『スリランカを知るための58章』(エリアスタディーズ117)杉本良男・高桑史子・鈴木晋介 編著
世界各国(地域)の概要をわかりやすく解説した入門書のシリーズ「エリアスタディーズ」は、222点も発行されています。
その中、117番目が今回紹介する『スリランカを知るための58章』です。
20人の研究者・専門家が58の切り口で、それぞれの専門分野について担当して執筆した文章がまとめられた書籍です。
各テーマが4〜6ページほどに凝縮され、歴史的背景を踏まえつつ、村に滞在して家庭内での会話は様子を踏まえた上で記述したものなど、非常に濃い内容で、スリランカを理解するのに大変優れた内容です。
58の各テーマがそれぞれ深掘りすると、個別の記事にできるような内容になっています。
主要な町の紹介、スマトラ島沖地震の津波、青年海外協力隊、障がい者・高齢者福祉の情報も非常に興味深いことが書かれていましたので、いずれ切り出して個別の記事にしたいと思います。
本記事では、上記の記事・テーマ以外の部分をまとめました。
目次
- 1 エリアスタディーズ一覧
- 2 著者一覧
- 3 スリランカを知るための文献ガイド
- 4 植民地政府の現地人エリート「ムダリヤール」と新興エリート
- 5 スリランカ経済史
- 6 輸出加工区と縫製工場
- 7 ウェットゾーンとドライゾーンの農業
- 8 紅茶栽培と森林破壊
- 9 モノカルチャーとプランテーション
- 10 漁業とモンスーン
- 11 英語経済部門と母語経済部門
- 12 高地シンハラカーストと低地シンハラカースト
- 13 女性の家事
- 14 教育制度の歴史
- 15 多様なスリランカの方言
- 16 タミルとシンハラ
- 17 多宗教の聖地「カタラガマ」と「スリーパーダ」
- 18 スリランカのヒンドゥー教
- 19 スリランカのイスラム教徒
- 20 スリランカのキリスト教
- 21 各宗教のパレード
- 22 キャンディアンダンスの起源
- 23 サリーの起源
- 24 キンマの葉
- 25 スリランカの伝統的な村の家屋
- 26 アーユルヴェーダと伝承医学
- 27 開発援助と開発独裁
- 28 スリランカにおける青年海外協力隊
エリアスタディーズ一覧
本書の内容が非常に素晴らしかったため、エリアスタディーズのシリーズそのものが気になり調べてみたところ、222点も発行されています。
刊行点数の多さ、改訂版を定期的に発行しているのは、以前に紹介した旅名人ブックスに共通するものがあります。
両シリーズともスリランカ版しかまだ読んでおりませんが、ともに内容が濃く、良質なシリーズなのではないかと思っています。
スリランカを理解する上で、インドについて知ることはとても大切ですので、インドについても読んでみたいと思います。
以下、シリーズを書き出してみましたが、アメリカで10点、中国本土で8点、イギリスで7点、スペインで6点と一つの国だけでも、これだけの刊行点数があります。
それぞれの国について多面的に、深く伝えていこうとしていることが感じられます。
南アジア諸国では12点(イランも含めると13点)、
東南アジア諸国では17点と、スリランカと文化的・地域的な繋がりがあるところで、合計29点もあります。
スリランカの旧宗主国であるポルトガルは2点、オランダ1点、イギリス7点で、合計10点もあります。
様々な国・文化圏の影響を受けてきたスリランカを知る上で、参考になりそうです。
以下、シリーズをざっくり地域別に分類して並べました(一部、抜けがあるかもしれません。完全な一覧は明石書店のサイトをご覧ください。)
■シリーズ一覧
アメリカの歴史
アメリカの歴史(第2版)
新時代アメリカ社会
カリフォルニアからアメリカを知る
ニューヨークからアメリカを知る
大統領選からアメリカ
アメリカ先住民
アメリカのヒスパニック・ラティーノ社会
21世紀アメリカ社会
ハワイ
現代中国
現代中国(第2版)
現代中国(第3版)
現代中国(第4版)
北京
中国のムスリム
中国の歴史
中国の暮らしと文化
香港
現代台湾
台湾
現代スペイン
スペインの歴史
マドリードとカスティーリャ
カタルーニャ
現代バスク
スペインのガリシア
ポルトガル
ポルトガル(第2版)
オランダ
イギリス
イギリス(第2版)
イギリスの歴史
イギリス文学
イギリスを旅する
ロンドン
スコットランド
現代ドイツ
現代ドイツ(第2版)
ドイツの歴史
最新ドイツ事業
現代ドイツの社会・文化
現代韓国
韓国の暮らしと文化
韓国の歴史
済州島
インド
インド(第2版)
カーストから現代インド
現代インド
バングラディシュ
バングラディシュ(第3版)
ネパール
現代ネパール
現代ブータン
現代ブータン(第2版)
パキスタン
スリランカ
イラン
東南アジア
ASEAN
シンガポール
シンガポール(第2版)
シンガポール(第3版)
シンガポール(第4版)
インドネシア
現代インドネシア
タイ
タイ(第2版)
現代フィリピン
現代フィリピン(第2版)
フィリピン
現代ベトナム(第2版)
ミャンマー
カンボジア
ラオス
キューバ
現代カナダ
現代カナダ(第2版)
ケベック
カナダを旅する
カナダの歴史
フランスの歴史
現代フランス社会
ザンビア
ポーランドの歴史
リトアニア
リビア
ウェールズ
太平洋諸島の歴史
