『錫蘭島 スリランカ Vol.01 セレンディピティに出会う』
日本でスパセイロンを展開し、ベントタにジェフリーバワ建築のクラブヴィラ、サンゴ礁が広がるヒッカドゥワビーチにホテル「コーラルロック」を経営するばんせいグループによるスリランカを紹介する書籍『錫蘭島 スリランカ Vol.01 セレンディピティに出会う』を紹介します。
本書の概要
企画・総合監修は株式会社ばんせい総合研究所。
執筆、あるいは対談で登場されているのが、以下の方々です。
ばんせいグループ会長、Bansei Holdings LK会長の村上豊彦さん
建築家の隈研吾さん
駐日スリランカ大使(当時)のダンミカ・ガンガーナート・ディサーナーヤカさん
前駐スリランカ日本国特命全権大使(当時)の粗信仁さん
神楽坂「石かわ」の石川秀樹さん
各関係者への協力を得て、独自の取材をし、多くの文献を参考にして作られた本となっていて、ばんせいグループの宣伝のような書籍にはなっていません。
写真も綺麗ですので、スリランカの概要を抑えるにも良い書籍です。
もちろん、ばんせいグループが関わるジェフリーバワ建築、ヒッカドゥワ、スパセイロンについても触れられていますが、ヒッカドゥワとスパセイロンについてはわずかで、ジェフリーバワについては隈研吾さんによる文章、国会議事堂の建設プロジェクトに関わった三井建設の方々への取材もされていて、建設に興味がある方にお勧めです。
また、1951年9月6日 サンフランシスコ講和会議 ジャヤワルダナ氏 演説全文 が掲載されていますので、ジャヤワルダナさんの演説に興味がある方にも良いでしょう。
目次
目次は以下の通りです。
はじめに/村上豊彦
スリランカへのいざない/隈研吾
対談:スリランカと日本、縁で結ばれた文化の架け橋を
あなたがいなければ日本の自由はありませんでした
第一章 バワへの旅
バワとスリランカ/隈研吾
ジェフリー・バワに会う
ベントータの隠れ家「Club Villa」
日本を愛したジェフリー・バワ
The Works of Geoffrey Bawa
第二章 土地への旅
魅惑の親日国:スリランカ/粗信仁
仏の国ポヤデー
水と、王様
稲と、精神
風の悲しみ
光り輝く島の宇宙
サンゴ礁の海岸
ラウンジセイロンタイムのひととき
アーユルヴェーダと、ドーシャ
第三章 感覚への旅
スリランカに想いを寄せて/石川秀樹
熱帯の米
スリランカのカレー
セイロン紅茶紀行
ヤシの生酒、ヤシの蒸留酒
文学の旅
映画の旅
第四章 世界遺産への旅
アヌラーダプラ
ポロンナルワ
シーギリヤ
ダンブッラの黄金寺院
キャンディ
ゴールの旧市街
シンハラジャ森林保護区
スリランカの中央高地
謝辞
参考文献
気になった内容をピックアップ
本書で気になった内容をいくつかピックアップします。
対談:スリランカと日本、縁で結ばれた文化の架け橋を
村上さんは2011年にスリランカ中央銀行を訪れて、ばんせい証券がブラジル国債を日本に初めて紹介した実績を示して、日本人がスリランカ国債を購入できるよう枠を広げていただいたそうです。
ダンミカ大使からは、伊達町の小学校に立つ初代スリランカ大使の碑、スリランカの有名な歌に「日本のお人形さんのように美しい」という詞があり美人の代名詞になっているなどのエピソードを紹介されています。アフンガッラのホテルは、設計を隈研吾さん、料理を神楽坂「石かわ」
スリランカの有名な歌に「日本のお人形さんのように美しい」という詞があり、美人の代名詞になっている。
バワとスリランカ/隈研吾
隈さんはこう書かれています。
ジェフリー・バワという建築家は、僕にとってきわめて大切な人である。なぜなら、彼は工業化社会の非人間的で冷たい建築を、ポスト工業化社会のヒューマンでナチュラルで温かい建築へと転換しようと試み、実際にその転換の最初の一歩を踏み出した人だからである。
ジェフリー・バワに会う
ナンバー11の入口のガレージにある1934年型のロールス・ロイスと1953年型メルセデスのうち、ロールス・ロイスはバワがAAスクール在籍中にロンドンとローマを往復する際に使ったものだと、パンフレットに書いてあるそうです。
