輝ける場所を探して 裸でも生きる3 ダッカからジョグジャカルタ、そしてコロンボへ
ポーランドの社会学者ジグムント・バウマンは「伝統とは記録された革新である」という言葉を残したそうですが、スリランカを含む途上国の伝統技術・伝統素材をハイブランドに革新するマザーハウスの山口絵里子さんの著書『輝ける場所を探して 裸でも生きる3 ダッカからジョグジャ、そしてコロンボへ』を紹介します。
山口さんの最初の書籍が『裸でも生きる ~25歳女性起業家の号泣戦記~ (講談社+α文庫)』でバングラディシュ事業の始まりが記されています。
次作が『裸でも生きる2 Keep Walking私は歩き続ける (講談社+α文庫)』で、ネパール事業の立ち上がりが書かれています。
インドネシア事業とスリランカ事業について書かれているのが『輝ける場所を探して 裸でも生きる3 ダッカからジョグジャ、そしてコロンボへ』です。
私は2007年に勤め先の後輩から本をプレゼントしてもらったのですが、それが『裸でも生きる』でした。
当時読んだ時は、次々に難題に体当たりで挑む山口さんの話は強烈で、副題にある通り「号泣」のシーンが多く、自分が号泣するような状況になったことがないことと、途上国に行ったことがなかったことから、「本当に?」と冷めてしまったところもありました。
その10年後、2017年にスリランカで行われたマザーハウスの店長研修に同行させていただいた際、参加した店長さんにそれぞれ入社同期をお伺いしたら、全員が「山口さんの本」と答えました。
創業者の書籍が採用マーケティングに強力に効いていると分かり、とても驚きました。
今回、10年ぶりに『裸でも生きる』を読み直し、『裸でも生きる2』、『裸でも生きる3』を読み、マザーハウスのウェブサイトを見ると、そのスピード感に度肝を抜かれます。
10年前に「本当に?」と思った内容は、今読むと、「ありえるな〜」と思うとともに、「そんなに突っ込んだら号泣ものだな」と思いました。
山口さんは高校生から現在まで、体と頭をフルに使って猛ダッシュで無理難題を次々に解決していることが分かります。
マルチタスクで学びと実行も平行しながら、事業を成長させていることが分かり、驚異的だと思います。
山口さんの本は読みやすく、先の展開が気になり、すぐに読み終わってしまいました。
『裸でも生きる』と『裸でも生きる2』については、山口さんのスピード感が分かるよう、時系列にトピックをまとめました。
スリランカの伝統産業であるバティックの発祥地であるインドネシアと、スリランカの宝石・ジュエリーが登場する『裸でも生きる3』を本文からいくつか引用しながら、私なりの補足説明を加えています。
バングラディシュとネパールでは賄賂や裏切りなど途上国あるあるの話が多く出てきます。
スリランカを含めて、途上国でビジネスをする方にとっては、共感できる内容だと思います。
職人は職人の世界にひたっているために、既存の方法から脱することを良しとせず、Out of Boxな思考は、デザイナーから提示されることがある。
と山口さんは書かれていますが、インドネシアとスリランカ(主にインドネシア)では、現地の素材や技術を生かしたこれまでなかった商品開発を取り組む中で、現地基準と日本基準のズレ、職人とデザイナーの山口さんとのぶつかり合いが書かれています。
この内容も途上国でビジネスをする人であれば、共感できると思いますが、それをスピーディーに解決・実現していく山口さんはすごいです。
本記事では、マザーハウス、山口さん、裸でも生きるシリーズ3作について紹介します。
目次
マザーハウスとは?
「途上国から世界に通用するブランドをつくる」を理念に、山口絵理子さんが2006年に創業した会社。
生産拠点はバングラディシュ、ネパール、インドネシア、スリランカ、インド、ミャンマーの6カ国。
販売拠点は日本34店舗、台湾4店舗、シンガポール2店舗、香港1店舗、フランス1店舗。
バングラディシュでは、レザーやジュートを用いたバッグや革小物を生産。
ネパールでは、シルク・ウール・カシミヤなどの天然素材を生かしたストールを生産。
インドネシアでは、線細工「フィリグリー」の技術を生かしたジュエリーを生産。
スリランカでは、カラーストーンを用いたジュエリーを生産。
インドでは、手紡ぎ・手織りの生地「カディ」を用いた洋服を生産。
ミャンマーでは、天然無処理のルビーを用いたジュエリーを生産。
本社、本店、ジュエリー専門店「ジュエリーマザーハウス」の本店、アパレル専門店「イードット」本店が御徒町と秋葉原の間にあります。
銀座には、レディース中心の「銀座店」と、メンズ専門店「銀座メンズ店」に2店舗があります。
アパレル専門店「E.(イードット)」は本店に加えて、池袋東武店、大丸京都店の3店舗があります。
E.本店とマザーハウス銀座店の店舗設計は建築の藤森照信さんが手掛けています。
書籍には会社の理念に通じる山口さんの以下の言葉が書かれています。
貧しいと思っていた国にも、素晴らしい素材があり、素晴らしい職人さんたちがいることを知った。
山口絵理子さんとは?