北朝鮮
ボスニア・ヘルツェゴヴィナ
チリ
クルド人
地中海
アイルランド
ルクセンブルク
現代メキシコ
現代ブータン
フランス文学
ウクライナ
アゼルバイジャン
ウズベキスタン
イスラエル
グアテマラ
ハンガリー
ケルト
オマーン
イタリアの歴史
イタリアを旅する
現代イタリア
パナマ
スロヴェニア
ベラルーシ
バングラデシュ
バルト海
カリブ海世界
ケルト
ロシアの歴史
ペルー
コスタリカ
ニカラグア
テュルク
タスマニア
パレスチナ
ラトヴィア
ナミビア
アイスランド・グリーンランド・北極
マリ
バルカン
現代モンゴル
内モンゴル
モンゴル
セルビア
タンザニア
サウジアラビア
ミクロネシア
カザフスタン
スイス
ホンジュラス
メソアメリカ
現代メキシコ
イタリア
ドミニカ共和国
シリア・レバノン
EU
現代アラブ
クロアチア
マダガスカル
ボリビア
現代イラク
エストニア
アンダルシア
エクアドル
現代ロシア
現代エジプト
グアム・サイパン・マリアナ諸島
ケニア
パリ・フランス
ボツワナ
カンボジア
ガーナ
ウガンダ
コロンビア
ウィーン・オーストリア
アラブ首長国連邦(UAE)
パラグアイ
南太平洋
マラウィ
南アフリカ
エルサルバドル
チュニジア
オーストラリア
オーストラリア(第2版)
ブラジル
セネガルとカーボベルデ
アルジェリア
アルメニア
ベルギー
ケベック
チェコとスロヴァキア
エチオピア
北欧
デンマーク
スウェーデン
フィンランド
ノルウェー
ニュージーランド
サウジアラビア
ルーマニア
モロッコ
エクアドル
リビア
東ティモール
コーカサス
タンザニア
ミクロネシア
ボリビア
アルゼンチン
バルカン
エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグア
メキシコ
コスタリカ
チベット
中央アジア
ブラジル
ポーランド
など
著者一覧
『スリランカを知るための58章』の執筆された方々のご経歴や論文・著書の一覧を見ると、専門家が書いている内容であることが分かります。
以下に記載したのは、その一部の著書の書籍になっている著書のみを書き出したものですが、それだけでもこんなに長くなります。
本書を読んでみて、興味を持った分野についてさらに深めたい場合に、参考になるでしょう。
杉本 良男
『もっと知りたいスリランカ』(弘文堂、1987年)
『伝統宗教と知識』(南山大学人類学研究所、1991年)
『宗教・民族・伝統-イデオロギー論的考察』(南山大学人類学研究所、1995年)
『アジア読本 スリランカ』(河出書房新社、1998年)
『宗教と文明化』(ドメス出版、2002年)
『福音と文明化の人類学的研究』(国立民族学博物館調査報告31)(国立民族学博物館、2002年)
『インド映画への招待状』(青弓社、2002年)
『キリスト教と文明化の人類学的研究』(国立民族学博物館調査報告62)(国立民族学博物館、2006年)
『朝倉世界地理講座―大地と人間の物語4南アジア』(立川武蔵・海津正倫と共編著・朝倉書店、2012年)
『スリランカを知るための58章』(高桑史子、鈴木晋介との共編著・明石書店、2013年)
『世界民族百科事典』(国立民族学博物館編、編集委員長・丸善出版、2014年)
『キリスト教文明とナショナリズム 人類学的比較研究』(風響社、2014年)
『現代インド6 環流する文化と宗教』(三尾稔との共編著・東京大学出版会、2015年)
『スリランカで運命論者になる: 仏教とカーストが生きる島』(臨川書店、2015年)
『ガンディー:秘教思想が生んだ聖人』(平凡社新書、2019年)
『聖地のポリティクス―ユーラシア地域大国の比較から』(松尾瑞穂との共編著・風響社、2019年)
高桑 史子
『スリランカ――人々の暮らしを訪ねて』(澁谷利雄との共編著、段々社、2003年)
『スリランカ海村社会の女性たち――文化人類学的研究』(八千代出版、2004年)
『スリランカ海村の民族誌――開発・内戦・津波と人々の生活』(明石書店、2008年)
『スリランカを知るための58章』(高桑史子、鈴木晋介との共編著・明石書店、2013年)
鈴木 晋介
『つながりのジャーティヤ──スリランカの民族とカースト』(法蔵館 2013年)
『スリランカを知るための58章』(高桑史子、鈴木晋介との共編著・明石書店、2013年)
『フィールドは問う──越境するアジア』(共著、関西学院大学出版会 2013年)
『社会苦に挑む南アジアの仏教ーB. R. アンベードカルと佐々井秀嶺による不可触民解放闘争』(関根康正・根本達・志賀浄邦人・鈴木晋介共著、関西学院大学出版会、2016年)
『南アジア系社会の周辺化された人々ー下からの創発的生活実践』(関根康正・鈴木晋介編著、明石書店、2017年)
川島 耕司
『スリランカと民族――シンハラ・ナショナリズムの形成とマイノリティ集団』(明石書店、2006年)
『世界史史料〈8〉帝国主義と各地の抵抗1』(岩波書店、2009年)
『スリランカを知るための58章』(高桑史子、鈴木晋介との共編著・明石書店、2013年)
『キリスト教文明とナショナリズム 人類学的比較研究』(風響社、2014年)
『スリランカ政治とカースト――N.Q.ダヤスとその時代、1956-1965』(芦書店、2019年)