ルヌガンガの入口にも、バワが駐車場として使ったスペースがありますが、車好きだったバワがコロンボのナンバー11と、ベントタのルヌガンガをロールス・ロイスあるいはメルセデスでゴールロードを往復していたのが目に浮かびます。
ベントータの隠れ家「Club Villa」
クラブ・ヴィラで料理人を務めてきたカルナーラ氏の話が引用されていますが、クラブヴィラに関する貴重な発言です。
『私は、ジェフリー・バワのお兄さんのベイビス・バワの家で料理人として働き、その後「クラブ・ヴィラ」の料理人になりました。バワさんは、いつも中庭にテーブルを出して友人の方々と食事をされてました。ヴィラに泊まることはほとんどなく、食事が終わると「ルヌガンガ」に戻られました。(中略)最初「クラブ・ヴィラ」の建物は、母屋の1階の4部屋だけで、次にプールに面した2階の建物がつくられ、次に母屋の上に2階がつくられ、最後にスイートのある別棟がつくられたと思います。晩年、バワさんは足が悪かったので階段を上るのを嫌い、ヴィラに宿泊される時は、中庭に面したスイートの部屋を使われていました。』
2007年にクラブヴィラと、隣のザヴィラは2つに分けられ、2016年にスリランカの経営者からばんせいグループに所有が変わったそうです。
日本を愛したジェフリー・バワ
クラブヴィラに続き、独自の取材が行われた大阪万博のセイロンパヴィリオンと国会議事堂の文章は読み応えがあります。
詳しくは、本書からいくつかの文章を引用してまとめた国会議事堂の記事を参照ください。
魅惑の親日国:スリランカ/粗信仁
2011〜2015年にスリランカ兼モルディブ駐箚特命全権大使を務められ、政策研究大学院大学の特任教授でもある粗信仁さんによる文章です。
粗さんは政策研究院でJASTECAについて書かれていますが、事例として以下のように本書に記載されています。
スリランカでは、日本で発祥した「5S運動(整理、整頓、清掃、清潔、躾け)が独自に発達し、カイゼンなどの経営方式とともに全国で根づいてます。産業界だけではなく、病院、銀行、警察まで巻き込んだ全国コンテストが20年途切れることなく続いています。
また、スリジャヤワルダナプラ総合病院と日本スリランカ友好道路についても以下のように説明されています。
その大恩あるジャヤワルダナ氏が大統領になった時、日本政府がスリランカに恩返しの援助をしたいが何が良いかと聞いたところ、大統領は日本の援助の中で最も大きい病院を建設してほしいと答えそうです。その結果1983年に完成したのが、それまでの記録より1病床多い1001病床のスリジャヤワルダナプラ総合病院でした。その当時唯一のアクセス道路だった道が誰言うとなく友好道路と呼ばれ、それが正式に「日本スリランカ友好道路」となったということです。
水、王様
スリランカは膨大な数の貯水地がありますが、その説明が分かりやすくされています。
スリランカの国土の四分の三は、雨季が年に1回しかないドライゾーン。雨季に降った大量の雨を貯めておくことは、一年を通じて稲作を行い、人々に豊かな食をもたらすためにとても重要だった。
よく知られるシーギリヤを築いたカーシャパ王子と父王ダートゥセナのやりとり、ポロンナルワの貯水池「パラークラマサムドラ」を建造したパラークラマバーフ1世に関するエピソードも紹介されています。
パラークラマサムドラ24キロ平方メートル
空海が改修した日本最大の灌漑用の溜池「満濃池」1.4キロ平方メートル
を比較しているため、パラークラマサムドラの大きさがとても分かりやすいです。
日本の支援についても紹介されています。
在スリランカ日本国特命全権大使粗信仁氏(23代)は、「内戦によって破壊された灌漑システムを復旧するため、日本は、農業経済開発復興事業(PEACE)を通じ、内戦中の2003年から約10年間に、大中小およそ100のため池と水路の改修を行った」と述べている。
稲と、精神
前段落に続く内容が書かれています。
スリランカの各地には、いまも村の名前が付けられたタンクがあり、その数は1万を超えている。
また、こんなことも書かれています。