1981年、埼玉県生まれ。
24歳で株式会社マザーハウスを創業。
2006年、「フジサンケイ女性起業家支援プロジェクト2006」最優秀賞受賞。
2007年9月、『裸でも生きる~25歳女性起業家の号泣戦記~』出版
2008年、「Young Global Leaders 2008」選出。
2009年9月、『裸でも生きる2 Keep Walking 私は歩き続ける』出版
2011年、シュワブ財団「Social Entrepreneur of the Year in Japan 2011」日本代表受賞。
2012年、内閣府から「世界で活躍し『日本』を発信する日本人」に選出。
2015年9月、『裸でも生きる~25歳女性起業家の号泣戦記~』文庫版を出版
2015年11月、『裸でも生きる2 Keep Walking 私は歩き続ける』文庫版を出版
2016年5月、『自分思考』を出版
2016年12月、『輝ける場所を探して 裸でも生きる3 ダッカからジョグジャカルタ、そしてコロンボへ』出版
2019年8月、『Third Way 第3の道のつくり方』出版
裸でも生きる〜25歳女性起業家の号泣戦記〜
埼玉女子柔道トップの埼玉栄高校の監督からの誘いを断り、埼玉男子柔道トップの大宮工業高校に進学して男子柔道部に入部。
全日本ジュニアオリンピックで7位。
慶應義塾大学総合政策学部に入学。
バンクーバーに留学。
大学2年、竹中平蔵研究会に入る。
開発コンサルタント会社でリサーチアシスタントとして働く。
大学4年、米州開発銀行(ワシントンD.C.)
2004年4月、バングラディシュに初渡航。
BRAC大学院開発学部修士課程に入学。
三井物産のダッカ事務所でインターンとして働く。
天然素材「ジュート」に出会う。
ジュートはバングラディシュが世界の輸出量の90%を占める天然素材。
光合成の過程で綿などの5倍から6倍の二酸化炭素を吸収し、廃棄しても完全に土に還るなど、非常に環境に優しい素材。
もともとコーヒー豆を入れる袋などに使用され、長い船旅に耐えてきた保存に適した繊維であるうえ、強度はナイロン並みでドイツではベンツの内装材などにも使われているらしい。
2005年暮れ、ラッセルさんの工場でバッグの生産を開始
2006年1月 BRAC大学院開発学部修士課程を修了
2006年3月、株式会社マザーハウス設立
初代商品4型発表
東急ハンズ渋谷店で卸開始
2006年5月、2代目商品を発表
2006年6月〜7月、御徒町のバッグ職人学校で修業
2006年11月、ラッセルさんの工場でトラブルが発生し、ラッセルさんと離れる
2007年1月、アペルさんの工場が夜逃げ。
2007年3月、デザイナー養成学校の所長・アティフさん、職人ソエルさんの協力を得て、3代目商品を発表。
2007年8月、入谷に直営店1号店を開店。
2007年9月、『裸でも生きる〜25歳女性起業家の号泣戦記〜』出版
裸でも生きる2 Keep Walking 私は歩き続ける
2007年11月、バングラディシュでサイクロ被害
2008年3月、情報大陸が放送
戸越店、代官山店を開店
2008年9月、小田急百貨店に出店
バングラディシュの統括ディレクターのアティフさんが退職。
工場への退去命令、新工場に移転。
通販生活とのコラボレーション。
ソニーとのコラボレーション。
ネパールに初渡航。
ネパール産の「パシュミナ」のストールに出会う。
パシュミナは、カシミヤよりも上質とされる、羊のお腹の部分の毛。
ダッカ織りに出会う。
ダッカ織りとは、東ネパールの少数民族のリンブー族、ライ族の女性たちが代々口承で伝えられ織ってきた伝統織物。
原料の糸がダッカから運ばれていたことからダッカ織りと呼ばれる。
ネパールの提携工場のビルマニさんによる裏切り。
2009年3月、HISとバングラディシュツアーを実施。
テレビ東京「奇跡のキズナ〜未来を創る革命児たち〜」放送
レポーター役は加藤シゲアキさん。
加藤シゲアキさんは著書でスリランカについても書かれています。
2009年9月、ネパール製「マイティガル」発表