梅村 絢美
『スリランカを知るための58章』(高桑史子、鈴木晋介との共編著・明石書店、2013年)
『沈黙の医療 スリランカ伝承医療における言葉と診療』(風響社、2017年)
中村 尚司
『共同体の経済構造』(新評論、1975年)
『地域と共同体』(春秋社、1980年)
『共同体の経済構造–労働の蓄積と交換(新評論、1984年)
『スリランカ水利研究序説』(論創社、1988年)
『豊かなアジア、貧しい日本』(学陽書房、1989年)
『地域自立の経済学』(日本評論社、1993年)
『人びとのアジア』(岩波新書、1994年)
『共同体の経済構造―労働の蓄積と交換』(新評論、2003年)
『スリランカを知るための58章』(高桑史子、鈴木晋介との共編著・明石書店、2013年)
樋口 まち子
『Traditional Health Practices in Sri Lanka』(VU University Press, The Netherlands、2002)
『もうひとつの島国・スリランカ-内戦に隠れた文化と暮らし』(ぶなのもり、2006)
『国際看護学』(メヂカルフレンド社、2010)
『ケースで学ぶ国際開発』(東信堂、2011)
『社会の中の看護』(日本看護協会出版会、2011)
『アジアを学ぶ-海外調査研究の手法』(勁草書房、2011)
『スリランカを知るための58章』(高桑史子、鈴木晋介との共編著・明石書店、2013年)
『看護学辞典』(メヂカルフレンド社、2013)
加納 満
第II部 「障害と開発」と障害当事者 – 第9章 スリランカろう社会の形成とろう運動―シンハラ仏教ナショナリズムと民族紛争―
栗原 俊輔
『ぼくは6歳、紅茶プランテーションで生まれて。: スリランカ・農園労働者の現実から見えてくる不平等』(合同出版、2020年)
その他の執筆者
井村美和
加納 満
小関 千智
執行一利
清水 研
田中 規夫
中村 紗絵
古田 弘子
松山 弥生
和栗 百恵
B・M・プリヤンタ・ラタナーヤカ
スリランカを知るための文献ガイド
本書の巻末には種類ごとに分類されて、文献の一覧があります。
分類を以下に記載しますが、詳しい書籍名は本書を手に取ってご覧ください。
概論
法制・経済・社会
歴史・宗教・文化
語学・文学
紀行・ドキュメンタリー・その他
アーユルヴェーダ・料理
日本人観
植民地政府の現地人エリート「ムダリヤール」と新興エリート
ポルトガル領セイロンで現地人の役人とされたムダリーヤルは、オランダ領セイロン、イギリス領セイロンでも引き続き活躍。
ポルトガル、オランダが沿岸部を統治したため、低地シンハラ人に多く、イギリスがキャンディ王国を攻撃する際に協力し、多くの報酬を得たそうです。
バンダーラナーヤカ家
オランダ領セイロンからのムダリヤールで、そのトップであるマハ・ムダリヤールも務めた一族。
キリスト教徒の家系。
1803年の第一次キャンディ戦争でイギリスに協力し、金のメダルと広大な土地を獲得し、ココヤシ農園主となります。
コロンボ〜キャンディ間の道路は、バンダーラナーヤカ一族の土地を通るように建設されます。
オベーセーカラ家との密接な関係を築きました。
ジャヤワルダナ家
南インドのチェッティ・ナードから渡ってきた、イギリス領セイロン初期からのムダリヤール。
キリスト教の家系。
大統領になったジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナは後に仏教徒に改宗しています。
セーナーナーヤカ家
初代首相のD. S. セーナーナヤカの父親は、黒鉛採掘から元、ココヤシ農園、アラック販売、不動産経営を通じて富を拡大させた新興のエリートでした。
近代に頭角を表した家系については、以下の書籍が参考になります。
スリランカ経済史
1948年、セイロン独立時の輸出の9割は紅茶、ゴム、ココヤシのプランテーション作物。
当時の一人当たり国民所得、人口当たりの自動車保有台数、道路舗装率、死亡率は当時の日本よりも上位にありました。
高度経済成長政策をとった日本とは違い、スリランカは福祉政策に力を入れます。
食糧の無料配布、医療の無償化、教育の無償化、農民への各種補助金などへの財政支出を行います。
1950年代は国営企業の時代。
保険、銀行、バス、各種製造業が国有化されます。
1977年、J. R. ジャヤワルダナが大統領に就任し、経済政策の転換が行われます。
貿易・為替の自由化、福祉事業の削減、価格統制の撤廃、民間企業への奨励策など、開放経済体制をとります。
1978年、3つの大開発事業が始まります。
①ビクトリアダムの建設による水力発電と乾燥地帯への入植政策
②カトゥナーヤケ自由貿易ゾーン
③スリジャヤワルダナプコッテへの首都移転と都市開発
1990年代、自由貿易ゾーンの主要産業である既成服の縫製業が第一の外貨獲得源となります。
プランテーションは家族単位の住み込み労働であるのに対して、自由貿易ゾーンでの縫製業は単身の女性労働力が主力です。
2000年代、中東への海外出稼ぎ労働が最大の外貨獲得源になります。
海外出稼ぎ労働者の半数が既婚女性で、その6割が単身で中東滞在をしています。
輸出加工区と縫製工場
1977年に政府は市場開放政策に踏み切り、貿易・為替の自由化を実施します。