明治維新前、ロンドンに匹敵する識字率をもつ都市が世界に2つあり、それはスリランカと江戸だったという逸話がある。両方に共通するのは高い教育システムを社会の中に持っていたこと。江戸の寺子屋であり、スリランカは寺院であった。
風の悲しみ
スリランカの地域別の雨季と乾季の説明が非常に分かりやすいです。
11月から4月は北東からの風。島の中央には標高2000mを超える山岳地帯があるが北と東は傾斜が緩やかなため、水蒸気は山に阻まれることなく南西部まで運ばれ、全島に雨を降らせる。5月から10月は南西からの風。島の南西部は雨季に入る。しかし、山岳の西と南は傾斜が急なため、水蒸気は山に阻まれ、北東部は乾季に入る。
光り輝く島の宇宙
シンハラ・タミル新年について、「元来は収穫感謝祭であった」と書かれています。
サンゴ礁の海岸
ヒッカドゥワはお店が多く、サーフィンスポットでもあるナリガマビーチに注目してしまいますが、ヒッカドゥワビーチにホテルを運営するばんせいグループさんなので、ヒッカドゥワの説明が適切です。
以下は、この段落の全文です。
ヒッカドゥワのは海は、1979年スリランカで初めて海洋保護区となり、2002年には海洋国立公園に指定された。スリランカ南西部の海岸の中で美しいサンゴ礁に囲まれているのはここしかない。遠浅のラグーンの平均的な深さは約2m、ウミガメも訪れる。潜水ポイントも数多くあり、スリランカの海を愛したSF作家アーサー・C.クラークが潜水中に発見したような18世紀の沈没船を眺めることもできるという。
ばんせいグループのヒッカドゥワのホテルについては、以下のページをご覧ください。
ラウンジセイロンタイムのひととき
銀座の中心地にあるラウンジセイロンタイムについても、バワ建築を感じられるものがあることをこの本を読んで初めて知りました。
ラウンジセイロンタイムの中央にある、アンティークの柱はスリランカから運ばれてきたもの。バワが1971年に手がけたマドゥライクラブを設計する際、近郊のチェスナード村から材を調達したことにちなみに、チェスナード式の柱と呼ぶ人もいる。
とあります。
このチェスナードはチェッティナードゥのことでしょう。
チェッティナードゥについては、以下の記事をご覧ください。
スリランカに想いを寄せて/石川秀樹
クラブヴィラのコース料理、建設中のWakana JPNの料理の監修を石川さんは担当されているようですが、石川さんのお店は以下の通りにミシュランで星を多く獲得しています。
神楽坂 石かわ
ミシュランガイドで2009年から連続で三ツ星を獲得。
虎白
ミシュランガイドで2015年から連続で三ツ星を獲得。
蓮 三四七
ミシュランガイド」で2012年から連続で二ツ星、一ツ星を獲得。
熱帯の米
スリランカ、インド、タイ、ラオスの比較があり、とても分かりやすい説明だと思います。
スリランカの米は、粒の細長いインディカ米。世界で栽培される米の8割を占める主流の品種だが、同じインディカ米でも国境を越えれば香りも味も変わる。タイはジャスミン米、インドはバスマティ米、ラオスはインディカ米のもち米を主食にする。(中略)日本との大きな違いは、生米(キャクルハール)と、籾殻がついたまま湯気をあててから脱穀した米(タンブパハール)があること。
スリランカのカレー
料理に使うオイルについても、比較されていて分かりやすいです。。
北部はマスタードシードオイル、南部はココナッツオイルを使う。インドはギーと呼ばれる動物性のバターオイルを入れる。
ヤシの生酒、ヤシの蒸留酒
“ギリシャのウーゾと同じく”と説明されると、水で割って飲みたくなります。
トディは、持ち出しが禁じられているので、飲みたければ蜜を採取している現場まで行かなければならない。(中略)アラックそのものは無色透明だが、水で割るとギリシャの国民的な酒ウーゾと同じく白濁する。
文学の旅
こちらの段落では、文学作品に登場するスリランカについて文章が引用されています。
島崎藤村『巡礼』、本が見つけられませんでしたが、他に以下の本から引用がされています。。
映画の旅
6つの映画が紹介されていますが、映画を見つけられたのは以下の2つです。(アマゾンで視聴が可能です。)
また、映画の原作であるマーティンウィクラマシンハ著『蓮の道』はアマゾンで見つかりました。
世界遺産への旅
