報誌「スパイスアップ・スリランカ」創刊。
2018年1月、スリランカ情報サイト「スパイスアップ」開設。
2019年11月、日本人宿「スパイスアップ・ゲストハウス」開始。
2020年8月、不定期配信の「スパイスアップ・ニュースレター」創刊。
2023年11月、サービスアパートメント「スパイスアップ・レジデンス」開始。
2024年7月、スリランカ商品のネットショップ「スパイスアップ・ランカ」開設。
渡航国:台湾、韓国、中国、ベトナム、フィリピン、ブルネイ、インドネシア、シンガポール、マレーシア、カンボジア、タイ、ミャンマー、インド、スリランカ、モルディブ、アラブ首長国連邦、エジプト、ケニア、タンザニア、ウガンダ、フランス、イギリス、アメリカ
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