海外資本の直接投資を誘致するための輸出加工区(ETZ:Export Processing Zone)を作り、そこに輸出用工業製品生産を目的とする工業団地を建設します。
この輸出用産品の大半が衣服製品で、原料を輸入して服を仕上げる縫製業が中心です。
輸出加工区(ETZ)は、自由貿易地区(FTZ:Free Trade Zone)とも言います。
スリランカにおける主なETZ
1978年:カトゥナーヤカETZ完成
1985年:ビヤガマETZ完成
1991年;コッガラETZ完成
1994年:キャンディIP(Industrial Park)完成
1998年:ワトゥピティワラEPZ完成
1998年:ミリガマEPZ完成
1998年:マルワッテEPZ完成
1999年:ミリッジャウィラEPZ完成
1999年:シーターワカEPZ完成
1999年:ホラナEPZ完成
2000年:マワタガマEPZ完成
2000年:ポルガハウェラEPZ完成
1991年、プレマダーサ政権は、「200縫製工場計画」を決定し、全国に200の縫製工場の建設計画を立て、若年女性の雇用創出として、各工場には原則として女性450名、男性50名が雇用されることとしました。
縫製工場で働くのは主に農村や都市低所得層出身で、8〜12年の教育を受けた未婚女性です。
ガーメント(服)ガール、あるいはJUKIガールと呼ばれます。
JUKI(旧:東京重機工業)は工業用ミシンの世界シェア1位のJUKIに由来します。
女性は男性よりも低賃金での雇用が可能であり、結婚退社により恒常的に低賃金の労働力を確保できること、特に賃金労働の機会が少ない農村出身の女性が積極導入されています。
長時間に同じ生産ラインで指先を使う作業を行う能力・忍耐強さ・従順さなどの女性固有とされるジェンダー観も関係しています。
雇用される女性の大半は自宅を離れてFTZ周辺に住む住民が建てた宿舎に住み、働いています。
結婚までは実家で親の元で、結婚後は夫の元で暮らすという南アジアの伝統的な女性観とは異なり、家を離れて寄宿生活を送る貧困層出身の女性には侮辱の眼差しが向けられることもあります。
ウェットゾーンとドライゾーンの農業
中央高地では沢の水を導水した棚田、
ドライゾーンでは貯水池灌漑システムが見られます。
ドライゾーンは古くからの農村地(プラーナ)と入植地に分かれます。
森林地帯では焼畑農業が行われています。
焼畑農業は肥料や農薬の散布は必要がなく、ある意味で究極の有機農業。
一度伐採した焼畑地はたいてい3〜4年くらいで放棄し、自然に森林が回復するのを待つため、休耕期間を長くとれば、生態学的にも自然破壊にはならない循環型の農業形態になっている。
焼畑農地での主食は、とうもろこしやシコクビエ。
ピットゥ:臼でひいて粉にし蒸したもの
タラパ:お湯で練った日本の蕎麦がきのようなもの
ロティ:お好み焼きのように鉄板で焼いたもの
紅茶栽培と森林破壊
1815年にキャンディ王国を滅ぼしたイギリスは、特定の個人の私有地以外の土地は全て国有地であると一方的に宣言しました。
その後、その土地をプランターたちに払い下げます。
森林はヘーナという形で利用されていました。
低カースト、若者、寡婦、離婚された女性、など弱者のためのセーフティネットでした。
プランテーション化は、森林伐採と環境破壊の過程でもありました。
焼畑農業に使われたヘーナ地は通常2年で放棄されたので、その後、植生は回復し、森は復元されていたのです。
ところが、鉄道や都市の発達は大量の木材需要を生み出した、森林伐採に拍車がかかりました。
1940年代には、プランテーション地域で、森林面積は総面積のたったの6-13%となった。
森林の減少は、土壌浸食ももたらした。
イギリス人たちは、厳しいカースト制度にあった下層のインド人をプランテーションの労働力として連れてきました。
元々は高地はシンハラ人のものでしたが、イギリスから独立した後に、イギリスが連れてきたインド・タミルの人たちが住み、その中から土地を所有するような人たちも出てきました。
そして、低地地方で生まれたシンハラナショナリズムが中央高地にも浸透し始めていきました。
モノカルチャーとプランテーション
現在の残るプランテーション(農園)はイギリス植民地時代に開発されたものが多く残っています。
南西海岸部にココヤシ農園、その内陸にゴム農園、高地に茶農園があります。
ココナッツトライアングルと呼ばれる、ネゴンボ・プッタラマ・クルネーガラを結んだエリアはココヤシ栽培が盛んで、その中心地のルヌウィラには、ココヤシ研究所があります。
ココヤシについては、以下の記事を参照ください。
漁業とモンスーン
モンスーンによる移動
スリランカは南西モンスーンと北東モンスーンの影響で、観光のオンシーズンが南西海岸と東海岸で入れ替わり、ダイビングショップやサーフショップは季節に応じて移動しますが、同じことが漁業にもあるようです。
スリランカの漁民は地曳網漁専門と沖合漁業専門に分かれます。
南西モンスーン期(5月頃〜9月頃)、南西海岸の浜には地曳網漁で利用する船がヤシの葉で作られた覆いをかけられて置かれています。
漁民はモンスーンの影響を避けて、東海岸に移動します。
東海岸への移動は漁船とともに漁民と、車で行く漁民に分かれます。
車で行く漁民はさらに、東海岸に漁船を置いている場合と、東海岸で雇用されて働く場合に分かれます。