三浦朱門著・増田義郎著・NHK取材班著『NHK海のシルクロード第4巻 仏陀と宝石/黄金半島を越える』には、1980年代後半の雑草が生い茂るアバヤギリヤの写真が収められていますが、その理由が分かる記述がアヌラーダプラについて書かれていました。
18世紀この地がイギリス人に発見されるまで熱帯の密林に覆い隠されたのである。
ポロンナルワには、円形の仏塔堂「ワタターゲ」など囲いの中に遺跡が集まっている「仏歯の庭(ダラダー・マルワ)」がある一方で、アヌラーダプラの中心には菩提樹がありますが、それが分かりやすく説明されています。
ブッダの歯である仏歯が王の象徴として重視されるのはポロンナルワ以降のことである。アヌラーダプラに都があった時代は、聖なる菩提樹が王の象徴であった。
シーギリヤについて以下の一説を私は知りませんでした。
一説では、カッサパ1世は、父が夢見ていたシーギリヤの宮殿を完成させることで父を供養したと言われる。
シーギリヤは西に正門があり、東に宮殿(岩山)が聳えていますが、シンハラ語は「南」と「西」は同じ単語が当てられていて”ダクナ”と言いますが、シンハラ語の方角と左右が一致する作りなのが、興味深いと思っています。
ちなみに、三浦朱門著・増田義郎著・NHK取材班著『NHK海のシルクロード第4巻 仏陀と宝石/黄金半島を越える』には、1831年の発見者の名前が「あるイギリス人」としか書かれていませんでしたが、本書には以下のように書かれています。
シーギリヤは、1831年、イギリスのフォーブス少佐がこの地を訪れたことで紹介され、イギリス統治下のセイロン考古局長ベル氏の調査によって、岩窟に潜むシーギリヤ・レディが発見された。
三浦朱門著・増田義郎著・NHK取材班著『NHK海のシルクロード第4巻 仏陀と宝石/黄金半島を越える』の記述によれば、1831年の発見ではあまり話題にならず、それから44年後に、イギリス人デイビッドが麓から望遠鏡で覗いてシギリヤ・レディを発見したことで、世界から関心が寄せられるようになったそうです。
シンハラジャ森林保護区の特徴が一文にまとまっています。
この森林保護区には、スリランカ全島の植物固有種の約64%(139種)、動物や昆虫は50%以上、特に鳥類は95%(19種)が確認されている。
参考)
Bansei Holdings LK
知日ものづくり人材ネットワークの成功例:スリランカ JASTECA の取組
ウィキペディア:粗信仁
ウィキペディア:満濃池
石かわグループ
ウィキペディア:石川秀樹 (料理人)
ウィキペディア:ウーゾ
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「旅と町歩き」を仕事にするためスリランカへ。
地図・語源・歴史・建築・旅が好き。
1982年7月、東京都世田谷区生まれ。
2005年3月、法政大学社会学部社会学科を卒業。
2005年4月、就活支援会社に入社。
2015年6月、新卒採用支援事業部長、国際事業開発部長などを経験して就職支援会社を退社。
2015年7月、公益財団法人にて東南アジア研修を担当。
2016年7月、初めてスリランカに渡航し、会社の登記を開始。
2016年12月、スリランカでの研修受け入れを開始。
2017年2月、スリランカ情報誌「スパイスアップ・スリランカ」創刊。
2018年1月、スリランカ情報サイト「スパイスアップ」開設。
2019年11月、日本人宿「スパイスアップ・ゲストハウス」開始。
2020年8月、不定期配信の「スパイスアップ・ニュースレター」創刊。
2023年11月、サービスアパートメント「スパイスアップ・レジデンス」開始。
2024年7月、スリランカ商品のネットショップ「スパイスアップ・ランカ」開設。
渡航国:台湾、韓国、中国、ベトナム、フィリピン、ブルネイ、インドネシア、シンガポール、マレーシア、カンボジア、タイ、ミャンマー、インド、スリランカ、モルディブ、アラブ首長国連邦、エジプト、ケニア、タンザニア、ウガンダ、フランス、イギリス、アメリカ
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