『裸でも生きる2 Keep Walking 私は歩き続ける』出版
輝ける場所を探して 裸でも生きる3 ダッカからジョグジャカルタ、そしてコロンボへ
2011年6月、シュワブ財団「Social Entrepreneur of the Year in Japan 2011」日本代表に選ばれ、ジャカルタで開かれた国際経済サミットに参加。
シュワブ財団は、世界経済フォーラムの提唱者であるクラウス・シュワブ博士が、妻ヒルデ・シュワブ氏とともに、社会起業家精神の高揚と社会起業家の育成を目的に、1998年にスイス・ジュネーブで設立した財団。
2014年6月、ジョグジャカルタを初訪問
バティックに注目し、製品化を模索する
2015年5月、銀線細工「フィリグリー」に出会う
2015年春、バングラディシュに新工場を建設して移転
2015年8月、インドネシアの銀線細工「フィリグリー」の技術を用いた新製品を発表
2016年1月、JICAの外部諮問委員会のメンバーに選出
2016年2月、スリランカ2回目の出張
2016年4月、スリランカ3回目の出張でラトゥナプラを訪問
2016年7月、ダッカ・レストラン襲撃人質テロ事件が発生
2016年8月、バングラディシュ、ネパール、インドネシアから職人を日本に招いてサンクスイベントを開催
2016年11月、ジュエリー専門店をオープン
2016年12月、『輝ける場所を探して 裸でも生きる3 ダッカからジョグジャカルタ、そしてコロンボへ』出版
古都「ジョグジャカルタ」とは?
世界文化遺産「ボロブドゥール遺跡」
世界文化遺産「プランバナン寺院群」
を郊外に有するインドネシアの古都。
インドネシアで例外的に地域王室制度が認められ、スルタンが州知事を務める「ジョクジャカルタ特別州」という行政単位になっています。
ジョグジャカルタの名は、インドの叙事詩「ラーマーヤナ」のラーマ王子の都「アヨーディヤ」に由来します。
ちなみに、アユタヤもアヨーディヤに由来する名前です。
ラーマーヤナについては、以下の記事を参照ください。
ジョグジャカルタは、インドネシアの伝統産業であるバティックやフィリグリーの生産でも知られています。
また、ガジャマダ大学など多くの大学・教育機関がある学術都市でもあります。
ジョグジャカルタの文化遺産を時系列にまとめると、以下のようになります。
ヒンドゥー教の「古マタラム王国(717年〜929年)」が建設したのが「プランバナン寺院群」。
伝統音楽「ガムラン」、影絵芝居「ワヤン・クリ」、ジャワ舞踏は古マタラム王国の宮廷文化が発祥。
大乗仏教の「シャイレーンドラ朝(752年〜832年)」が建設したのが「ボロブドゥール遺跡」。
ヒンドゥー教の「マジャパヒト王国(1293年〜1478年)」の王族がバティックの布を着用。
ガジャ・マダ大学は、マジャパヒト王国の宰相ガジャ・マダに由来します。
イスラム教の「マタラム王国(1587年〜1755年)」にオランダ東インド会社が介入。
マタラム王国の最初の首都「コダグデ」がフィリグリーの生産地となります。
マタラム王国の次の首都が「ジョグジャカルタ」です。
オランダの介入でマタラム王国は「ジョグジャカルタ」と「スラカルタ(ソロ)」の2つの王家に分離され、現在も2つの都市はインドネシアの古都として知られています。
バティックとは?
溶かして液状にしたロウで布の上に模様を描き、その布を染めて、ロウをあとから落とした布製品。
バティックの起源は、ジャワ島の人々がオウギヤシ(別名:パルミラヤシ)の葉や伝統家屋の壁に植物や動物の絵を描いていたことが始まりだと言われています。
金職人のムギさんのお父さんはバティック職人。
バティックはロウを使うことから肺を痛めて亡くなったそうです。
パルミラヤシはスリランカ北部の主要なヤシでもあり、花序液がアラックが作られています。
ヤシ類については以下の記事を参照ください。
オランダ東インド会社によってバティックはスリランカにもたらされました。
ジェフリーバワとのコラボレーションで知られるイナ・ダ・シルワはスリランカを代表するバティックアーティストです。
フィリグリーとは?