東海岸の浜にヤシの葉で小屋を建てて、数ヶ月間暮らしながら操業します。
かつては多くの魚をドライフィッシュにしていましたが、道路網が整備されてから鮮魚をトラックで運ぶようになりました。
港湾建設による変化
スリランカでは長い間、地曳網漁が中心でした。
それ以外は、沿岸・ラグーン・近海での小型定置網漁、小型刺網漁、釣り、投網でした。
1980年代に政府は漁獲量の増大と漁民生活の向上を目的に、水産業振興政策を実施。
スリランカ全土に12の大型漁港(ゴール、ヒッカドゥワ、トリンコマリーなど)が建設されました。
大型漁港には大型漁船が停泊でき、運搬用の大型車が横付けできる岸壁、製氷施設などがあります。
大型漁港の多くはシンハラ人の多く住む地域に集中し、シンハラ人の大型動力船がタミル人が多い地域の沖合で操業する一方で、内戦による操業停止も加わり、タミル漁民は水産業の発展から取り残されてしまいます。
漁民数は約15万人
スリランカの漁民数は約15万人で、漁民世帯の人口は約55万人。
漁民は海面漁民と内水面漁民に分かれます。
かつては、内陸部では海面漁業はドライフィッシュに、鮮魚は湖沼のコイやフナ類でしたが、漁業の近代化と道路網の整備に伴い、現在の漁獲量の9割は海面漁業、内水面漁民は1割程度。
英語経済部門と母語経済部門
英語経済部門はコロンボを中心とした以下のような分野です。
・プランテーション作物の輸出
・インバウンド観光
・EPZ
・ODA
・外資資本
・公務員や軍人の上級職
・欧米諸国で働く医師、技師、法律家などの本国への送金
など
母語経済部門は農山漁村と地方都市を中心した以下のような分野です。
・農業
・漁業
・旅客輸送業(バス、トゥクトゥク)
・雑貨店
・飲食店
・アーユルヴェーダ医師
・宗教施設
・教育施設
・中東への出稼ぎ労働者の本国への送金
など
高地シンハラカーストと低地シンハラカースト
スリランカのカーストは、高地シンハラ社会・低地シンハラ社会・タミル社会の3つに分かれます。
スリランカのカーストの上位は人口の半数ほどのゴイガマ(農耕)です。
その中でも少数で貴族層のラダラが最上位です。
スリランカの歴代国家元首は、プレマダーサ大統領(洗濯職のドービ)以外は全てゴイガマ(農民)です。
2010年の大統領選挙は、ゴイガマのラージャパクシャとカラーワのフォンセカが争いました。
高地シンハラ社会
高地シンハラ社会のカーストは、キャンディ王国時代に確立し、王権に対するサービス「ラージャカーリヤ」によって定義されます。
現在も仏教寺院の土地をもらう代わりに毎日の太鼓(ベラ)叩きを担うカースト「ベラワー」などがいます。
日常の仕事に加えて、エセラ・ペラヘラの時にそれぞれの役務を果たします。
スリランカ仏教の多数派であるシャム・ニカーヤは、キャンディ王がシャム(タイ)から僧を呼び、受戒を授かり始まっており、ゴイガマのみに出家を認めています。
低地シンハラ社会
低地シンハラ(主に西海岸部)の代表的なカーストが、ドゥラーワ、カラーワ、サラーガマです。
いずれもインドの南西海岸(ケーララ州)の移民が中核となっています。
王権に対するサービス(ラージャカーリヤ)は担ず、交易で財力を蓄えました。
ゴイガマ以外でも出家できるアマラプラ・ニカーヤ、ラーマンニャ・ニカーヤの設立に寄与します。
アマラプラの名は、ミャンマーのコンバウン朝の首都アマラプーラで受戒を授かって始まったことから。
ラーマンニャの名は、ミャンマーのモン族の旧称ラーマンが由来です。
モン族が多いモン州の州都は、イギリス領ビルマの最初の首都であったモーラミャインです。
スリランカのカーストについては、こちらの記事を参照ください。
女性の家事
伝統医療の調査をしていた梅村さんによる家庭の描写が非常に印象的です。
「カデ(店)の食事は誰が何を使って作っている分からないから、お腹を壊すかもしれない。お弁当を持っていきなさい」
というスリランカの家庭でのやりとりは、確かに想像がつきます。
洗濯機があっても、シャワーを浴びるついでに洗濯を済ましてしまう。洗濯機は便利だが衣類が傷むため結局は手洗いの方が良いのだという。台所にはガスコンロもあるのだが、使われていない。ガスコンロと熱伝導のよいアルミの鍋で作られた料理は、早くでき上がるし後片付けも楽だが、「ピッタ(火のエネルギー)が強すぎてでき上がった料理が身体に対し過剰な刺激を与えるからよくない」のだという。
この記述には驚きましたが、これも想像がつきます。
村の暮らしでは、一家でテーブルを囲むことはなく、女性は台所で食事をすることが多い。
スリランカカレー
エラワルは野菜の意味だが、おかず全般を意味することも多い。
ご飯食べた?という挨拶に対して、材料名で答えることが多い。
これはスリランカカレーが一素材一カレーで作られているからでしょう。
定番のカレーは、ダール豆をココナッツミルクで煮たパリップ。
「パリップを食った」はいい待遇を受けなかったという意味でもあるらしい。
小魚の塩辛い干物をココナッツオイルで炒めた「ハールメッソ」もよく食べられているという。
教育制度の歴史
1832年、イギリスによって学校教育の教授言語が英語とされます。
イギリスはタミル人が多い北部の海岸地域にキリスト教系学校を多く建設します。
1868年、シンハラ語・タミル語での教育が初等教育で開始(中等教育以上は英語)
シンハラ人によるシンハラ語教育と仏教の再興、
タミル人によるタミル語教育とヒンドゥー教の推進が行われます。
1939年、C. W. W. カンナンガラがシンハラ人としての初代教育大臣に就任し、幼稚園から大学までの教育を無償にすることを決定
1978年、ジャヤワルダナ大統領が就任し、憲法を修正して、公用語をシンハラ語、国民語をシンハラ語・タミル語とし、教育は国民語で行うとします。
1987年、憲法改正で公用語はシンハラ語・タミル語とされ、英語は連結語と位置付けられます。
1997年、初等中等教育において、シンハラ語話者にタミル語を、タミル語話者にシンハラ語を教えることを決定
多様なスリランカの方言
シンハラ語:コロンボ方言、キャンディ方言、南部方言
タミル語:ジャフナ方言、トリンコマリー方言、バッティカロア方言、ニゴンボ方言
ムスリムタミル語:南西方言、北東方言
スリランカポルトガルクレオール:バッティカロアに多い
スリランカマレー:コロンボ、キャンディ、ハンバントタ、キリンダにわずかに話者がいる
スリランカ英語:
モルディブは1153年にイスラム教国化するまでは、シンハラ仏教影響下にあり、仏教寺院や古代シンハラ語に近い言語があったと言われています。
タミルとシンハラ
プロテスタント仏教の頃から、南インドのエラーラを倒したトゥッタガーマニー王は英雄とされていますが、エラーラは善政を行ったとも史書に書かれ、当時の南インドは仏教徒が多かったとも言います。
スリランカ建国の王ヴィジャヤは、王妃をマドゥライから受け入れています。
ポロンナルワに王国を築いたウィジャヤバーフ1世は妹をパーンディヤ朝に嫁がせ、自らはカリンガ国から王妃を迎えています。
コーッテー王国を建国したパーラクラマバーフ6世も嫁をタミル地方に嫁がせています。
キャンディ王国最後の王朝はマドゥライのナーヤッカル家で王妃を南インドから迎えたため、二宗教が併存します。
そのため、王権と関係の深かった仏教寺院には仏像を祀ったウィハーラと、ヒンドゥー神を祀ったデーワーラが併設されていることが多いそうです。
旅名人ブックス:スリランカ 心安らぐ「インド洋の真珠」にも、南インドの王権とスリランカの関係が紹介されています。
多宗教の聖地「カタラガマ」と「スリーパーダ」
宗派や宗教との違いが庶民レベルにまで及んだのは、近代のプロテスタンティズムの影響を受けてから。
カタラガマ
カタラガマを祀る神殿があります。
カタラガマとはインドのムルガンのことで、シンハラ語でカタラガマ、タミル語でカディルガーマム。
元々は南にあるウェディヒティ・カンダ(先住民の山)と呼ばれたヴェッダ人の聖山に由来します。
白い仏塔「キリウェヘラ(කිරි වෙහෙර)」は、ルフナ王国のマハーセーナ王によって建てられた言い伝えられていて、仏教徒が巡礼します。
ムスリムは、バングラディシュの教育者であるAbdul Jabbar Jahanabadiの名前が掲げられたモスクに巡礼します。
マニック川が流れていますが、マニック(මැණික්)とは、シンハラ語で宝石を意味します。
アダムスピーク
ウェッダ人の山の神「サマン」が守護する山「サマナラカンダ」。
頂上に足跡とされるものがあり、
仏教徒はそれをお釈迦様の足跡「スリーパーダ(聖なる足跡の意味)」
ヒンドゥー教はそれをシヴァの足跡「シヴァパーダム」
イスラム教徒とキリスト教とはアダムの足跡ということで「アダムスピーク」
一部のキリスト教徒は聖トーマスの足跡だとしています。
■スリランカの仏教
ピリット
葬式、子供の誕生やお店の開店などで行われる僧侶による読経のことをいいます。
取引先の新規オープンや◯周年記念などで、ピリットが行われる場に何度か招かれたことがありますが、かなり長時間に渡りました。
腕に巻く白い糸は、ピリット糸といいます。
マヒンダは西インドの宗教指導者の可能性
一般にマヒンダは王に近い親族(息子説もある)とされますが、実際は西インドの教団の指導者であった可能性が高いと書かれています。
シンハラ王朝も西インドから渡ってきた可能性があるとされるため、それはあるのかもしれません。
仏教は断絶と再建を繰り返してきた
サンガの成立には具足戒(ウパサンパダ)を受けた5人以上の僧侶が必要であるが断絶をしたために、タイのサンガから僧侶をサンガを再建し、それがシャムニカーヤと呼ばれます。
その後、ビルマのサンガから受戒して、アマラプラニカーヤとラーマンニャニカーヤが設立されています。
通年となった雨安居
雨季に行われていた檀家が寺に食事を持っていく「雨安居」は年中となり、スリランカではミャンマーやタイで見られるような托鉢の姿はあまり見られません。
プロテスタント仏教
仏教のプロテスタント化はアナガリーカ・ダルマパーラによって進められました。
それまでは仏教徒というアイデンティティからも遠かった信者が、仏教徒であり、◯◯寺派である、という自覚を持つようになったと言います。
儀式主義と精霊信仰も排斥の対象となっていきます。
スリランカのヒンドゥー教
タミル・ナードゥ州の影響を受けたシヴァ派が多く、それはチョーラ朝による支配を受けたことに影響するそうです。
スリランカに渡ってきたのは、タミル・ナードゥ州、アーンドラ・プラデーシュ州、ケーララ州などの地域から。