線細工と呼ばれ、鋳型や鋳造という型に流し込んで成型するジュエリーの技術とは異なり、1ミリ以下の2本の線をねじりながら1本にし、それを用いて渦をまくように模様を描いてく表現手法。
一本の線からなり、すべてが手作業のため、大量生産には不向きで、ヨーロッパではアンティークジュエリーの分類されています。
その歴史は古く、メソポタミアやエジプトで発祥とされています。
その後、ヨーロッパに広がり、オランダ東インド会社がインドネシアのスラウェシ島で製作を開始。
ジャワ島のマタラム王国の首都「コダグデ」からスラウェシ島に渡ってフィリグリーの技術を学んだ職人がコダグデに戻り王室に納入したことから、ゴダグデは今も銀細工の町として知られています。
銀細工の町「コダグデ」とは?
山口さんが出会った「金職人のムギさん」が住んでいるのがコダグデ。
山口さんが出会った「銀職人のワリヨさん」が住む村は、コダグデで銀職人をしていた人が村に帰ってきて、村民に銀細工を教えたことで形成されたシルバー村です。
スリランカの手編みレース工房や鉛筆工場など
山口さんはゴールにある政府から手編みレースの賞を取った工房を見学。
ところが、実態は、中国の機械レースをバイヤーから受け取り、最終縫製を行ってMade in Sri Lankaとして売っていることが判明。
鉛筆工場を見学したところ、スリランカ産のグラファイトを中国へ輸出して鉛筆が作られ、その鉛筆をスリランカの工場が輸入してラベルを刻印して販売しているが判明。
その他、素焼き、革、木彫り、象のうんちペーパーの工場などを見学。
大槻さんの工房「D & O INTERNATIONAL」
マザーハウスのスリランカ事業の現地パートナーは大槻さんがオーナーのD&O INTERNATIONALです。
大槻さんについては、以下の記事をご覧ください。
本書には、私が大槻さんからお伺いしたことがあるお話が取り上げられていました。
「スリランカは、ちょうどアジアとヨーロッパの分岐点なんです。例えば、ドアを『押す』のはスリランカからヨーロッパ。ここからアジアに行くと、ドアは『引く』んですね。糸ノコなんかも、日本は引いて切るけれど、スリランカからヨーロッパは押して切るんです。」
主たる産業がない中で経済成長してしまった。土台のない中で、お金を回しているだけだ。そのお金は中国からの援助が大きい。その援助によって、資金は豊富にあるけれど、そのお金を回すだけという状態が続いている。ものすごいインフレ率だ。だけど、社会主義的な側面も強いから、企業は従業員を解雇できない。だからここでビジネスをやるというのは、相当なリスクを背負わないといけない。
その場合しのぎで、つい嘘をついてしまう人も多いけれど、人を傷つけでまで、何かを奪おうとする人はいません。ただ気持ちが弱い分、その日一日を優先してしまうことも多い。
私がこの本を読んで知ったスリランカのことは以下の内容です。
スリランカのピンクサファイアはホットピンクを呼ばれる綺麗なピンク色で、ブルーサファイアの輝きは世界一。
大槻さんの工房の1番の職人カスンさんについて「このレベルの高さは、他の国で感じたことはなかった。」と書かれています。
「できる」という言葉は100%信じない方がいい。むしろ「できない」という言う人ほど、信じた方がいいのが途上国だ。
と他の部分で山口さんは書いていますが、それに関連した大槻さんの工房や職人のレベルの高さについて記述されています。
やはり、他のアジアの国とは違う。バングラディシュもネパールもインドネシアも、私たちが「これくらい作れる?」と聞くと、まず第一声は、「大丈夫、大丈夫」と言う。「本当に?」と何度も確かめても、「できるできる!」と最後まで希望に満ち、納期に近づくにつれて、「日程をずらせるか?数を少し減らせるか?分割した納品はどうか?」と、様々なオプションが提案されるのだった。しかし、この国スリランカでは、はじめて私たちの希望に対して、「消極的な提案」がなされた。それは、「確実にできるだろう」という数だった。
この部分は、「スリランカ」だからではなく、「大槻さんの工房」だからでしょう。
スリランカでも「できる」「大丈夫」と言って、納期が近づくと音信不通になることはよくあることです。
その後のマザーハウス
マザーハウスの経営スピードはとても早く、会社のトピックを一覧にすると膨大になってしまいますので、書籍が出版されて以降の会社の大きなトピックを以下に記載します。
2017年12月、コルカタに自社工房を設立
2018年、インドの手紡ぎ・手織りの生地”カディ”を用いた商品を発表