スリランカのイスラム教徒
以下の分類は、本書の分類に加えて、他の文献で読んでものも踏まえて、私が再分類しました。
アラビア半島南部からの移住
ムスリムのことを国勢調査では「ムーア」と呼びますが、これはポルトガルによる命名で、シンハラ語ではヨナカ、タミル語ではソナハルと言います。
ジャワ島からの移住
オランダ統治時代にオランダが傭兵としてジャワ島から連れてきた人たちの末裔がいると言われています。
マレー半島からの移住
イギリスによって連れてこられた人たちの末裔で、この人たちもスリランカマレーと呼ばれます。
南インドからの移住
パキスタンのシンドゥ地方からの移住
メーモン人と言われる人たちのコミュニティーがスリランカにもあります。
キャンディ王国と深い関係にあった高地ムスリム
スリランカの多くのムスリムは、タミル語を母国語としていますが、
王権から土地や村落を下賜されていた高地ムスリムは、シンハラ語を母語としていました。
スリランカのキリスト教
ポルトガルによるローマンカソリックがまず普及。
その後、オランダ改革派教会によってローマンカソリックは強硬であったため、一部がオランダ改革派教会に。
イギリスの時代になって、自由化されたため、オランダ改革派教会に改宗していた教会が再度ローマンカソリックに戻ります。
各宗教のパレード
各宗教のパレードでは飲食物が周囲の人に配られ、異教徒もパレードをともに楽しんでいる様子が見られます。
仏教徒の村のパレード「ブトゥペラヘラ」
村で檀家組織(ダーヤカ・サミティー)で行うペラヘラ。
象やダンサーにお金をかけられない場合は、仏教日曜学校の子供たちが衣装を来て行列に参加します。
キリスト教徒の村のパレード「ソローレ」
ソローレの行われる10日前に、天使を表す紅白の旗や、聖母マリアを表す青白の旗が町に飾られます。
電飾で装飾された天使や聖母の絵画や立体装飾品が並び、聖体を掲げながら、聖歌を歌いながら行進します。
ヒンドゥー教徒の村のパレード
本書には仏教徒とキリスト教徒のパレードのみが紹介されていましたが、ヒンドゥー教徒のパレードもコロンボではよく見かけます。
そちらの名称などについては、分かり次第こちらに追記いたします。
スリランカで行われる最も有名なパレード(ペラヘラ)については、以下のページをご覧ください。
https://spiceup.lk/kandy-perahera-festival/
キャンディアンダンスの起源
寺院が関与しないベラワーという太鼓叩カーストによって行われる「バリ、トゥウィル、カンカーリ」と呼ばれる儀式が元々あります。
ベラワーは、タミル・ナードゥ州のパライ太鼓を叩くパライヤンや、ケーララ州の楽師集団とも共通点が見られます。
夜から翌日の昼まで徹夜で行われる内容のうち、前半の部分がキャンディアンダンスとして分離されて、観光化された背景があります。
サリーの起源
インドでの普及
1880年代、ムンバイのパールシーとコルカタのタゴール家によって、男性衣装としてクルタとドーティー、女性衣装としてサリーがインド的なものとして、ナショナリズムの運動の中で普及。
スリランカでの普及
ヒンドゥー改革家のアルムガ・ナワラル(Arumuka Navalar)
仏教再興運動のアナガリーカ・ダルマパーラ
の二人によって、サリーの着用が推進されました。
植民地支配前は、女性は上半身は裸であったようです。
サリー「インドスタイル」と「キャンディアンスタイル」
インドスタイルの「二ヴィ」とキャンディアンスタイルの「オサーリヤ」があります。
オサーリヤはケーララのオサーリからきたものとされ、オリッサにも類似の着方があるという。
キンマの葉
結婚式や法要、伝統医療の医師に数枚のキンマの葉を渡します。
キンマの葉に、フヌ(石灰)を少し塗り、ビンロウの実を入れて、時にはタバコの葉も入れて噛む。
スリランカの伝統的な村の家屋
壁の枠組み:竹を使い、椰子の実の繊維で作ったひもで固定する。
壁:牛フンと土を混ぜたものを床に塗る。
屋根:藁をふくか、ヤシ類の葉を編んだものを、ヤシの木やビンロウの木の芯材で固定する。
牛フンと土を混ぜたものを塗った壁は、清潔さにおいても、ひんやりとした触感においても好ましく、土壁には除湿作用もあるので、中は涼しい。
アーユルヴェーダと伝承医学
大学で学ぶアーユルヴェーダ、その卒業生たちが行う聴診器や血圧計を用いた診療は20世紀にインドから導入されたサンスクリット・アーユルヴェーダ(文献に基づくアーユルヴェーダ)と言われます。
一方で、村落部では、特定の家系で代々受け継がれてきた診療を行う医師が、薬草や呪文をもちいた土着の伝統医療を行なっています。
また、家庭で行われている風邪や関節痛などに対する食品や薬草などの家庭の医学もアーユルヴェーダと言われます。
伝承医学
ベヘット・ゲダラ(医療の家という意味)で、
ヴェダ・マハッタヤー(医者)あるいはヴェダハーミネー(女医)が、
アトゥ・グナヤ(手の効力という意味で、代々受け継がれている治療能力)を使って、治療をおこないます。
ナーディ(脈)の診断で、患者の体質や不調を調べます。
薬は医師が自宅の庭で栽培した薬草を自らの手で自家製造する。
アトゥ・グナヤを持つ医師の手で行うことが大切とされています。
薬作りにはタイミングも重視されます。
薬草の効力の最も高まる日和や時間帯を太陽や惑星の配置、月の満ち欠けから算出し、ときには呪文を唱えながら薬を作ります。
診療はピンカマ(功徳を積むこと)であるとして、診療費を患者には請求しないことが多い。
患者は自宅で取れた野菜や果物を医者に渡したり、キンマの葉に紙幣を挟んで手渡し、足元に額をつけて礼拝をします。
政府による伝統医療保護政策
治療効果が実証された特定のウェダ・マハッタヤーを選出して、ウェダ・ガマ(医療の村)を作りました。
開発援助と開発独裁
外国政府による開発援助
スリランカでは、政府間による外国からの援助と、NGOによる外国からの援助が行われてきました。
政府間における援助において、日本は主要な役割をになっていました。
スリランカにおける日本のODAについては、以下の記事を参照ください。
NGOによる開発援助
欧米・日本などの様々なNGOが活動してきました。
パルシック(PARCIC:2008年までは「アジア太平洋資料センター・民際協力部」)は、
・タミル人居住地区の漁村振興
・デニヤヤでの小規模農家支援
・サリーのリサイクル事業
など長い活動を行なっています。
ラージャパクシャ政権と中国による開発支援
マヒンダ・ラージャパクシャ政権(2005年11月19日〜2015年1月9日)では、ラージャパクシャ4兄弟に権限が集中し、中国支援による大規模開発が行われいました。
■ラージャパクシャ兄弟
マヒンダ・ラージャパクシャ:大統領 兼 国防相
ゴタバヤ・ラージャパクシャ:国防時間 兼 都市開発
チャマル・ラージャパクシャ:国会議長
バジル・ラージャパクシャ:経済開発担当相
■中国による開発支援・投資
マッタラ・ラージャパクサ国際空港の建設
ネルム・ポクナ・マヒンダ・ラージャパクシャ・シアターの建設
ハンバントタ港の建設
空港高速道路の建設
中央高速道路の建設
南部高速道路の延伸
鉄道海岸線の延伸
ロータス・タワーの建設
コロンボの埋め立てとコロンボ・インターナショナル・ファイナンシャル・シティーの建設
など
スリランカのおける高速道路建設については、以下の記事を参照ください。
ロータスタワーについては、以下の記事を参照ください。
マイトリパーラ・シリセーナ政権(2015年1月9日〜2019年11月18日)では、中国からの支援への集中の見直しが行われましたが、ゴタバヤ・ラージャパクシャ政権(2019年11月18日〜)になって、中国への傾斜が再開しています。
1960年代後半に以下のアジア諸国で開発独裁が行われましたが、スリランカでも遅れて開発独裁になるのかもしれません。
韓国のパクチョンヒ体制
フィリピンのマルコス体制
マレーシアのマハティール体制
シンガポールのリークンユー体制
インドネシアのスハルト体制
スリランカの政治体制については、以下の記事を参照ください。
スリランカにおける青年海外協力隊
1980年、日本とスリランカで協力隊の派遣協定を締結。
1981年4月、第一回目となる青年海外協力隊3名の派遣。
2002年、シニアボランティアの派遣開始。
参照)
明石書店:~を知るための…章 エリア・スタディーズ
ウィキペディア:杉本良男
国士舘大学:川島 耕司
ウィキペディア:中村尚司
カラピンチャ:タラパ
ウィキペディア:シコクビエ
BOI:BOI Export Processing Zones
JUKI:企業グローバル沿革
ウィキペディア:コンバウン王朝
1980年代以降のミャンマーにおける モン派僧伽の展開
ウィキペディア:モン族 (Mon)
ウィキペディア:モン州
ウィキペディア:モーラミャイン
ウィキペディア:バゴー
ウィキペディア:ペグー王朝
Wikipedia:Kiri Vehera
Wikipedia:Abdul Jabbar Jahanabadi
ウィキペディア:ドウティ
Wikipedia:Arumuka Navalar
「旅と町歩き」を仕事にするためスリランカへ。
地図・語源・歴史・建築・旅が好き。
1982年7月、東京都世田谷区生まれ。
2005年3月、法政大学社会学部社会学科を卒業。
2005年4月、就活支援会社に入社。
2015年6月、新卒採用支援事業部長、国際事業開発部長などを経験して就職支援会社を退社。
2015年7月、公益財団法人にて東南アジア研修を担当。
2016年7月、初めてスリランカに渡航し、会社の登記を開始。
2016年12月、スリランカでの研修受け入れを開始。
2017年2月、スリランカ情報誌「スパイスアップ・スリランカ」創刊。
2018年1月、スリランカ情報サイト「スパイスアップ」開設。
2019年11月、日本人宿「スパイスアップ・ゲストハウス」開始。
2020年8月、不定期配信の「スパイスアップ・ニュースレター」創刊。
2023年11月、サービスアパートメント「スパイスアップ・レジデンス」開始。
2024年7月、スリランカ商品のネットショップ「スパイスアップ・ランカ」開設。
渡航国:台湾、韓国、中国、ベトナム、フィリピン、ブルネイ、インドネシア、シンガポール、マレーシア、カンボジア、タイ、ミャンマー、インド、スリランカ、モルディブ、アラブ首長国連邦、エジプト、ケニア、タンザニア、ウガンダ、フランス、イギリス、アメリカ
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