2019年、天然無処理のルビーを用いたジュエリーを発表
2019年8月、イードット本店を開店。
店舗デザインは建築家の藤森照信さん。
長野県産のクリの木を使用した什器、バングラディシュのリキシャ、滋賀県の苔装飾。曲線を生かした独特な形の入り口と窓、藤森さんが設計した木製のハンガーや鏡などオリジナル性の高い店舗。
2019年10月、マザーハウスフランスを設立。
2020年3月、マザーハウス仙台パルコ2店(東北初の店舗)を開店。
2020年6月、パリのショールームを開店。
2020年8月、マザーハウス銀座店を開店。
店舗デザインはイードット本店に続いて建築家の藤森照信さん。
参照)
マザーハウス公式サイト
ジュエリーマザーハウス公式サイト
E.公式サイト
マザーハウス銀座店
ウィキペディア:山口絵理子
ウィキペディア:マザーハウス
ウィキペディア:カシミア
ウィキペディア:パシュミナ
Mayur Net Shop:ダッカ織り
コトバンク:リンブー族
<シュワブ財団と”Social Entrepreneur of the Year”について>
ウィキペディア:ジョグジャカルタ特別州
ウィキペディア:ボロブドゥール遺跡
ウィキペディア:シャイレーンドラ朝
ウィキペディア:プランバナン寺院群
ウィキペディア:古マタラム王国
ウィキペディア:マタラム王国
ウィキペディア:マジャパヒト王国
ウィキペディア:ガジャ・マダ大学
ウィキペディア:スラカルタ
ウィキペディア:ガムラン
ウィキペディア:ワヤン・クリ
ウィキペディア:バティック
インドネシア総合研究所【コラム】バティックのトレンド
トジョウエンジン:世界無形文化遺産「バティック」とは? 〜インドネシアの歴史と見るバティックの変遷〜
ウィキペディア:オウギヤシ
Wikipedia:Batik
Wikipedia:Batik industry in Sri Lanka
アンティークジュエリーの金細工「フィリグリー」
Bagus Bintang Tour & Travel:コタグデ
途上国で生産する「マザーハウス」がアパレルに本腰 藤森照信による路面店を秋葉原にオープン
Casa BRUTUS:藤森照信、初のアパレル店舗設計。マザーハウスの新店が誕生。
VOGUE「違いを受け入れ補い合えば、ギャップは埋められる」──マザーハウス代表、山口絵理子の理念。【女性リーダーたちの挑戦】
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安い供給地から大量消費につなげるプランテーションやファストファッションのアプローチとは異なり、地元の伝統技術・伝統素材の価値を高める商品開発・製造・販売を行なっているのがマザーハウスなのではないでしょうか。
スリランカのジュエリー産業で取り組んでいるのがマザーハウスであり、
紅茶産業で取り組んでいるのがアンバ茶園、
ファブリック産業で取り組んでいるのがベアフット、
雑貨で取り組んでいるのがパラダイス・ロード
なのではないかと思います。
「旅と町歩き」を仕事にするためスリランカへ。
地図・語源・歴史・建築・旅が好き。
1982年7月、東京都世田谷区生まれ。
2005年3月、法政大学社会学部社会学科を卒業。
2005年4月、就活支援会社に入社。
2015年6月、新卒採用支援事業部長、国際事業開発部長などを経験して就職支援会社を退社。
2015年7月、公益財団法人にて東南アジア研修を担当。
2016年7月、初めてスリランカに渡航し、会社の登記を開始。
2016年12月、スリランカでの研修受け入れを開始。
2017年2月、スリランカ情報誌「スパイスアップ・スリランカ」創刊。
2018年1月、スリランカ情報サイト「スパイスアップ」開設。
2019年11月、日本人宿「スパイスアップ・ゲストハウス」開始。
2020年8月、不定期配信の「スパイスアップ・ニュースレター」創刊。
2023年11月、サービスアパートメント「スパイスアップ・レジデンス」開始。
2024年7月、スリランカ商品のネットショップ「スパイスアップ・ランカ」開設。
渡航国:台湾、韓国、中国、ベトナム、フィリピン、ブルネイ、インドネシア、シンガポール、マレーシア、カンボジア、タイ、ミャンマー、インド、スリランカ、モルディブ、アラブ首長国連邦、エジプト、ケニア、タンザニア、ウガンダ、フランス、イギリス、アメリカ
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